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走れ!バカップル列車
第66号 寝台特急カシオペア(前編)



   四

 寝台特急「カシオペア」は静かに上野駅を発車した。札幌まで一二一四・七キロ、十七時間十二分の旅がいまはじまった。
 私は展望室のソファに座り、後方の景色をうかがう。十三番線ホームがゆっくりと遠ざかってゆく。なるほどこれは独特の眺めだ。24系など昔ながらの客車の最後部から眺める景色とはまた違う。大きなパノラミックウインドウからのこの眺め、やはりほかに比べようがない。
 ポイントをガタゴトと渡り、いくつもの線路と合流し分かれたりしながら、列車は左にカーブし、坂を登る。鶯谷に停車する京浜東北線を横に見送ると山手・京浜東北・東北・高崎・常磐の各線路が十本勢揃いする区間になる。
 みつこさんも隣りに来た。ソファは二人並んで座れるのだが、互いに向きやすいように内側に向けて三十度ほどの角度がついている。ウインドウの下はソファの角度に合わせて三角形のカウンターになっていて、カウンターの手前には折りたたみ式のテーブルがある。食事をするときはこのテーブルを出すと良さそうだ。ソファの左側には小型のテレビがあって、その脇にはインターホンがある。
 日暮里を過ぎ、山手・京浜東北・常磐線と分かれた付近で食堂車のウェイトレスさんがミニバーセットをお盆に載せてやってきた。
「わー、すごい!」二人して大騒ぎである。
 ワインのハーフボトル、ウイスキーのミニボトル、ミネラルウォーター、氷などがわんさと載ったお盆がウィンドウ前のカウンターに置かれる。
「お食事の確認をします」というので、ルームサービスの食事予約券を見せた。
「『懐石御膳』のルームサービスでご予約いただいておりますが、本日、食堂車にお席の余裕がございまして、そちらへ変更もできますがいかがいたしましょう?」
 突然いわれて戸惑う。ルームサービスは「スイート」の特権だからこれで良かったんだ、最初からそうなることに決まっていたんだなどといっておきながら、そう言われるとやはり食堂車で食べるのもいいかもしれないと思ってしまう。
 迷う。しかしあまり待たせるわけにもいかない。与えられた時間はほんの数秒だ。みつこさんも迷った顔をしている。「どうする?」
 でもみつこさんの言い方からして、食堂車に気持ちが向いているようでもある。
「じゃあ、食堂車に変更してください」そう答えた。これもまた偶然のなせる技。その流れに身をまかせることにした。
「お時間は十七時十五分から十八時十五分までの回となります。十七時になりましたら、放送でご案内いたしますので三号車までお越し下さい」
 迷っていた間も列車は進む。懐かしい飛鳥山が見えてきて、王子駅の脇を通過した。
 ウエイトレスさんはこんどは飲み物のメニュー表をとり出した。
「後ほどウエルカムドリンクをお持ちしますが、どれにいたしますか」
 いま届けられたお盆がウエルカムドリンクなのかと思っていたが、コーヒー、紅茶、ジュースなどを改めて届けてもらえるらしい。オレンジジュースを二杯注文した。
「翌朝のモーニングティーは何時ごろにいたしましょう?」
 そんなものもあるのか。「トワイライトエクスプレス」の「スイート」もあったかもしれないがもう忘れている。朝七時に紅茶を届けてもらうようにお願いした。
「なにかご用がありましたら、インターホンの『3』を二回押してください」といってウエイトレスさんは帰って行った。ちょうど赤羽を通過した。荒川の鉄橋を渡る。太陽が西の空に沈みかけている。

 オレンジジュースが届けられ、ようやく気持ちも落ち着いてきたので改めて室内を見回す。
 発車したときみつこさんがコートを掛けていたクローゼットは奥行きが十数センチという超薄型だ。ハンガーを壁に掛けたところにカバーがかかっているといった方が良さそうだ。これも限られた空間をうまく利用するための工夫だ。
 二つのクローゼットの隙間は鏡になっている。そのちょうど向かい側、ツインベッドの枕側の壁も鏡になっている。なぜ車両の左右対称となる部分に同じように鏡があるのかと思ったら、その鏡を開けると縦長の楕円形をした窓になっていた。
 展望室の大きなウインドウは室内から外が良くみえるが、同時に外から室内が丸見えということでもある。「トワイライトエクスプレス」はスモークガラスになっていたので外から室内は見えにくいが、「カシオペア」はふつうのガラスなのでカーテンで隠すしかない。ウインドウ内側にはレースとドレープカーテンが、展望室とベッドとの境部分にもドレープカーテンがあって、ベッド部分を二段階で隠せるようになっている。
 トイレは入口の左寄りに便座があって、その上の取っ手を引き出すと洗面台が出てくる。入口の右奥はカーテンで仕切られたシャワースペースで、走行中の揺れでトイレ側に飛び出さないよう安全バーがついている。シャワーは十八分間使える。一人あたり九分間だ。
 室内で記念写真を撮っている間に最初の停車駅、大宮に停車した。
 列車は東北本線を北に向かう。大宮近郊の市街地を抜けると真っ平らな関東平野がウインドウいっぱいに広がる。左右に散らばる住宅、線路を越える陸橋、踏切、送電線……さまざまなものが後方かなたへ遠ざかってゆく。空は快晴。目の前に広がる風景が幻想的なあまり、大画面のスクリーン映像でも見ているかのようだ。
 太陽が地平線に隠れると空の底がだいだい色に染まってくる。だいだい色は空高くなるほどに薄くなり、白から青、そして群青色へと流れるように変化している。
 久喜を過ぎ、ふと斜め右方向を見ると黒い三角形の物体が目につく。なんだろう? と思って目を凝らしてみると富士山だった。思わずみつこさんを呼ぶ。
「みちゃん、見て! 富士山だよ!」
「ああ、ホントだ! こんなとこから富士山見えるんだね」
 このあたりから富士山が見えるとは思ってもいなかったから私も驚いた。それほどまでにきょうは空気が澄んでいる。宝永山が左側に見えている。富士山の右上にぽつんと明るく光るのは金星だ。
 栗橋を通過し、利根川の鉄橋を渡った。進む方向の角度が微妙に変わり、富士山が線路の左側に見える。
 地平線のきわのだいだい色がさきほどより一層濃くなった。上り普通列車とすれ違い、テールライトが遠ざかってゆく。
「この景色みただけでも、乗った価値があるね」
 二人並んでしばらくの間、ぼんやり窓の外を眺めていた。



第67号 寝台特急カシオペア(後編) 一
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