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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》
第62号 全線復旧三陸鉄道(北リアス線・前編)



   二

 久慈行きの列車は八戸駅二番線を10時07分、定刻通りに発車した。キハ40形ディーゼルカー二両編成で、私たちは二両目の左側のボックス席を確保し、窓側に向かい合って座った。
 旧東北本線である青い森鉄道線と分かれ、列車は八戸市街をゆっくりと抜けてゆく。馬淵(まべち)川を渡る。隣にも鉄道の鉄橋が川を渡っている。みつこさんがその鉄橋を指して、
「あれはどこへ行くの?」
 と訊いてくる。
「貨物線だよ」
 そう答えるとみつこさんは「ふうん」といってその話はそれで終わってしまった。どこへ行くかを答えてないのにいいのかな? と思っているうちに列車はどんどん進んでゆく。
 本八戸でおっさんやおばちゃんたちがどやどや乗ってくる。このあたりは八戸の中心街で、地元の人たちの利用が多い。地味な出で立ちのおっさんたちはたいてい手にスポーツ新聞を持っていて、みつこさんはそうしたおっさんが隣りに座るのを嫌がる。次の小中野からも乗ってきて、各ボックスにぽつぽつあった空席が次第に埋まっていく。席の空いているのが私たちの隣を含めほんのわずかになってきて、みつこさんがだんだん不安顔になる。陸奥湊でおばちゃん二人組が乗ってくると、みつこさんは手招きするぐらいの勢いでおばちゃんに席を勧めた。おばちゃんたちはにこにこと「すみません」といいながら、通路側に向かい合って座った。
 車窓は商工業地帯から八戸郊外の住宅地に移っていく。窓から見ているだけでも明らかに空き家と思われる家がぽつぽつある。母屋ではないが、屋根が陥没してほとんど崩れている家、窓の障子がことごとく破れている家……、八戸のような大きな町でも過疎化は進んでいる。
 鮫でもおっさん、おばちゃんが乗ってきて、座席はほぼ満席になった。窓の外にはウミネコ繁殖地として知られる蕪島(かぶしま)が見えてくる。島のてっぺんには神社があって赤い鳥居がある。ウミネコが蕪島と近くの岩場に無数に群がっていて鳥肌が立ちそうになる。
「島っていっても陸とつながってるね」というみつこさんに「陸繋島なんだよ」と答えたが、じつは潮の流れで砂がたまってつながったものではなく、人工的に埋め立てたものらしい。
 たまたま見つけた道路端の立て看板に「万引きは心に残る永久のキズ」と書いてあって二人で思わず吹き出してしまった。「永久(とわ)の」ってところがいいね、などと言葉のセンスを褒め称える。
 列車は小さな半島を海に沿ってぐるりと回り、種差海岸の松林を過ぎてゆく。種差海岸駅を出ると海沿いに広がる家並みの中を進む。畑のあちこちに大根が干してある。保育園の園外学習なのか、グランドでちっちゃな子供たちがたくさん遊んでいて、にこにこと列車に向かって手を振っている。こちらも手を振って応えるが、私たちには気づいてないようである。

 10時53分、若干遅れて階上(はしかみ)に到着した。上り列車とすれ違う。隣に座っていたおばちゃん二人が降りていった。
 階上はこの先の陸中八木と同様、二○○五年までJR最後の腕木式信号機があった駅だ。私たちはタブレット交換と腕木式信号機がなくなる直前に八戸線で「バカップル列車 第9号」を走らせている。
 列車が発車するとき、駅前に腕木式信号機が立っているのがちらりと見えた。おそらく最後までこの駅で活躍していたものが、移設されたのだろう。
 階上から十分ほど走って種市に着く。距離は近いが階上までは青森県、種市は岩手県にある。種市で地味な出で立ちのおっさんたちがぞろぞろと降りてゆく。近くに場外馬券売場でもあるのだろうか。列車を降りたおっさんたちはホームに溢れ、改札口に殺到している。この瞬間だけ都会の通勤ラッシュのようだ。ある意味、おっさんたちは毎週ここに通勤しているのかもしれない。おっさんたちがいなくなって、車内は急にがらんとなった。
 宿戸を過ぎると砂浜が弓なりに続いて小さな湾のようになっている。その湾に沿ってゆっくりと列車が走る。八戸線で私がもっとも気に入っている区間だ。湾を過ぎると小さな岬が海に突き出ていて、線路もその突端を回り込む。回り込むと小さな漁港があって陸中八木に着く。階上と同様、最後まで腕木式信号機があって、タブレット交換が行われていた駅だ。
「待合室、新しいね」
 みつこさんが何気なくいう通り、ホームにぽつんと建つ待合室は田舎駅にしてはモダンなつくりで、入口のガラス戸には文字とともにピクトグラムまでレタリングされている。
「みちゃん、この駅、流されたんだよ」
「はっ」そういった切り、みつこさんは黙り込んでしまった。
 ホームの目の前はすぐ海である。標高差はほんの数メートルでしかなく、津波に流されなかったはずがない。線路の山側にある新しい駅舎の方は津波被害で復旧されたものではなく、二○○八年に建て替えられたものらしい。タブレット通票を扱う赤い機械が「チンチン」「ボンボン」と鳴っていた駅舎は、いまはもうない。
 二○一一年三月十一日の東日本大震災で八戸線は一時全線が不通になったが、十八日には八戸〜鮫間で運転再開、二十四日には鮫〜階上間で運転再開されている。ところが四月七日の余震で再び全線不通。十日に八戸〜階上間は運転再開となったが、階上から久慈まではバスによる代行輸送を余儀なくされた。八月八日には種市まで運転再開したものの、種市〜久慈間の復旧は翌二○一二年三月十七日まで待たなければならなかった。もっとも被害の大きかったのが私の好きな宿戸〜陸中八木間だ。すぐ前が砂浜という海岸を走る。その途中にある大浜川の鉄橋が流失して、それが運転再開を大幅に遅らせる原因になった。
 陸中八木から有家(うげ)までもきれいな砂浜が続く。こんな季節なのにサーフィンをやってる人たちがいた。陸中中野を過ぎると線路は山あいに入る。ところどころ葉が赤や黄色に色づいている。二、三分遅れて11時53分ごろ終点、久慈に着いた。



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