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走れ!バカップル列車
第68号 小松島線廃線跡と特急うずしお(前編)



   一

 みつこさんと私は結婚当初の二○○一年五月から二○一○年十月まで、およそ九年四か月、東京の「王子」に住んでいた。住所でいうと北区滝野川。JR京浜東北線・地下鉄南北線の王子駅から徒歩十五分ほどの住宅地である。
 その王子での数少ないお友だちがクボさんご夫妻だった。
 いまから数えると十二年ほど前だったと思う。家から駅に向かう道の途中にご主人のケンさんが美容室を開店したのが最初だった。早速、みつこさんが美容室に通いはじめた。
 そのころ奥さんのトモコさんは王子駅近くのケーキ屋さんで働いていたが、何年かしてケンさんのお店の真向かいに自分のお店を開いた。そのケーキとスコーンがおいしくて、しかも毎日通る道沿いにあるとあって、私は文字通り足繁くトモコさんのケーキ店に通い詰めた。
 そのころ、私たちの誕生日ケーキはまちがいなくトモコさんお手製のロールケーキだったり、タルトだったりした。お店と客という関係を超えて、ご夫婦にはとてもよくしていただいた。たまにご飯を一緒に食べに行ったり、我が家に遊びに来てもらったりもした。
 思い出深いのは、初乗り百三十円(当時)の切符で東京近郊一筆書きの旅に出かけたことだ。
 ご夫妻は、「走れ!バカップル列車」の読者でもあるので、いつか四人で日帰りの鉄道旅行に出かけてみたいと話しをしていて、それならば一筆書きの旅にしようと私が提案したのである。
 一筆書きの旅というのは、王子から百三十円の切符を買ってひとつ隣りの上中里まで出かけるときに、まっすぐ行かず、わざと遠回りしながら行くというものである。鉄道の運賃は実際に乗車する経路に沿って計算するのが原則だが、路線が複雑に絡み合っている東京近郊区間内では、特例として経路を問わず最短距離で運賃を計算できる。その特例を逆手にとって、あえて最短距離では行かず、遠回りして出かけるという鉄道おたくならではの遊びだ。
 もちろん、何十キロと電車に乗るのに、無条件で百三十円という訳にはいかない。この特例を利用するには、同じ駅を二度通ってはならない、つまり一筆書きのルートでなければならないというルールを守る必要がある。当然、途中下車もできない。そうはいっても、最近は駅ナカをはじめ改札内でもいろんな店舗が充実しているし、駅構内のトイレもきれいになっているから、鉄道おたくではないクボ夫妻にも充分楽しめるはずだ。
 そのようにお二人に提案したところ、ぜひ行ってみようというので、二○○九年の夏の終わりに四人で出かけたのである。
 この旅のために私が組んだ遠回りルートは次の通り。
 王子→(京浜東北線)→赤羽→(埼京線・快速)→大宮【三十分ほど駅ナカ探検】→(京浜東北線)→南浦和→(武蔵野線)→新松戸→(常磐線各駅停車)→我孫子→(成田線)→成田→(成田線・総武線快速・横須賀線)→品川【一時間近く駅ナカ探検】→(山手線)→田端→(京浜東北線)→上中里
 キロ数(営業キロ)にして一九五・九キロ。ルート通りに運賃計算をすると、三二六○円(当時の運賃)にもなる。
 ルートを多少控えめ(?)に選び、鉄道以外のところも楽しめるよう、駅ナカ探検タイムを設けたりもした。それでも結局は二百キロ近くの行程になり、乗換え時間にも余裕をとったので、王子を十一時過ぎに出発して、上中里に着いたのは日も暮れかかった十八時過ぎであった。
 鉄道おたく的にもネタとしては充分だったし、みつこさんも一緒だから、この一筆書きの旅はバカップル列車に仕立ててもおかしくないものだった。ところが、当時の私はどういう訳か「走れ!バカップル列車」としての旅行記を残していない。自分でも不思議だし、いま思えば惜しいことをしたと思う。

 私たちの王子ライフに彩りを与えてくれたクボ夫妻だが、楽しい日々はじつはそれほど長くはなかった。喧嘩別れしたとかではない。それぞれに暮らしの次の段階に歩むうえでしかたがなかったのである。
 二○一○年十月に私たちが王子から現在の本郷に転居してしまった。
「王子は暮らしやすいし、ずっと住んでいたいね」などと話しておいて、自ら王子を去ってしまったのである。私自身、後ろ髪を引かれる思いだった。王子がイヤだった訳ではない。最初は王子で物件を探していたのである。でもタイミングとか、予算とか、巡り合わせとかがいろいろ絡み合って、王子では希望にかなうところが見つけられず、紆余曲折を経て本郷になったのである。半分は自分たちの意思であり、残りの半分は自らの意思の及ばないところで決まっていったというのが本当のところだ。
 さらにおめでたいことが起きた。お二人に赤ちゃんができたのである。トモコさんは日に日に大きくなるおなかを抱えてケーキ作りをこなしていたが、私たちが王子を去ったおよそ一年後にケーキ店は閉店した。もともと製造も販売もすべて一人でこなしていた店だった。産休するということは店を長期休業することにほかならない。結局、再開の見通しを立てることなく店をたたむしかなかった。赤ちゃんは翌年初めに無事産まれた。元気な女の子で、タオちゃんと名づけられた。
 トモコさんの店が閉店になったあとも、ケンさんは美容室を続けていた。ところが美容室も二○一三年には閉店になった。クボさん一家はトモコさんの故郷、徳島県小松島市に引っ越すことになったのである。
 ケンさんは関東出身だが、トモコさんと帰省するたびに徳島の自然やゆったりした暮らしに親しみを感じるようになり、タオちゃんが生まれるということもあって、いずれは移り住みたいと考えるようになったという。
 それにしても小松島とは、ずいぶん遠くに行ってしまったものだ。インターネットでクボさん一家の晩ごはんの献立も、タオちゃんの成長ぶりもほぼリアルタイムにわかったりするが、それでも物理的な隔たりは厳然としてある。ケンさんもトモコさんもタオちゃんも、ずいぶん遠くに行ってしまった。
 王子駅から坂を登り、美容室とケーキ店があった場所を再訪したことがある。美容室はシャッターが閉まったままだし、ケーキ店は一般住宅に改装されて誰かが住んでいた。わかっていたことだけど、なんとなく寂しくなって帰りの道はとぼとぼ歩いた。
 ことしになって新しいニュースが舞い込んできた。
 タオちゃんに妹が産まれたのである。丸々とした赤ちゃんにはハルちゃんと名前がつけられた。そしてケンさんもようやく店舗の物件がみつかり、春には美容室を開店するという。
 まだ寒い二月のはじめごろ、みつこさんに声をかけた。
「みちゃん」
「なに」
「ケンさんが小松島で美容室をはじめるらしいよ」
「おお、ようやくだね」
「ゴールデンウイーク、徳島に行こうか」
「うん、行こう行こう」
 五月、私たちは小松島に行くことになった。



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