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走れ!バカップル列車
第59号 津軽線・江差線(後編)



   三

 江差行きの普通列車は定刻6時53分、まだ夜が明けきらぬ函館駅を発車した。
 津軽線の翌日二○一四年二月九日、私たちは五月に廃止される江差線の木古内〜江差区間に乗り、その日のうちに帰京する。
 列車はグレイの車体に黄緑と青の帯が入ったキハ40系ディーゼルカー一両のみ。車内には二十人ほどの乗客があるが、見たところ八割ほどが鉄道おたくと思われるお兄さんたちだ。みつこさんと私は最後にひとつだけ空いていた左側のボックス席を確保した。
 発車してすぐに売店で買っておいた弁当を食べはじめる。みつこさんは「いかめし磯辺揚げ」、私は「いかわっぱめし」。二人とも朝からおなかが空いているので、もりもり食べる。五稜郭を出ると函館本線から左に分岐し、単線の江差線に入った。木古内までは昨夕通った道を戻るのだが、今朝は海沿いの眺めを楽しめそうだ。
 通路を挟んで隣のボックスに座っているお兄さんたちはおそらく鉄道おたく四人組なのだろうが、ガタイのいい男四人がぎゅっぎゅっと身体を寄せ合って座っていて、なんだかいじらしい。男四人だったらボックス席に二人ずつぐらいでゆったり座りたいだろうし、ほかの席だってないわけではないのだが、なぜかこの人たちは行儀が良い。みつこさんも時折、視線を投げかけてはにやにや笑っている。
 七重浜、東久根別、久根別と函館郊外の市街地を抜ける。上磯でこの駅始発の函館行き普通列車とすれ違う。
 上磯からは少しばかり内陸に入り、丘を抜けると海岸に出る。江差線も、並行する国道228号線も、海岸線にほぼ忠実に沿ってゆったりとカーブを繰り返す。
 函館湾の向こうに函館山が見える。函館市内から見る函館山はゆるやかな山に見えるが津軽海峡側は断崖などがあって、なかなか急峻な山だ。四年ほど前、ちょうどこの区間の列車に乗っているとき、みつこさんは函館山を指さし、「あの島、なあに?」と訊いてきたのだが、もう島とは間違わないだろう。曇は低く垂れこめているが空気は澄んでいて、市街から山まで陸続きになっているのがよく見える。山麓にあたる岸辺には貨物船が停泊したり、行き交ったりしている。
 渡島当別で函館行きとすれ違い、さらに走ると渡島半島の山々はいよいよ海岸に迫る。山に押し出された江差線と国道は段違いにわずかな用地を確保しながら斜面にへばりついている。右に左に曲がるたびに函館山は車窓の後方に移ったり、また前方に来たりして次々と違った姿を見せてくれる。函館山、函館湾と津軽海峡、行き交う船……これらが窓いっぱいに広がる上磯から茂辺地、渡島当別、釜谷までの区間は江差線車窓風景の白眉と言ってよい。
 あと何回この車窓を見られるだろう。北海道新幹線が新函館(仮称)まで開通すれば、江差線の五稜郭〜木古内間は廃止は免れても、並行在来線としてJRから切り離され第三セクター化されてしまう。そのときこの区間には普通列車しか走らないから、この景色を眺めるのはますます難しくなってしまう。
 釜谷を過ぎると函館山は後方に隠れるが、列車は泉沢、札苅となおも海岸線に沿って走り、7時54分、木古内に着いた。特急なら函館から四十分そこそこの距離を鈍行列車は一時間かけて走る。しかも木古内では余裕の十四分停車。その間、江差発函館行きの普通列車とすれ違い、新青森行き特急「スーパー白鳥20号」が追い抜いてゆく。
 かつては木古内から松前線(木古内〜松前間、五○・八キロ)が分岐していたが、青函トンネルが開業する一か月ほど前の一九八八(昭和六三)年二月に廃止されてしまった。木古内から渡島吉岡までは走行区間が海峡線と並行しているということもあるだろうが、江差線の末端区間と同じく、利用客が少ないというのが実情だろう。
 駅北側には立派なグレイの建物が城壁のように長く横たわっている。新幹線の木古内駅だ。松前線との分岐駅だったころは地方の田舎駅だっただろうに、青函トンネルと新幹線のためにこんなにも運命が変わってしまった。新幹線の駅にはならなかった蟹田ともまた別の道である。

