homepage
走れ!バカップル列車
第60号 京阪電車大津線



   四

 石山寺には15時33分に着いた。そしてホームに降りたって謎が氷解した。
『中二病でも恋がしたい!』のラッピングがお目当てのおたくの人たちが先頭車に終結していたのだった。「だからかあ」と二人で納得する。私は鉄道で、彼らはアニメで互いに分野は違うが、うろうろしたり、写真を撮ったり、一人でにやにや笑ったり、行動パターン的には共通するものがある。
 彼らはこのラッピング車両で一斉に浜大津方面に戻る。私たちは帰りは先頭車で運転席越しに前方を眺めたいので、この車両の折り返し列車は見送って、次の15時50分発に乗ることにした。反対側のホームにやってきた電車は緑のツートンカラーに塗られた京阪の通常の塗色のものだ。車内は空いている。
 オダギリ・ジョー似のイケメン運転士がハンドルを操作して、坂本行きの電車は発車した。時折雨がぱらつく中、まっすぐ北に進み、名神高速、東海道新幹線の下をくぐると唐橋前である。「急がば回れ」のことわざの発祥といわれる瀬田の唐橋が近くにあるらしい。駅のすぐ北側には踏切があって、その脇に「旧東海道」と立て札があった。
 国道1号線の陸橋をくぐり、左、右、左と鍵型にくねくね曲がると京阪石山である。盛り土の坂を登り、陸橋で東海道線を越える。左には広大な東レの工場があって、東海道線を越えた先の右側にも煙突や無骨な建物がいくつも並ぶ工場地帯がにわかに現れる。工場を過ぎると再び静かな住宅街になり、粟津、瓦ヶ浜、中ノ庄と五百メートルほどの短い間隔で駅が並んでいる。電車は民家の軒先を縫うようにしながら左へ右へと鍵型にカーブを繰り返す。なかなかスピードは出せない。
 膳所本町からはもっとも古い区間となる。京阪膳所は東海道線の膳所に隣接している。ここから浜大津までは一八八○(明治一三)年に官設鉄道として開業した区間で、線路はまっすぐ敷かれている。一九一三(大正二)年に大津電車軌道が営業を始めてから官設鉄道は貨物だけの営業となったが、国鉄の貨物輸送は一九六九(昭和四四)年まで続いている。一九四七(昭和二二)年に江若鉄道(浜大津〜近江今津間)が浜大津から膳所まで延伸開業しているが、これも線路は国鉄、京阪と共用での運転であった。江若鉄道の膳所乗り入れは、一九六五(昭和四○)年に廃止されている。
 電車は石場、島ノ関と大津の中心街を北西に走る。琵琶湖までの距離は二百メートルほどで、ビルの隙間から青い水面がちらちらと見える。駅に停まるたびに車内は混んできて、立っている乗客も多くなった。島ノ関から乗ってきた二人の女子高生が私たちの向かいの優先席にどっかと座り、スナック菓子をぽりぽり食べている。

 浜大津で多くの乗客が入れ替わり、出発信号機が黄色になって電車は発車する。正面は交差点である。浜大津駅の西側は駅を出たところが全面的に道路であるところが特異だ。出発信号機は黄色でも、交差点の信号機が赤なので、電車は数メートルだけ動いて交差点の手前で再び停止する。やがて道路の信号が赤のまま、黄色い矢印の信号だけ点灯し電車は交差点に進入、そのまま国道でも県道でもない細い道路を三百メートルほど走り抜けてゆく。複線の線路の残りは車道一車線分の幅しかない。道の脇を歩く人びとも、自動車も、なにごともなく二両連結の電車を受け容れている。
 次の三井寺からは道路併用ではなく専用の軌道である。しかもここから坂本までは軌道ながら、ふつうの鉄道の規格で建設されたという。石山から膳所本町のあたりが急カーブの連続なのとは対照的に、線路はまっすぐ北に延びている。並行しているJR湖西線よりカーブは少ない。
 学校や公園が並ぶ一角を走って皇子山に着いた。頭上には湖西線がクロスしていて、すぐ脇に大津京駅がある。スナック菓子に夢中になっていた女子高生が突然はっと窓の外を見て叫ぶ。
「あ、皇子山や!」
「やばやばっ、降りな!」
 乗り込んでくる客を掻き分けてどかどか降りてゆく。周りのおばちゃんたちが「まあ」などと顔を見合わせながら、にこやかに笑っている。優先席の高校生など立たせるのかと思っていたが、大津の人たちはみんなやさしい。空いた席には呑気に笑っていたおばちゃんが二人座った。
 近江神宮前は車庫のある駅で、この駅止まりの電車も多い。乗務員の詰所もあるようで、運転士がここで交替になる。オダギリ・ジョーが降りて別の運転士が来た。車内には車掌が乗り込んで来る。
 電車は直線の線路をぐんぐん進む。地形を無視して線形を真っ直ぐにしたから、カーブが減った代わりにアップダウンが激しい。かなりの勾配で三○・三パーミルとか、三三パーミルなど、鉄道としては急坂が連続する。スピードは出ているが、路面電車としての面白味はやや欠ける。琵琶湖側には湖西線が並行して走っている。考えてみれば湖西線から見える景色に似てなくもない。南滋賀、滋賀里と過ぎてゆく。近江神宮から先は終点の坂本以外無人駅が続くようだ。さきほど乗り込んで来た車掌が乗客に切符を売り、駅で降りる客から切符を回収している。穴生は「あのお」と読む。知らないとなかなか読めない難読駅名だ。もうひとつ松ノ馬場という無人駅に停車して、16時23分、終点の坂本に着いた。
 駅前の道に出る。ゆるい坂道になっていて、左は比叡山へ続いている。くもり空の下に青々とした山が横たわっている。
 浜大津まで戻り、しばらく交差点を行き交う電車を眺めた。迫力があってとても楽しかったが、歩道橋の上は風が吹きすさび、みつこさんにずいぶん寒い思いをさせてしまった。
 浜大津から地下鉄直通の京津線の電車に三条京阪まで乗った。これで一応、もともとの京津線のルートは辿ったことになる。
 二藤健人さんの衝撃的なインスタレーションと渾身のパフォーマンスを見て、京都駅に戻ったのは二十時ごろだった。
 みつこさんが、
「京都らしいもの食べてないね」
 というので駅ビルの食堂街に来てみたが、どこも行列ができていて、これを待っていたら帰りの新幹線に間に合わない。いかにも京都らしいお店で行列のない店もあったが、お一人様七千円だったりする。これを三十分でかき込むのはもったいない。
 結局、京都らしいものは諦めてもらい、店が空いてたカレーを食べて帰ってきた。



homepage