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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》
第62号 全線復旧三陸鉄道(北リアス線・前編)



   四

 列車は宇部トンネルへ続く坂道をゆっくりと登ってゆく。トンネルを抜けて陸中宇部、さらに谷あいの平地を走って海沿いに出て、陸中野田に停車する。反対側のホームから久慈行きの列車が発車した。
 運転士から定刻より三分遅れていると車内アナウンスがあった。雨と枯葉で車輪が空転しスピードが出せないのだという。駅を出てしばらくしてもやけにゆっくり走っていると思ったら、そういうことかと合点がゆく。雨で窓は開けられず、それにもかかわらず車内は満員なので窓ガラスは瞬く間にくもってしまった。乗客たちは手やティッシュなどで窓を拭いては外の景色を眺めている。
 久慈から陸中野田までの区間は内陸部を通っているので、被災後もっとも早く三月十六日に運転が再開されている。ところが陸中野田〜野田玉川間は十府ヶ浦海岸のすぐ近くを走っていて、線路は路盤ごと津波に流されてしまった。田野畑〜陸中野田間の運転再開が一年後になったのはこの区間の復旧に時間がかかったためである。
 列車はその十府ヶ浦海岸付近を走っている。通常よりもさらにゆっくり走っているのはまだ路盤が不安定だからだろうか。車内が急にしんとなった。乗客の息を飲む様子が異様な圧力になって伝わってくる。くもったガラス窓をしきりに拭きながら窓の向こうを覗いている。砂浜のほかは真っ平らな更地と重機ばかりである。おそらくここもかつては家並みが続いていたに違いない。砂浜の途中から建設中の防潮堤が出てきて、視界は遮られてしまった。
 線路は再び高台に登り、野田玉川〜堀内間で安家(あっか)川橋梁を渡る。長さ三○二メートル、高さ三二メートルと三陸鉄道でもっとも長くて高い。昨年、私が乗車したときは橋梁の途中で停車し、外の景色を撮影することもできたのだが、きょうは列車が遅れているため徐行に留まった。運転士が申し訳なさそうにアナウンスしている。
 まもなく堀内(ほりない)に着いた。「袖ヶ浜駅」として『あまちゃん』によく登場していた駅で、昨年は見学のために五分ほど停車していた。そのとき聞いた知識で、海岸に浮かぶ夫婦岩というのがあって列車の窓からもみえる。
「みちゃん、あそこに岩がふたつ並んでいるの、見える?」
「あー、あるある」
「あれ、夫婦岩っていうんだって」
「わかった。おぼえた」
 ところがきょうはそうした解説はなかった。列車が遅れているから、ゆっくり停車する時間もないようだ。運転士はまたも申し訳なさそうにアナウンスして列車を発車させた。その先にある大沢橋梁も徐行しただけだった。右上にそびえる国道45号線の橋は赤い塗色が特徴だが、きょうは修繕の足場に囲われて橋の色は見られなかった。

 みつこさんが「どこまで来たんだっけ?」といいながら運転席上に掲げられた運賃表を見上げる。北リアス線、南リアス線の各駅相互の運賃が一覧になったものだ。
 見ているうちに、みつこさんは全然関係ないところに目が行ってしまう。
「あれ、なんて読むの?」
「どこ」私もみつこさんの指さす方を見上げる。
「もり……?」
 どうやら南リアス線の方を見ている。盛駅のことらしい。
「あれは『もり』じゃないよ、『さかり』って読むんだよ」
「えー、読めないよォ」
「うん、あれは知らないと読めないね」
「じゃあ『もり』でいいね」
「ダメダメ、『さかり』って読まないと」
 長いトンネルを抜け、白井海岸に停車し、短いトンネルをいくつか抜けて普代に着いた。パックツアーの旅行客がどどっと降りて半分ほど空席が出たので座ることにした。
 普代から田老までの三二・二キロは、当初から三陸鉄道として開業した区間である。トンネルと高架の区間が多い。全長四七○○メートルの普代トンネルを抜け、田野畑に着いた。ここも『あまちゃん』に登場した駅らしく、駅名標が劇中の「畑野」に変わっていた。
 田野畑から島越(しまのこし)を経て小本までの一○・五キロがことし四月、いちばん最後に運転再開を果たした区間である。トンネルをいくつか抜け、島越に着いた。13時17分ごろ、九分ほど遅れての到着である。みつこさんと私のほか何人かが列車を降りた。雨がぱらぱらと降りつけている。列車が発車するのを見送ってから駅舎に駆け込んだ。
 真新しい駅舎はレンガ色のタイルを貼ったおしゃれなデザインだ。ホームから見て左側が土産物などの売店、右側が展示コーナーになっている。売店にはお茶を飲んだりするイスとテーブルも置いてある。
「ここでなにか食べられるね」みつこさんがいう。
 列車に乗っているとき言われて気づいたのだが、久慈で展示物に見入るあまり、弁当を買うのをつい忘れてしまった。ここは弁当は売っていないが、お菓子をつまみながらお茶くらいはできるだろう。
 展示コーナーには三陸鉄道の沿線風景をイメージしたNゲージのジオラマや、プロ・アマの写真家が鉄道の復旧の様子を撮影した写真が展示されている。
 その一角に志村けんと横綱白鵬が両脇に立っている顔ハメ看板がある。みつこさんが見逃すはずがない。
「ねえ、写真撮ってよ」
 というので順番を待って撮ることにした。先に撮っていた人たちはなぜか白鵬だけを入れて撮っているが、私たちは志村けんさんも白鵬関も敬愛しているのでどちらかを外すわけにはいかない。念のためみつこさんに「志村けん、外す?」と聞くと、
「なんで外すのよ」
 と不満げだ。さすがはみつこさんである。
 ホームとは反対側の屋外に出る。ところがここから外に出る通路がない。駅舎周りのウッドデッキまでは出られるが、柵がめぐらされている。柵の外は工事現場さながらの様相で、いまのところは駅の外へ出るにはホームに戻って、ホームからつながっている仮設の階段を利用するしかないようだ。
 島越は津波ですべてが流された。東は海、南北を山に挟まれた谷あいの漁村である。その小さな谷を津波が襲った。谷が小さいほど波は高くなる。港も、町も、駅も、なにもかもが流された。三陸鉄道のレールはコンクリートの高架橋で谷を渡っていた。その高架部分にホームがあったのだが、頑丈と思われた橋はことごとく破壊され、残ったのは駅舎に続く階段九段と宮沢賢治の詩碑だけだった。
 復旧するためにはもういちど線路を敷き直すことからはじめなければならない。だから運転再開までに三年の歳月を必要とした。
 昨年六月、私は田野畑から小本まで、島越に寄ってもらいながらタクシーで沿線の様子を見て回った。そのときタクシーの運転手から鵜ノ巣断崖に行ったらどうか、と勧められたが行かなかった。そのとき鵜ノ巣断崖に行かなかったのが、なんとなく心残りになっていたので、きょうは行ってみようと思う。なにか食べるのは後回しにして、タクシー会社に電話をかけた。

(第63号 全線復旧三陸鉄道(北リアス線・後編)へつづく)



第63号 全線復旧三陸鉄道(北リアス線・後編) 一
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