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走れ!バカップル列車
第56号 寝台特急トワイライトエクスプレス(出発編)



   三

 楽しい夢をみた。どんな夢かは忘れてしまったが、とにかく楽しい夢だった。だんだん現実の世界に戻ってきて、いま「トワイライトエクスプレス」に乗っているのだと、ぼんやりした頭で確認する。憧れだった列車に乗って、しかも昼間から横になって居眠りしている。なんて贅沢な時間だろう。こんな時間がいつまでも続くといいのにと思う。
 列車はまもなく金沢に着こうとしている。そういえば夢とうつつの境目をさまよいながら、車内アナウンスが加賀温泉郷や金沢の観光案内をしているのが聞こえてきた。「トワイライトエクスプレス」では車掌がこまめに沿線の観光案内をアナウンスしている。県境を越えると「さきほどの深坂トンネルで滋賀県から福井県に入りました」などといった説明も欠かさずしてくれる。いまは列車で通過するだけの土地だが、いつの日かまたこの土地をゆっくり訪れてくださいという気持ちが伝わってくる。
 15時40分に金沢を発車したところで起き上がり、ソファに座る。みつこさんの前には空になったアイスの容器が置いてある。
「アイス食べたの?」
 わかりきったことだが訊いてみる。
「ひろさんが寝ている間に車販が来たんだ」みつこさんはこんどは家から持ってきた豆をぽりぽりと食べている。
「おいしかった?」
「おいしかったよぉ」
「よかったね」
 窓の外は居眠り前と一転、一面の銀世界である。
「雪じゃん」
「雪なんだよ」
 列車は七尾線が分岐する津幡を通過し、倶利伽羅峠への坂道を力強く進んで行く。山に入るほどに風は強くなり、雪が深くなってゆく。風に吹かれて雪が車窓の向こうを真横によぎってゆく。車内アナウンスは源平盛衰記の倶利伽羅峠の戦いだ。
 高岡、富山に停車して、寝台特急は風雪の中、富山平野を疾走する。滑川、魚津付近で富山湾がちらちらと見える。ホタルイカが群遊し、海底に埋没林が広がるあたりだ。頭上にはどす黒い雲が低く垂れこめていて、雲の隙間から見える空は時々刻々と暗くなる。
 泊を通過する十七時ごろ、空はついに真っ暗になった。「トワイライトエクスプレス」は日本海に沈む夕陽が楽しめるようにというコンセプトだから、A寝台個室は日本海側にあるし、サロンカーのソファも海側を向いている。それなのにその日本海が見える景勝地に着くまえに夕陽は海の向こうに沈んでしまった。冬至に近い季節に乗る自分が悪いのだが、もう少しで間に合ったのにと思うとちょっとばかり残念だ。越中宮崎、市振……日本海がもっともよく眺められる区間を列車はいよいよ通過する。しかし窓の外は真っ暗でなにもみえない。
 市振を過ぎると親不知海岸だ。北アルプスの名残りの高台が海岸に浸食されてできた断崖絶壁である。かつての北陸道では最大の難所と呼ばれたところで、親不知、子不知といった不穏な名称も道の険しさゆえとされている。北陸線は断崖絶壁区間をトンネルで通過してしまうが、トンネルから出る区間でも北陸自動車道のオレンジ色の外灯が通り過ぎるばかりだ。
 17時28分、糸魚川を定刻で通過。車内アナウンスでフォッサマグナ、姫川塩街道、頸城トンネルなどの解説が流れてくる。糸魚川から先も西頸城丘陵の北端を抜けるためにトンネルが多い区間で、直江津までの三十キロのうち二十三キロほどがトンネルだ。そのなかで一番長いのが頸城トンネルで、十一キロに及ぶトンネル内には筒石駅がある。直江津には17時57分に到着。近江塩津から五時間半ほど走ってきた北陸線はここで終点となり、列車は信越線に入る。
 みつこさんは富山あたりからベッドで寝ていたが、「快適だ」といいながら起きてきて、テレビをパチンとつけた。「トワイライトエクスプレス」の車内案内、全国を巡業するフラガールのドキュメントビデオなどが流れている。みつこさんは「フラガールがんばってるね」と涙ぐみながら、豆をぽりぽり食べている。ビデオを見ているうちに列車は速度を落とし、ポイントをガタゴトと渡った。18時56分、列車は長岡に到着した。

 ディナーを予約している十九時三○分になったので食堂車「グランシャリオ」にやって来た。指定された五番テーブルは山側車端(大阪寄り)の二人席。みつこさんと向かい合わせに座り、シャンパンで乾杯した。
 若いウエイトレスと年輩のウエイターが料理を次々と運んでくる。メニューはフランス料理のフルコースだ。

 フォワグラのコンフィ ピュイ産緑レンズ豆のサラダ添え
 すっぽんのコンソメ 生姜とローズマリー風味
 クエのソテー ライムのエマルジョンソース
 黒毛和牛のステーキ 堀川ごぼうのトリュフクリームとロマネスコ添え
 りんごの真空調理 レモングラスのシャーベットとシャンパンゼリー
 コーヒー、紅茶又はハーブティー

 スープにスッポンが入っていたり、魚料理がクエというあまり聞いたことのない魚だったりするのはシェフのこだわりなのだろうか? あとで調べたらクエは高級食材として人気があるのだそうだ。
 食べはじめたところで列車は新潟にほど近い新津に停車した。「トワイライトエクスプレス」は19時39分に新津を発車すると、時刻表上は翌朝7時18分着の洞爺まで停車しない。十二時間近くも乗客の乗り降りする停車がないというのも日本では最長記録である。ここで信越線と別れ、羽越線に入る。
 席が室内の端だからか、すぐ横で年輩のウエイターが待機している。私たちが食べている間いろいろな話をしてくれた。
「寝台券を取るなら、みどりの窓口がいちばん良いです。日本旅行の『スイート』『ロイヤル』豪華ツアーってのもあるけど、ちょっと高いでしょ」
「みどりの窓口は二日前が狙い目。キャンセルが出るから。以前、一号車一番の『スイート』、当日取れましたわってお客さんがいました」
「食堂車の勤務は大阪〜札幌間の二泊三日。悪天候で運休になると帰れなくなる。札幌で足止めになると、黒服上下だけで乗車するので、寒くて外に出られない。急遽コートを買いに出かけたこともありましたね。夜は列車に泊まるしかない。車庫に入った列車の中で一夜を過ごすんです」
 寝台券の取り方については、自分のやり方が本当にあれで良かったのかわからなかったので、「みどりの窓口がいちばん」と言ってもらえて安心した。もちろん話題は列車の話だけでは終わらない。
「京野菜のアタマについてるのはたいてい地名です。堀川ごぼうってのも堀川ってところで取れたからその名がついたそうです。聖護院だいこんもそうです。聖護院ってところがあるんです」
 その堀川ごぼうと和牛ステーキを食べているところでみつこさんがにわかにペースダウンしてしまう。
「ひろさん、これ食べて」
 みつこさんが半分残したステーキを指していう。ついさっきまで「こんなにやわらかくておいしいお肉ははじめて〜♪」といって喜んでいたのに。
「豆、食べすぎた」
 みつこさんはおなかを手で押さえ、のけ反る姿勢になった。かなり苦しそうだ。
「そういや、アイスも食べてたね」
「あんなに豆、食べるんじゃなかった」
 まさかの敗北宣言。みつこさんはとても悔しそうな顔をしている。「いただき!」おかげで私はやわらかい絶品ステーキを一・五人前食べることができた。



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