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走れ!バカップル列車
第74号 ローカル線と通勤電車の札沼線



   一

 新幹線「はやぶさ」のグランクラス、急行「はまなす」の寝台車などを乗り継いで、私たちはいま留萌本線のワンマン列車に乗っている。
 終着増毛からの折返し列車は海の上にかかる虹を見ながら走る。朝礼台のように短い朱文別のホーム。礼受と同じく車掌車を待合室にしている舎熊。下り列車で居眠りしてしまい、見逃してしまった景色を確認しながら来た道を戻る。
 16時11分、留萌着。七分停車する。何人か降りて客室から立ち席客がいなくなった。運転席後ろの前方の景色が見える位置には鉄道おたくたちが三、四人立っているが、彼らは空席が出ようが出まいが関係ない人たちだ。それを見て、みつこさんが「こわ〜い」とつぶやいている。あんたの旦那だってそのこわ〜い人たちの一人なんだよと思う。
 峠下で下り留萌行き列車と交換。山越えして平野に降りてくると空が茜色に染まっていた。いい景色だがみつこさんはすやすやと居眠りしている。17時17分、列車は定刻通り深川駅六番線に到着した。すでに空は暗い。
 乗り換えのために跨線橋に登ると、ワンマン車両の車内清掃をしていたおじさんが駅じゅうに響く大声で「忘れ物した人いないかぁ!」と叫ぶのが聞こえてきた。周りの乗客が一斉に振り返るが、忘れ物をした張本人はなかなか名乗り出ないようだ。おじさんはなんども叫んでいる。
 私たちはこのあと旭川に出て一泊する。夜はのんびり過ごして翌日の札沼(さっしょう)線に備えるつもりだ。次の旭川方面は三番線から17時36分に発車する特急「スーパーカムイ27号」である。
 外は寒いので待合室に入る。たんに風が避けられるだけで待合室の中もけっこう寒い。すでに先客が四人ほどいて、往きの留萌までの車内でみかけたおばさん二人組もいた。
 忘れ物の持ち主はまだ見つからないのか、こんどは駅の構内放送がはじまった。
 さっきから気になっていたことをみつこさんに訊いてみた。
「いったいなにを忘れたのかな?」静かな室内に声が響く。
「タラコ」みつこさんが小声で教えてくれる。
「タラコは忘れちゃいかんだろう」
 その瞬間、誰かが「ぷっ」と吹き出し待合室内に笑い声がもれた。みつこさんだけに言ったつもりなのだが。前のおばさん二人も笑っている。
「増毛の駅で売ってたよ」とおばさんの一人が教えてくれた。たしかに駅舎内に売店があった。おみやげを買うつもりはなかったし、ずぶ濡れの状態で入るのもいけないと思い入らなかった店だ。
 その笑いがきっかけでおばさんたちと少し話をした。私たちは留萌で途中下車したが、おばさんたちは終点増毛まで乗り続け、増毛でお寿司を食べてきたらしい。このあと私たちと同じく旭川に向かうという。話を聞いている限り、道内にお住まいのようだ。
 列車の時間が近づいたのでホームに出た。向かいの一番線に札幌行きの特急「オホーツク6号」が停車している。
 おばさんの一人が「オホーツク」を指さして、
「網走から来たやつよ」
 と私に教えてくれる。鉄道おたくの私は当然知っていることだが、
「へえ、そんなに遠くから?」
 と答えておく。「網走から来た」とそのおばさんはもう一度言った。おばさんには網走とこの特急列車になにか特別な思い出があるのだろうか。「オホーツク」はゴオオオオオォという凄まじいエンジン音をあげて発車していった。

 旭川行き「スーパーカムイ」に乗り込むとみつこさんの携帯にメールが来た。義姉からだ。どうしたことか、みつこさんは読むうちにみるみる涙ぐんでくる。
「大丈夫?」
「もうマミーはダメかもしれない」
 みつこさんの目から涙がぽろぽろこぼれ落ちてくる。これは一大事だ。
 義姉が言うには、体重も激減してきて、医師にもう何を食べてもいいといわれたそうだ。義母は消化器系の病気にかかっていて、食べものには厳しい制限が課せられていた。
「もう医者から見放されたんだ」
 たしかに治療を放棄されたと受け取ってもいいような処置に聞こえる。
 私は札沼線に乗ることを諦めた。こんな状態でみつこさんが旅行を続けるのは無理だろう。昨年十二月に計画したときも「カシオペア」が遅れて乗れなかった。末端区間である浦臼〜新十津川間は一日三往復しか運転がなく、乗る機会をつくるのはなかなかたいへんなことなのだ。だから今回もそれだけのために計画を練った。それでもやはり乗れなかった。札沼線とはしばらく縁がないのかもしれない。
 しかたのないことだが、バカップル列車はここで運転打ち切りである。
「明日すぐ帰ろう。旭川から飛行機で帰ろう」
 帰りは千歳からの航空券を買ってあるのだが、旭川発の便に変更することにした。iPhoneで旭川〜羽田便の時刻を調べてみる。急げばきょうの最終便にも間に合うことがわかった。
 しかし、みつこさんは気丈にも帰るのは明日でいいと言った。
 特急「スーパーカムイ27号」は17時59分に旭川に着いた。ホームから降りるエスカレーターでふと思いついた。
「おねえに電話してみたら?」
 明日帰るにしても、とりあえずもう少しくわしい話を電話で聞いておいたほうが、今夜安心して過ごせるはずだ。
 みつこさんは早速携帯を取り出し、義姉に電話している。どんな話を聞かされるのだろうと私も覚悟しながら横に立っていたのだが、どうも様子が違う。みつこさんは電話を切るときにはどこかしらさっぱりした表情になっていた。
「見放された訳じゃないんだって」
 メールの文面から読みとる限りはとても深刻な内容だったが、実際は酷いわけではなく、単純に義母が病院食は口にしないから家のものを食べてみたらどうだろう、という医師の提案だったそうだ。
「おねえも旅行は予定通りでいいよって」
 なんの気なしに言ってみた電話だが、かけてみて良かった。やはりメールの短い文面だけでは微妙なニュアンスは伝えきれない。
 とにかく明日羽田に着いたらその足で義母のいる病院に向かうということで二人の意見は一致した。



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