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走れ!バカップル列車
第73号 留萌本線増毛行き



   一

 留萌本線は深川〜増毛間を結ぶ六六・八キロの路線である。冬の寒さが厳しく開拓の遅れがちな北海道日本海沿岸にあって、全通は大正十(一九二一)年と比較的早かった。日本海側随一の良港として賑わった留萌港を中心に石炭、木材、海産物などを輸送する必要があったためといわれる。
 函館本線の深川から留萠までは明治四三(一九一○)年に開通。留萠から増毛までは増毛線として大正十年に開通した。全線が留萠本線と改称するのは昭和六(一九三一)年のことである。開通当初より「留萠本線」「留萠駅」と称していたが、自治体名が「留萌市」ということもあり、一九九七(平成九)年に「留萌本線」「留萌駅」に改称した(以下、「留萌」に統一)。
 現在、学園都市線と呼ばれている桑園〜新十津川間の路線は正しくは札沼(さっしょう)線といい、昭和十(一九三五)年に全通したときは留萌本線石狩沼田までの路線であった。留萌本線は石狩沼田で札沼線と接続し、さらに留萌では宗谷本線幌延まで日本海沿岸を走る羽幌線が分岐していた。かつては羽幌線という「支線」を抱える「本線」としての威厳を保っていたのである。しかし昭和四七(一九七二)年に札沼線の新十津川〜石狩沼田間が廃止され、羽幌線も民営化直前の昭和六二(一九八七)年三月に廃止され、いまは起点の深川で函館本線と接続するだけのいわゆる盲腸線になってしまった。
 沿線の炭坑は閉山され、鰊漁も振るわなくなった。過疎化、モータリゼーション、学校の閉校などさまざまな原因が重なって、昭和五十(一九七五)年に留萌〜増毛間で一一九九(人/キロ/日)だった輸送密度は、二○一四(平成二六)年は三九(人/キロ/日)まで落ち込んだ。これは一列車当たり乗客が三人しか乗っていないという数字である。
 それに加え、増毛付近では雪や土砂が線路に流れ込んだことによる脱線事故も多発していて、防災工事をするには数十億円もの費用が必要になる。
 こうしたことからJR北海道は、この区間の鉄道を維持することは困難であると判断し、今年八月十日、留萌本線留萌〜増毛間の鉄道事業を二○一六(平成二八)年度中に廃止すると留萌市長、増毛町長にご説明したと発表した。
 表向きは「ご説明」といっているが、実態としては一方的な通告のようなものだっただろう。ローカル線を廃止するといえば、かつては地元の猛反対に遭ったものだが、その地元の人が乗らないからじゃないか、一列車あたり三人しか乗っていないじゃないかという事実を突きつけられては、なにも反論できなかったに違いない。

 二○一五(平成二七)年十月十一日、これからみつこさんと私は留萌本線普通列車に乗る。列車は銀色ステンレス車体のディーゼルカー二両編成で、前方が一般車両、後方がふだんは回送車両と思われるがきょうは小学生の団体が乗車している。運転士が一人で運転も切符の回収、運賃精算もするワンマン列車だ。
 前方の車両に行列のうしろから乗り込んだ。座席は瞬く間に満席になった。
「みちゃん」
「なに」
「窓がない」確保できた二人席には窓がなかった。
 改良工事などで座席の間隔が変わって、窓配置と合わなくなってしまったのだろう。真横に窓はないが、前の席の窓から斜め前方の景色は見える。
「まあ、いいじゃん」みつこさんが一言で片づける。
 乗客は九○パーセント以上、私たちの仲間、鉄道おたくで占められている。発車三十分以上前から行列をつくっていた人たちである。みんな真剣だ。その様子を見て、みつこさんはしきりに「こわ〜い」とつぶやいている。
 11時08分、留萌線増毛行き4925Dは定刻に発車した。エンジンを振るわせ、札幌方面に戻るような感じで西へ動き出す。深川駅構内を抜けると左に函館本線が分かれる。大きな半径で右へ九十度ほど曲がると、列車は深川の市街地を北北西に向かってまっすぐ進んでゆく。
 次の駅は北一已。「きたいちやん」と読む。知らないと読めない。留萌線には読めそうなのになかなか正解にたどり着かない難読駅名が多い。北一已を出たところで線路はわずかに左にカーブして、北西に針路を変える。
 家並みと田んぼが混在する平野を列車はたんたんと走る。秩父別も「ちちぶべつ」と読んでしまいそうだが、正しくは「ちっぷべつ」。線路の左側に市街地があり、右側は田んぼだ。駅を出て少ししたところに「秩父別米 いなほの鐘」と壁に大書きされた倉庫のような建物がある。深川から石狩沼田までの一帯は隠れたお米の名産地だ。
 雨竜川をトラス鉄橋で渡ると市街地に入り、石狩沼田に到着した。明日乗る予定の札沼線は昭和四七年までここが終着駅だった。札沼の「沼」は石狩沼田の一文字を取ったもので、石狩沼田まで来なくなったいまも正式名称として残っている。
 かつてはホームが二面、線路が三線あって、札沼線列車の発着や留萌線列車同士のすれ違いができる構造だったが、いまは駅舎に面したホームに線路が一本だけになっている。この一番線のホームと線路はもともと札沼線用だったらしい。二番線、三番線の線路は撤去され、使われなくなったホームはそのまま残されている。「いしかりぬまた」と書かれた駅名標は錆びだらけだが、手入れはされているようで花壇には花も咲いている。もし放置されていたら、足の踏み場もないほど草が生えていて、ホームであることすら気づかなかっただろう。
 沼田町の市街地を抜けると両側に田んぼが広がる。稲刈りが終わったところが多いが、まだのところもあって頭を垂れた稲穂が風に揺れている。真布(まっぷ)を過ぎると林も見えてきて、白樺の白い幹がちらほら並んでいる。いよいよ民家が尽き、車窓が農村風景になったところで恵比島である。昭和四四(一九六九)年までは留萠鉄道がこの駅から出ていて、「峠の宿」として賑わったという。恵比島は一九九九(平成十一)年に放送されたNHK連続テレビ小説「すずらん」のロケ地として登場する。一見駅舎に見える古びた木造の建物はドラマ用のセットで、本物の駅舎はその横にある車掌車を改造した方らしい。



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