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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》
第65号 大船渡線・気仙沼線BRT



   一

 朝四時半に目が覚めた。窓の外を見ると漁火を煌々と灯した漁船が港の沖合を行き交っている。なんだ、あれは。そう思っても眠気が勝って再び寝てしまう。夜が明けると空は晴れていた。昨夜の雨がウソのようだ。
 昨日は宮古から気仙沼までバスと鉄道を乗り継いで三陸沿岸百三十キロを縦断した。盛から気仙沼まではJR大船渡線BRTでの移動だった。
 そしてきょう、二○一四年十一月三日は、気仙沼から柳津までJR気仙沼線BRT(五五・三キロ)に乗る。
 BRTとはバス・ラピッド・トランジット(Bus Rapid Transit)の略称で、日本語では「バス高速輸送システム」と呼ばれている。正確にBRTと呼ばれるためには、専用車線・道路、車外(駅など)での運賃の徴収、交差点通過時の優遇、乗降口の段差がないことなどいくつかの条件があるようだ。大船渡線・気仙沼線BRTがこの条件を満たしているかどうかはなんとも言えないが、名乗ったもん勝ちというところも少なからずあるだろう。
 三陸沿岸部のほかの鉄道と同様、大船渡線も震災で大きな被害を受けた。内陸部を走る一ノ関〜気仙沼間は二○一一年四月一日に運転再開したものの、気仙沼〜盛間は鉄道ではなく、仮復旧という名目で二○一三年三月二日にBRTでの運行がはじまった。
 JR東日本のBRT関連のホームページによると、BRTなら地震・津波発生時も自力で逃げられる、まちづくりに合わせて柔軟なルート変更が可能、震災前の鉄道より一・五倍から三倍まで運転本数を増やしている、といったBRTならではのメリットをとりあげている。仮復旧とはいいながら、「鉄道で復旧させなくても、もう、これで充分なんじゃないの?」といいたげではある。
 事実を客観的にみれば、陸前高田〜盛間の本数は震災直前が上下十九本、BRTが上下五十一本で、本数はおよそ二・六倍に増えており、「高田病院」「奇跡の一本松」など地元の暮らしや観光の需要に応えるべく新駅、臨時駅が五駅ほど新設されている。バス車体や駅の看板・サインなどは赤を基調としたデザインで統一されていて、ブランドイメージを醸成しようという姿勢がうかがわれる。
 走行ルートもわりと頻繁に変更されている。昨年私が訪れたときは、大船渡線の線路跡を利用した専用道路の区間は盛〜大船渡間、小友(おとも)駅などごく短い区間でしかなく、これでBRTを名乗るのはいかがなものかという状態だったが、昨日乗ったときには専用道路区間は増えていた。大船渡は逆に元の駅跡地から県道沿いに移されていたが、そこから先、だいぶ長い区間が専用道路だったようである。せっかく乗ったのに、居眠りをしてしまったためよくわからなかったのだが、あとで調べてみると、気仙沼〜盛間四三・七キロのうち一三・七キロまでが専用道路区間で、大船渡の先からは小友まで専用道路が続いている。小友まで延びたのは昨年二○一三年九月のことで、このとき細浦を回らず国道45号線の通岡(かよおか)峠を通っていた便はすべて廃止されている。
 しかしJRがみずからBRTで充分というのは危険を多分に孕んでいる。もしこうした意味で本当にバスが良いのなら、JRのほとんどのローカル線はバスの方が良いことになってしまう。この発想が極端に進めば、鉄道事業の根幹を揺るがし、組織の存在意義をも失いかねない。

 きょう、私たちが乗る気仙沼線は大船渡線よりも先にBRTとして仮復旧を果たしている。震災から一年半ほど経った二○一二年八月二○日にまず代行バス扱いでBRT暫定サービスを開始。その四か月後の十二月二二日にBRTでの運行がはじまっている。
 BRTでの仮復旧については自治体とも協議したというが、果たして地元の人びとはどこまで了解したのだろうか。あくまで一時的なもの、仮設であると限定しての了解なのか、それともひょっとしたらこのまま鉄道での復旧はしないかもしれないということを含んでの了解なのか。
 三陸沿岸に鉄道を通すために人生を捧げた人びとは数知れない。宮脇俊三『全線開通版 線路のない時刻表』(講談社文庫)によれば、三陸を縦貫する鉄道を先頭に立って推進していた当時の宮古市長は三陸鉄道開通の三年前に亡くなったとある。志津川の町長は気仙沼線開業の一年前に、岩泉町長は岩泉線開業の一週間前に亡くなった。
 宮脇さん曰く、「ヤマ場にさしかかったとき、それを越えてホッとしたとき、開通日決定まで漕ぎつけたとき、祝賀の準備を万端整えたときなどに、生命の危機が首長たちを見舞うらしいのである。それは偶然の死ではないだろう。」
 鉄道の開通が地域の発展につながる。そう信じて命を賭けた人たちがいることを思うと、BRTで充分などと軽々しくはいえない。前谷地から八戸までいったんつながった三陸沿岸の鉄道が再び途切れてしまったこともとても残念だ。
 そうはいっても鉄道敷設にはたいへんなお金がかかる。現に三陸鉄道の復旧には百八億円もの費用がかかった。それだけのお金をかけたところで、利益が出ないようでは復旧させる動機は失われる。いまは道路が整備されているから、昔ほど鉄道は必要とされていないという意見もある。三陸沿岸部の全路線が三陸鉄道に譲渡されるのなら黒字路線として生き返るのではないか? という妄想も脳裏をよぎるが、あまり現実的な話ではない。
 最終的に鉄道で復旧させるべきか、それともBRTの仮復旧のままで良しとするか。答えは簡単に見つかりそうもない。



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