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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》
第64号 全線復旧三陸鉄道(南リアス線)



   一

 山田町から釜石へ向かうバスを途中下車して、私たちは「マスト」と呼ばれるショッピングセンターを訪れた。「マスト」というのは施設の名前で、その中に「マイヤ」というスーパーマーケットと洋品店、銀行、書店、床屋、美容院などの専門店街があり、さらに別棟には「ホーマック」というホームセンターがある。二十年以上前から営業している地元資本の複合商業施設で、震災で九か月の休業を強いられたという。
 朝の九時半だから営業前かと思ったが、お客さんはかまわず出入りしている。中に入ったら「マイヤ」もほとんどの専門店もすでに開店していた。
 あちこちと見て回る。ここにも洗面器サイズのイクラがあった。道の駅より四百円高い四千八百円だった。鮭が一匹丸ごと並んでいる。大きさによって値段は微妙に異なるが、オスはだいたい四千円弱、メスは七千円前後で売られていた。イクラがだいたい三千円という計算になる。
 洋品店にも、書店にも、ホームセンターにも商品はたくさんあふれていた。ここだけを見れば大槌もふだんの生活を取り戻しているように見える。実際の町は、まだ草茫々だったり、土の山が出来ていたり、復興はまだ道半ばという状況だ。バスに乗ってやって来るおじさんやおばさんは、モノだけでなく日常も探しにここに来るのかもしれない。
 バスが来るまでの時間で、このあたりの山田線はどこを走っていたのだろうと駐車場周辺をうろうろ探す。盛土の上を走るバス通りに登ってみても、さっぱり見当がつかない。この付近も津波の被害は大きかったはずだから、線路は剥がされてしまったのだろうか。
 山田線は駅だけでも磯鶏、津軽石、陸中山田、織笠、浪板海岸、大槌、鵜住居が津波の被害を受けている。陸中山田は津波の漂流物が発火したのか、駅舎やホーム、跨線橋などが火災にも遭っている。宮古〜磯鶏間の閉伊川橋梁の橋桁は落ち、路盤が流失した区間も少なくない。重茂半島のつけ根や船越付近など被害のほとんどない区間も多いが、それでも元通りに復旧するとしたら百億円以上の資金が必要だろう。
 三陸鉄道が復旧できたのは第三セクターとして国などから補助金が受け取れたからだが、JRは建前は私企業だから補助金が出ない。良くも悪くも、本音と自覚は公企業のJRだから補助金が出ないことにへそを曲げ、山田線をはじめ津波被害の大きかった区間の復旧をまともにしないのである。たしかに自己資金で鉄道を復旧させたとしても、ローカル線区間であるだけに営業収益によって投下資金を回収できる見込みはほとんどなく、その点、JRの言い分にも理はある。しかし復旧させるつもりがないのなら、せめて山田線の宮古〜釜石間は三陸鉄道に譲渡できないものだろうか。国鉄からタダでもらった線路を高値で売りつけるんだろうが、それでもこのまま放置するよりはいい。
 ちなみに「マスト」付近の山田線は、あとで調べたら「マスト」のすぐ裏側(南側)を通っていたようだ。私は現地でバス通り側(北側)ばかり探していたので見つからなかった。

 10時03分発の上大畑行きのバスが来た。国道45号線に出て南下する。
 大槌湾に面するもう一つの集落が鵜住居(うのすまい)で、半島のつけ根を越えた両石湾に面するのが両石(りょういし)という小さな漁村だ。どちらもリアス式の狭い谷で津波被害が大きかった地区だ。鵜住居では土砂が山のように積まれ、両石では防潮堤の工事が進んでいた。両石付近の国道は片車線が流されて、昨年は片側相互通行の区間があったが、いまは復旧している。
 鵜住居から市域は釜石市だが、両石を過ぎて鳥谷坂トンネルを抜けた先が釜石の中心市街地である。バスは国道を外れ、中心街を東西に走るバス通りに出る。釜石駅まであと七百メートルほどあるが、岩手銀行前バス停で降りた。ここからは避難場所になった丘に登ったりしながら、歩いて駅まで行きたい。
 市街地の北側にある丘の麓をうろうろするが、昨年も来た避難通路への入口がわからない。「津波避難場所」と書かれた丘への階段があるものの、どうも様子が違う。
「とりあえず、登ってみようか」
 釜石のぞみ病院脇の階段を登る。観音堂を横にみながら階段を登る。途中まで登っても木々が視界を遮って市内を見渡すことができない。「もう少し登ってみよう」みつこさんに声をかけながら階段を登る。どこまで行けば視界はひらけるのか。陽の光がやけに熱く感じる。額や背中に汗が滲み出てきた。
 登り切ったところは公園になっていて、結局、私が行こうとしていた高台とは違った場所だった。息が切れる。もう汗だくだ。二人でベンチになだれ込む。上着を脱ぎ、セーターを脱ぎ、シャツ一枚になる。昨日までの寒さはなんだったのか。みつこさんは用心してタイツまで履いてきたので脱ぎたいといっている。
 行こうとしていたところに行けなかった無念と暑さと疲れが入り混じってガクンと肩を落とす。みつこさんは「違うところに来れたからいいじゃん」という。眼下に広がる街並みを眺める。ずいぶん登った。八階建のビジネスホテルが同じ高さにみえる。いつの間にか海沿いにスーパーのイオンができている。
 たどり着いたところは薬師公園というところらしく、白い平和の像が建っている。しかしここからは港が見えない。やはり昨年来た、あの高台に登らないと釜石に来た感じがしない。宮古市役所前の歩道橋と同じである。
 時計を見るとまだ十一時前だ。まっすぐ駅に向かったとしても駅で時間が余る。駅でぼんやりするくらいだったら、行きたいと思っていた高台を再訪したい。
「ここでしばらく休んでから、ゆっくり行こう」とみつこさんを説得して、もう一度出直すことにした。
 いったん市街地に降りて、駅とは反対方向へ歩く。ところどころ地盤のかさ上げ工事をしている。そのままの土地に新しく建物をたてたところもあるのに、そうした区画とのバランスはどうするのだろう。
 めざした高台の避難通路は国道の東側にあった。浜町という一画の北側にあたる。再び階段を登ってゆく。みつこさんは暑さと疲労でかなり参っていたが、「あとちょっとだから」「あの太陽電池があるところまで行こう」などと声をかけながら登った。そこへてんとう虫の群れが容赦なくみつこさんを襲う。
「きゃーっ!」虫なんて適当に追いはらえばいいのだが、山手線の内側で生まれ育ったみつこさんにとっては難敵である。「なんで顔にぶつかってくんのー」
 顔についたてんとう虫をとってあげたりしながら、ようやく町と港を見下ろせる場所に着いた。あの日、避難した子供たちが街を飲みこむ津波をみて泣きじゃくっていた丘だ。
 ここから見える景色は土の山がところどころ出来ている程度で、昨年とあまり変わっていない。製鉄所から白い煙があがっている。海は青く、波は穏やかだ。



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