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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》
第65号 大船渡線・気仙沼線BRT



   四

 BRTは防災庁舎を横目に国道を右折し、気仙沼線の路盤を越える盛土を通って海とは反対方向へ向かう。その先に現在の志津川駅がある。もともと消防署があったところらしい。すぐ横に南三陸さんさん商店街があって、この商店街の見学と、時間が許せば防災庁舎へも足を延ばしたいので途中下車する。遅延は回復し、14時23分ほぼ定刻通りに到着した。
 駅といっても列車は来ない。陸前高田と同じで、要するにBRTのバス停である。ただこちらは出札窓口、待合室やトイレなどを備えた近代的な建物が完成している。
 外は相変わらず寒く、みつこさんがぶるぶる震えている。なんでこんなところで降りたのかといいたげである。
「防災庁舎を見に行こうと思ったんだけど……」
「えーっ、あんなとこまで行くの?」とみつこさんは否定的である。「だってあそこからずいぶん来たよ。次のバス、何時なの」
「一時間後」
「えー、行って帰って来るの無理だよ。歩くんでしょ?」
「うん、歩いて」
「行くだけで三十分以上かかるよ。タクシーだっていないでしょ」
「防災庁舎、見なくていいの?」
「いいよ。さっき見たし」
 みつこさんが見たいかなと思っていたのだが、バスの窓から見ただけで充分というのなら、この寒い中わざわざ行くこともない。私は三年前に一度訪れている。昨年はバスの窓から見ただけだったが。
 しかしこの小さな商店街で一時間もなにをして過ごせばいいのか。とにかく外は風も強く、立っているだけで寒い。
「どこか喫茶店みたいなとこないのかな」
 うろうろ歩き回るが、海鮮料理店、ラーメン屋、そば屋などがっつり食べるような店しかない。かろうじてクレープ屋が入れそうではあったが「クレープ、食べる?」ってところで躊躇してしまい、足がこれ以上動かない。
 商店街のはずれに「南三陸ポータルセンター」という施設がある。自由に入っていいみたいだが、窓もなく外からではどんな施設かわからない。どうしようか迷っていると、みつこさんが「大丈夫だよ」といってドアを開ける。
 全体は小さな体育館のような広さだが細かく壁で仕切られていて、震災当時の被災状況を撮った写真がたくさん展示してあった。とりあえず暖かいからいいかなと思って入ったのだが、つい食い入るように見てしまう。奥の部屋には仮設住宅室内のモックアップもある。狭い空間を工夫しながら暮らしている様子がよくわかる。
 見学するうちに時間が経った。外が騒がしいと思ったらバスが何台か着いたようで、商店街は修学旅行の高校生たちであふれていた。さっき入らなかったクレープ屋に戻ると女子高生が行列をつくっている。「どうする?」と再び尻込みするが、なにかあったかいものを口に入れたいし、バスの時間もあるからもう後回しにはできない。思い切って列のうしろに並んでみる。
 列は意外に進んですぐ順番が来たが、クレープはつくるのに十五分かかるという。それだとバスの時間ギリギリだ。しかたないのでスモージーとかいう飲み物だけ注文する。みつこさんはチョコレート、私はキャラメルを飲んだが、これがなかなかおいしい。ミルクにキャラメルを混ぜているようだが、はじめて飲むおいしさである。
 カラダもあったまったところでBRT駅に戻る。待合室でバスを待つことにした。
 入るなり、「切符持ってますか?」と窓口のおばさんに訊かれる。現物は見せなかったが「持ってます」と答えたらそれで済んだ。盛から東京までBRTと鉄道を通しで乗る切符は出発前に買ってある。BRTといってもJR線なので鉄道と同じようにみどりの窓口で切符が買える。ただし料金はBRTと鉄道を別々に計算し、合算した金額を支払うという方法だ。カートを転がしてきた若者がやってきて、窓口で仙台までの切符を買っていた。この先、仙台まで私たちと同じ行程でいくのだろう。
 みつこさんはベンチにも座らず、そわそわしている。
「どうしたの?」
 と訊くと、ここからだと乗り場がよく見えないからバスが知らないうちに発車しないか心配だという。バスが停まるところはたしかに見えないが、外の道路はよく見える。
「バスが走ってくるのがここからみえるから大丈夫だよ」
 そういってもみつこさんは半信半疑だ。しかし数分後、ヘッドライトをつけた赤いバスがこちらに近づいてくるのが見えた。気仙沼線を越える盛土を上り下りしている。
「ほらね」得意げにいうと、
「ホントだ」尻の半分でベンチに腰かけていたみつこさんがようやく安心してくれた。
 バスは15時23分、定刻に発車した。盛土を再び越えて志津川市街だった場所に戻る。防災庁舎を横に見て、もとの志津川駅の前を通る。敷地の周りにはロープが張られ、地下通路やホームなど駅構内には入れなくなっていた。
 バスはいったん国道に出るが、気仙沼線と立体交差するあたりから専用道路に入った。トンネルを抜けると志津川湾を望む陸橋の上に出る。穏やかな海にかきの養殖筏がいくつも並んでいる。
 昨年、BRTに乗ったときはまだこの区間は国道を走っていた。国道からこの陸橋が良くみえた。橋脚そのものが高台に立っていて、津波被害はあまりなさそうだった。あの陸橋の上は走れないものなのか、できることならあそこからの景色を見たいと思っていたのだが、期せずしてそれが実現した。鉄道のときは陸橋の上にただ線路が敷いてあるだけだったが、いまは左右に防風柵が設けられている。
 BRTは陸前戸倉まで専用道路を走る。海から一キロほど離れているが、三年前に通ったときは盛土の下を抜ける地下通路がかろうじて駅の位置を示すという状況だった。ここからは国道45号線を走り、陸前横山は乗り降りする客がいないので通過して、15時52分ごろ柳津駅前に着いた。
 柳津からは鉄道である。前谷地、小牛田、仙台と乗り換えて今日中に帰京する。
 前谷地行きの列車は16時19分発で、まだ時間があるので観光案内所を兼ねた待合室に入る。ストーブが焚いてあって暖かい。バスから乗り換えの人たちがみんなここに集まって暖をとっている。仙台まで行く若者もいた。窓口のおばちゃんによるときょうは気温が十度を切ったという。どおりで寒いわけだ。

