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走れ!バカップル列車
第67号 寝台特急カシオペア(後編)



   四

 函館を発車すると私は疲労と安心とで服を着たままベッドに横になった。
 みつこさんはなにを思ったのか、服に着替えはじめた。
「また酔いそう」そう言いながら化粧までしている。酔わないためのまじないだろうか。
「こっちに機関車付いてるときは大丈夫だったの?」青森を発車したとき、みつこさんは揺れすぎだと言っていた。
「いまの方が酔いそう。こっちに付いてるときの方がガタガタしてたから、かえって大丈夫なんだ。後ろになった方が揺れかたがイヤ」
 乗り物酔いといえば、五年前、寝台特急「北斗星」に乗ったときは、二人して酔ってしまった。あのときは朝ごはんも食べられないほどだった。みつこさんに「北斗星」のときと比べてどう? と訊いたら、今回はそれほど酷くはないという。
 六時半に食堂車の営業がはじまるので三号車に来た。昨日と同じ席に案内されて、みつこさんは洋定食、私は和定食を注文する。席は営業開始と同時に埋まってしまい、「食堂車はただいま満席となっております」というアナウンスを流している。
 八雲は十分遅れの6時29分に発車した。函館は十五分遅れで発車したのになぜか五分も回復している。窓の外はまだ暗い。海が見える。雪が猛烈な勢いで真横に流れている。
 食べているうちに少しずつ空が明るくなってきた。晴れていれば噴火湾から登る朝日がきれいなのだろうが、空も地上も白くぼんやりしている。
 みつこさんはやはり酔ったのか食べるペースが落ちてしまった。顔色も心なしかすぐれない様子。
「大丈夫?」
「食べられないほどじゃないんだ」
 長万部に停車した。ホームも線路も雪に覆われている。屋根の支柱の駅名標は「おしゃまんべ」の「おしゃ」が雪で隠れている。
「『まんべ』しか見えないね」みつこさんが笑う。
 夜中に長万部まで寝過ごす夢を見たが、本当に夢でよかった。ここまでずっと寝ていたら後悔してもしきれない。
 長万部で函館本線から室蘭本線に入り、断崖が海に迫る礼文華峠に入る。トンネルをいくつも抜けてゆく。
「いまちっちゃい駅があったね」
 トンネルとトンネルの間の一瞬のチャンスをみつこさんは見逃さなかった。
「『小幌』って駅だよ。鈍行しか停まらなくて、降りてもなんにもないから秘境駅っていわれてるんだ」
 酔ったといいながら、みつこさんはデザートまで食べた。
 小一時間ほどして「スイート」に戻ってくる。戻るなり、みつこさんはぱたんとベッドに寝てしまった。私は展望室のソファに座る。
「カーテン開けようよ」
 寝ながら外の景色を見たいのだろう。ベッドと展望室の境のカーテンを開けようとみつこさんが言う。
「開けなくてもいいよ」なぜ開けなくていいのか、みつこさんは知らない。
「え、開けてよ」
 不満そうに言うので、しかたなく開けてみた。
「えーっ」窓を見たみつこさんは残念そうに叫ぶ。「こんなことになってるのかあ」
 パノラミックウインドウは再び雪に覆われているのである。青森〜函館間で雪はいったん落ちたのだが、函館からの雪でまたこの状態になってしまった。最後部は風の流れのせいか、先頭より雪がつきやすい。それでもみつこさんは寝ながら雪の貼りついた窓を眺めていた。
 洞爺、伊達紋別はそれぞれ十分遅れで発車。この付近は洞爺湖を囲む山や有珠山の山裾が海岸までせり出す地形で、上下線が全然離れた高さのところを走っていたり、単線区間があったりして車窓が変化に富んでいる。とくに北舟岡付近は海岸線ギリギリのところを走り、大きな波のうねりが窓に迫って恐いくらいだ。やがて雲が切れ、陽が射してきた。

 東室蘭の手前で車掌の案内放送があり、ここから先、普通列車を前に通すので札幌着は二十分遅れの9時52分になるとのこと。時刻表を見ると、札幌に9時52分に着くのは「トワイライトエクスプレス」である。実際の「トワイライト」がおそらく遅れているので、きょうは「カシオペア」が代わりにこのダイヤで走るのだろう。
 食堂車のウエイターさんがモーニングティーを持ってきてくれた。朝ごはんを早めにしたので、八時にずらしてもらったのである。
「あらー、なんにも見えないですねー」にこにこ笑いながら、ウインドウに貼りついた雪を見ている。
「そうなんですよ。しかたないから隙間から見るしかないんですよ」
 真っ白に覆われたウインドウを前にみつこさんとお茶を飲んだ。天気は変わりやすく、雪が舞ったかと思ったら再び晴れてきた。白老を過ぎたあたりからは雪すら積もっていない。草原が白いのはおそらく霜だ。
 白老を過ぎてしばらくした地点からはひたすら直線が続く。沼ノ端まで二八・七キロの直線区間は日本の鉄道で最長である。左右の牧場でサラブレッドが草を食んでいる。
 雪の隙間からまっすぐ延びる線路を見ていたら、さきほどのウエイターさんが食器を回収にきた。
 にこにこ笑いながらウインドウを見て「まだ見えないですねー」。
「このまま札幌まで落ちないんじゃないですかね」
「落ちるといいんですけどねー」そう言って、お盆を手に帰っていった。
 苫小牧を発車し、沼ノ端で長い直線区間が終わって左にカーブする。ここから千歳線だ。
 ところで「カシオペア」は定刻では9時32分に札幌に着く。札幌からは札沼線を乗り継いで新十津川まで行く予定であった。一日に三本しかない新十津川行きの一つに乗るには、札幌9時55分発の北海道医療大学行きに乗らないといけない。定刻に着けば充分間に合うのだが、9時52分着となると微妙である。
 車掌さんが来たので事情を話すと、「9時55分発はご案内できない」との答え。残念だが新十津川は諦めたほうが良さそうだ。今回は旭山動物園にも行く予定である。あまり欲張るな、ということだろう。
 北に向かって進む列車の最後部に太陽の光が真っ直ぐ降り注いでいる。その熱のおかげで貼りついた雪は次第に解け、ザザッ、ザザザッと落ちていく。一眠りして目を覚ますとウインドウはほぼなにもついてないきれいな状態になっていた。
 パノラミックウインドウから去りゆく札幌近郊の景色を眺める。平和付近で旭川方面からの函館本線と合流する。ここから札幌までの八キロは複々線区間になる。江別方面と千歳方面の二つの電車が競走するかのように並んで走り去っていった。こちらはまたうっすらと雪が積もっている。
 豊平川を渡った。
「もうすぐ着くね」みつこさんが隣りのソファに座った。
「うん」
「この部屋にいられるのも、あとちょっとだね」
「うん」
 すでに十七時間半もこの「スイート」にいるのにまだ乗り足りない気分だ。それでもいつかは終着駅、札幌に着く時が来る。名残を惜しむように「カシオペア」はゆっくりとした歩調でレールを滑ってゆく。
 苗穂を通過するころ、遥か彼方から銀色の列車が近づいてくるのが見えた。旭川発の特急「スーパーカムイ12号」だ。
「追い抜かれるかな?」
「抜かれるよ、すごい速さでこっちに来るもん!」みつこさんが指を差す。
 猛烈な勢いで「スーパーカムイ」はみるみるこちらに近づいてくる。ビュウンというモーター音が聞こえたかと思うと、あっという間に「カシオペア」を抜き去った。巻き上げられた雪煙がウインドウまで飛んできて、視界は一瞬真っ白になった。



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