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走れ!バカップル列車
第60号 京阪電車大津線



   二

 関東から関ヶ原の手前までは天気が良く、雪を戴いた富士山もとてもよく見えたのだが、京都の空はどんよりと曇っていた。
 新幹線乗り換え口と直結している奈良線のホームから黄緑色の電車に乗る。関東では二○○六年に引退した103系電車が、関西では健在である。懐かしいモーター音を聞きながら十五分ほどで伏見城の最寄り駅、桃山駅に着いた。跨線橋の脇に桃色の八重桜が咲いている。にわかに黒い雲が空を覆い、雨が降ってきた。私は傘を持っていない。
「伏見城、やめようか」きゅうに気分が萎えてくる。
「ここまで来たんだから、行こうよ」みつこさんが折りたたみ傘を出しながらいう。「傘、入れてあげるから」
 そうして伏見城まで坂を登って、また降りてくるまでの間、雨は降ったりやんだりしていた。現在の伏見城はテーマパーク用に建てられた史実とは関係のない模擬天守らしいが、東山から続く山並みの南端に位置する城の立地がおおよそ把握できたので、充分収穫はあった。やはり行ってよかった。
 お昼を過ぎたが桃山駅付近には二人で入れそうな飲食店が見当たらなかったので、奈良線に一駅乗って六地蔵駅近くのファミリーレストランでハンバーグを食べた。
「京都まで来てハンバーグか……」とみつこさんはいうが、しかたがない。
 六地蔵から京都市営地下鉄(京都市交通局)東西線に十五分ほど乗り、御陵(みささぎ)に着いた。
 地下鉄の電車はそのまま太秦天神川までいくが、浜大津方面はここで乗り換えである。下車した階の一番・二番ホームからはどちらも太秦天神川方面の電車が、下の階の三番ホームからは六地蔵方面、四番ホームから浜大津方面の電車が発車する。二本のホームが方向別に縦に並ぶ構造で、乗り換えはしやすい。
 四番ホームの次の発車は14時58分発の浜大津行きで、十三分ほど待たなければならない。その間、六地蔵方面の電車は二本来る。ダイヤはきれいにパターン化されていて、六地蔵行きが七分半間隔、浜大津行きが十五分間隔。太秦天神川方面から来た電車のうち、三本に二本が六地蔵へ、残り一本が浜大津へ向かっている。
 京津線からの電車はほとんどが市営地下鉄(太秦天神川方面)と直通しているが、路線図でいうとこの御陵が京阪京津線の始発駅ということになる。京都市中心部から離れたこの駅が路線の起点となっていることも、電車が地下鉄と直通運転していることも、この京津線の複雑な歴史が関係している。
 京阪京津線は、一九一○(明治四三)年に設立された京津電気軌道の軌道路線を前身としている。京都の中心街と大津の中心街を旧東海道に沿って結ぶという構想であった。一九一二(大正元)年に京都の三条大橋(後の京津三条)から大津の札の辻(上栄町と浜大津の間にあった)までの一○・五キロが開業している。一九二五(大正十四)年には札の辻〜浜大津間が延伸され、運転区間としては地下鉄との直通運転がはじまる直前に近い状態になった。浜大津延伸の三か月前には京阪電気鉄道との合併があり、その後、三条大橋や浜大津の駅が移転したり、戦時政策による京阪神急行電鉄への統合と戦後の分離があったり、細かく見るとここでは書ききれないほどの変化があった。
 京阪電気鉄道と京都市との間で、京津線と地下鉄東西線の直通運転について協定が結ばれたのが一九九五(平成七)年、地下鉄東西線の京都市役所前まで直通運転がはじまったのが一九九七(平成九)年十月十二日のことである。このとき京津線の京津三条〜御陵間三・九キロは廃止されてしまったが、地下鉄東西線の三条京阪〜御陵間は地上にあった京津線の路線とほぼ並行しているので、事業主体は京都市に移ったものの、実質的にはこの区間の路線が地下鉄化されたということだ。

 六地蔵方面の電車を二本見送って、ようやく浜大津方面の電車がやって来た。車両は京阪800系といって、地下鉄との直通運転開始に際して導入されたものだ。地下鉄区間も道路併用区間も走り、加えて登山鉄道並みの急勾配、急カーブにも対応するため、実に多彩な機能を備えている。車体は鮮やかな水色とクリーム色に塗り分けられ、窓下に黄色いラインが入っている。先頭車前面のデザインや車内のインテリアなども現代的だ。
 四両編成のうち、一両目と四両目が進行方向に向かって座るクロスシートと進行方向横向きに座るロングシートを組み合わせた座席配置になっていて、二両目と三両目はすべて横向きに座るロングシートだ。私たちはホーム後方のベンチに座っていたので四両目のクロスシートに座る。通勤電車でもあるため、通路は広めにとってあり、左側が一列席、右側が二列席になっている。
 電車は御陵駅を発車すると、やがて車窓がパッと明るくなって地上に出る。右側に見上げる大きな盛り土は東海道線である。京津線の線路は二百メートルほど東海道線に並んで走るが、突然ひょいと逆S字カーブを曲がって東海道線の下をくぐる。ものすごい急カーブで、四両編成の電車が蛇のようにくねくねと右に左に曲がるので思わず目を見張る。墓地の脇の坂を登って、京阪山科駅に着く。東海道線山科駅の脇にあって、その地下には御陵で分かれた地下鉄の山科駅もあるから、ちょっとややこしい。
 電車は山科盆地の家並みを走る。車庫のある四宮を出て、右側から国道1号線が寄り添ってきて追分に停車。ここで伏見へ向かう道が分かれたところから追分という地名がついたという。
 民家が途切れ、左右から山が近づいてくる。次の大谷までの一キロは左に名神高速道路、右に国道1号線に挟まれる区間だ。京津電気鉄道が京都と大津を旧東海道に沿って結ぶとして計画したのはまさにこのルートのことだろう。逢坂山越えを控えているので急勾配が連続する。
 やや右にカーブして名神高速と離れると大谷である。駅が勾配の途中にあって、ホームが坂になっているのがぱっと見ただけでもわかる。山深い谷の底だが、国道を走る自動車の音が付近の静寂を破っている。駅左側の山すそには蝉丸神社があるらしい。
  これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関
 百人一首で有名なこの歌を詠んだ蝉丸がこの近くに庵を結んでいたことにちなんでいる。



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