 三陸から帰ってきて、どうしても気になっていたことがひとつあった。
 島越(しまのこし)で乗ったタクシー運転手のお兄さんは、昨年乗ったときと同じ人だったのだろうか。どうでもいいと言えばどうでもいい話だが、のどの奥に小骨が引っかかったような心持ちでどうにも居心地が悪い。
 旅行からひと月近く経った十一月下旬、思い切ってタクシー会社に電話してみた。
 電話口に出たおねえさんに「Iさんという運転手さんはいらっしゃいますか」と尋ねた。
「年配の人と若いの二人おりますが、どちらでしょうか」
 というので、若い方だと思います、というといまは営業に出ているという。しかたないので、そのおねえさんに事情を話す。 「今月一日に島越から鵜ノ巣断崖までIさんに往復してもらったんですが、昨年乗ったときもIさんだったかもしれないと思いまして。でも確信が持てなくて、乗車したときは聞けなかったんです。震災の時、唯一残ったクルマに乗っていたのはIさんですか?」
「ああ、ああ」おねえさんの声がだんだん弾んでくる。「そういえば、そんな話、聞きました、聞きました」
「え、そうだったんですか!?」
「本人も、前に乗せたお客さんかもしれないって!」
 やはりIさんは昨年も乗った運転手さんと同じひとだった。変な要件だったけど、電話してよかった。
 私にとってのこの秋の旅がこのときようやく終わったのである。



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