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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》
第62号 全線復旧三陸鉄道(北リアス線・前編)



   三

 久慈から発車する三陸鉄道北リアス線の列車は12時15分発だ。接続は良いが、駅周辺をゆっくりみる余裕はあまりない。
 JRから三陸鉄道へ直接渡る跨線橋は閉鎖されているので、いったんJRの改札口を出ないといけない。雨がぱらつく駅前に出る。駅前広場の正面にどんと構えるJRの駅舎に対し、その左側の広場の隅の方にこぢんまり佇んでいるのが三陸鉄道の駅舎である。
 三陸鉄道の駅舎の前に三陸鉄道の車両を象った「顔ハメ看板」がある。近ごろみつこさんの中でこの「顔ハメ看板」で写真を撮ることがブームになっていて、八戸駅でも八戸三社大祭の虎舞で写真を撮ったばかりである。ここでも撮りたいというので、写真を撮ってあげた。
 顔ハメ写真を撮っていると、見知らぬ人が「きょうはテレビのロケがあるらしくて、特別に『北三陸駅』になっているんですよ」と教えてくれる。駅舎のオレンジ色の庇をよく見ると「三陸鉄道」「久慈駅」とあるはずの文字プレートが「北三陸鉄道」「北三陸駅」になっている。二○一三年に大ヒットとなったNHK連続テレビ小説『あまちゃん』は、この久慈市周辺と三陸鉄道北リアス線がロケ地だ。ドラマでは久慈は北三陸、三陸鉄道は北三陸鉄道として登場している。そのドラマの設定どおりに駅の看板がつけかえられている。この三連休限定だそうだ。
 駅舎内の待合室は乗客でごった返している。パックツアーの観光客がいるようだ。ふだんもそうなのか、三連休だけなのかわからないが、待合室は『あまちゃん』関係のグッズやポスターで埋め尽くされていた。出演者たちのサインも飾られている。天野アキ(能年玲奈)と足立ユイ(橋本愛)がアイドルとして歌っていたときの赤と青のドレスが展示されていて、自由に着て記念写真を撮っていいと書いてある。みつこさんに勧めたが、「いいよ」と断られてしまった。写真を撮りたいのはあくまで顔ハメ看板だけらしい。あとから来た地元の女子高生もドレスは着なかったが、互いにカチューシャをつけたりしてはしゃいでいた。
 きょうは久慈から宮古まで北リアス線の全線(七一・○キロ)に乗るが、途中の島越(しまのこし)でいったん降りようと思う。島越は小本と田野畑の間にある駅で、北リアス線でもっとも被害が甚大だったところである。窓口で島越までの切符を買うと二人分が一枚になった切符を手書きでつくってくれた。

 改札へ抜ける出入口の脇には「三陸鉄道開業30周年 祝 三鉄全線復旧」の寄せ書きが書かれた手ぬぐいが額装されている。震災から三年、ようやく叶った北リアス線・南リアス線全線の復旧だった。ここまでの経過を時系列に沿って書けば数行にしかならないが、三陸鉄道関係者にしてみれば遠く険しい道のりだったろう。
 二○一一年三月十一日  被災
  同   三月十六日 (北)陸中野田〜久慈間で運転再開
  同   三月二十日 (北)宮古〜田老間で運転再開
  同   三月二十九日(北)田老〜小本間で運転再開
 二○一二年四月一日  (北)田野畑〜陸中野田間で運転再開
 二○一三年四月三日  (南)盛〜吉浜間で運転再開
 二○一四年四月五日  (南)吉浜〜釜石間で運転再開
  同   四月六日  (北)小本〜田野畑間で運転再開
 被災後、三陸鉄道は被害全貌の把握よりも、被害の少ない箇所から運転再開することを優先させたという。それにしても被害が小さい区間だったとはいえ、地震からわずか五日後に陸中野田〜久慈間が運転再開されたことは驚くべきことだ。三月十六日といえば東京にいる私たちでさえ、コンビニの棚が空だったり、計画停電があったり、まだ落ち着きを取り戻せていなかった。走りはじめた列車は「復興支援列車」と名づけられ、本数も少なくスピードも出せないからと三月中は運賃無料での運行だった。
 宮古〜小本間、陸中野田〜久慈間が運転再開されていた二○一一年七月二日に私たちは「バカップル列車 第50号 三陸鉄道復興支援列車」を走らせている。当時は小本〜陸中野田間と南リアス線の全線がいつ復旧するかは見えない状態だった。陸中野田〜久慈間に乗ろうにも久慈までの足が充分でなく、日程に余裕もなかったので、宮古〜小本間だけの乗車だった。信号機は使えないので横を向いていて、係員がホーム先端に立って手旗信号で発車の合図を出していた。
 このとき小本駅で撮った写真はとても他人様に見せられるような代物ではない。列車の前に並んでいるのに、二人とも表情が真っ暗だった。
 私たちが訪れたおよそ二週間後の株主総会で望月正彦社長は、国の補助次第という前提のもとに三年後の全線復旧を宣言した。復旧工事には百八億円もの費用が必要だが、十一月には国の支援が得られることが決まった。その後、区間ごとの復旧計画が立てられ、実際ほぼ計画通りに運転再開を果たしている。
 バカップル列車ではないが、昨年(二○一三年)六月、私は単独で三陸鉄道を訪れている。このときは北リアス線の田野畑〜陸中野田間、南リアス線の盛〜吉浜間が運転再開されていた。久慈から田野畑までの列車には観光客が乗ってきて、二両のディーゼルカーは立ち席客がでるほどに満員だった。『あまちゃん』の放送中だったこともあり、その効果は絶大だった。
『あまちゃん』グッズであふれる待合室を見ている間に列車の発車時刻は迫ってきた。改札口を抜けてホームに向かう。すでに多くの人たちが列車に乗り込んでいるから、着席はできそうにない。跨線橋の階段を登ると、ここにも列車の前面を象った顔ハメ看板があった。みつこさんが顔を出している写真を撮って、雨のぱらつくホームでも列車の前で記念撮影。きょうは笑顔で写真が撮れた。
 列車は36─100形ディーゼルカーの二両編成で、二両目には花柄のラッピングがほどこしてある。車内は予想通り満席で、しかたないので二両目のいちばん後ろに立つことにした。運転席横のスペースは乗客も立ち入れる構造になっていて、後方の様子が見える。前方が見える一番先頭の同じ位置はすでに乗客でいっぱいだった。
 12時15分、宮古行き112Dが発車した。エンジンを唸らせてディーゼルカーがゆっくりと進んでゆく。
 後方の窓から去りゆく景色を眺める。列車は駅のはずれでJR駅から延びてきたレールと合流するが、そのポイントはJR側がまっすぐで、三陸鉄道側がカーブだ。久慈から普代まではもとは国鉄の久慈線で、三陸鉄道開業時に八戸線・久慈線のホームの脇に三陸鉄道のホームを作ったのでそうした構造になっているのだろう。八戸線は国鉄線として存続し、やがてJR線になったが、久慈線は一九八一年に廃止が決まったので、路線が三陸鉄道に継承されたのである。



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