 江差線は木古内から先、江差までの四二・一キロが今年五月十二日に廃止される区間である。いってみれば鉄道おたくにとってここからがメインイベントであるはずだ。それなのに函館から乗ってきたおたく仲間の何人かは木古内で降りてしまった。
 8時08分、ディーゼルカーは江差へ向けて再び発車した。ホームを出て三、四百メートルほど海峡線の下り線を逆走したあと、江差線の単線の線路は右側へ分岐する。新幹線の高架橋をくぐって木古内の街の中を進んで行く。
 みつこさんが、
「みどころに来たら教えて」
 といって寝てしまった。これからが廃止される区間なのだし、山越えもあるし、こちらとしては「今でしょっ!」という気分なのだが、かまわず寝てしまう。
 隣のボックスの四人組も、そのうち二人はさっきから寝てばかりだ。木古内で降りてしまう人もいるし、きょうの江差線はいったいどうなっているんだと思う。
 次の渡島鶴岡までは郊外の家並みが続くが、それを過ぎるといちめん雪に覆われた耕作地らしき平野が広がる。みつこさんが一瞬目を開けたので、
「ここから山越えだよ」
 といったのだが、聞こえているのかいないのか、返事もしないで再び目を閉じてしまった。
 吉堀を出ると左右の谷が少しずつ迫ってきて列車はやがて峠道に入る。線路脇の雪がぱくりと裂けてその底に水が細く流れている。
 デッキに出て、運転席後ろから前方を眺めることにした。先客はさきほどの四人組のうち茶色いジャケットを着た青年だけだ。廃止前の区間ともなれば運転席後ろのスペースは鉄道おたくで場所の取り合いになるかと思っていたので、かえって拍子抜けだ。もちろん二人だけとはいえ、お互いのテリトリーを守りながら、当たらず触らずかぶりつくのが大事だ。
 次の神明までは距離にして十三・二キロ、時間にして二十二分の山越え区間である。ディーゼルカーはブルブルとエンジンを唸らせてS字カーブが連続する急勾配を登ってゆく。雪に覆われた路盤にかろうじてレールの場所を示す二本の筋が伸びている。左右の斜面には葉の落ちた枝に雪の塊を載せた木々が立ち並ぶ。このあたりはエゾマツなどの常緑樹はなく、秋には紅葉が美しいらしい。
 急斜面の下を通るところではスノーシェッドがあって、列車がくぐるたびに運転士が汽笛を鳴らす。いくつスノーシェッドを通過しただろうか、何度目かのスノーシェッドとつながるようにして稲穂トンネルに入った。ここが峠の頂上で、トンネルを抜けるころにはエンジンの音は消え、運転士はブレーキ弁を細かく操作して下り坂のスピード調節をするようになる。いまだ山深い神明駅に停車。木造の簡素なホームが半ば雪に埋もれるようにして佇んでいる。さらに下ると山あいに集落が現れて湯ノ岱(ゆのたい)に着く。
 湯ノ岱は木古内〜江差間で唯一列車の交換設備のある駅で、朝の二本だけこの駅で列車のすれ違いがある。私たちが早起きして朝一番に函館を出る列車に乗ったのもすれ違いシーンを見たかったからだ。反対側の線路にはすでに函館行きの列車が到着していて、ホームにはカメラを構えたお兄さんたちが四、五人いる。
 湯ノ岱のもうひとつの見どころは、この駅で信号の方式が変わるところだ。ここから江差までは運転士は通行手形のようなものを入れた革製の輪っか(ホルダー)を受けとらないと列車を発車させることができない。運転士が駅員からそのホルダーを受けとるシーンを見ることができる。
 ところが列車が停車するや否や、車内にいた鉄ちゃん、ホームにいた鉄ちゃんたちがドドドとデッキにやってきて、運転席後ろのスペースを瞬く間に占拠してしまった。人並みに押された格好の私は、とてもホームに降りることができない。反対側の列車とこちらの列車が並んでいるところも、運転士が革製ホルダーを受けとるところも充分に見られなかった。かろうじて運転士がホルダーを運転席の後ろ側に置くところをちらりと目にしただけだ。
 いつのまにか函館行きの列車は発車している。デッキに何人かの鉄道おたくを乗せたまま8時46分、列車は湯ノ岱を発車した。
 列車は軽快に坂道を下る。左側に天ノ川がゆったりと流れている。時折、雪がちらつき、窓の外を真横によぎってゆく。
 ようやくみつこさんが目を覚ました。隣のボックスのお兄ちゃんたちがまだ寝ているのを見て、「まだ寝てるよ、この人たち……」「なにしに来たんだ?」「ま、負けた」などと小声でつぶやいているが、私にしてみれば、どっちもどっちである。
 次第に左右の谷が広がって、耕作地のある平野に出る。やがて市街地に入り、日本海沿岸の港町、上ノ国に着く。
 上ノ国から江差までは国道とともに海沿いを走る。町の境界付近は家並みも減り、日本海が間近に迫る。やがて江差の町に入り、丘の上に登って9時17分、終点江差に到着した。
 列車をバックに記念撮影を撮った。駅員が出てきてホームの雪を竹箒で丁寧に掃いている。シャッ、シャッという規則正しい音が誰もいないホームに響き渡っていた。



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