homepage
走れ!バカップル列車
第53号 特急スーパーひたち



   三

 東電福島第一原発の事故で警戒区域となった場所に少しでも近づき、その様子をこの目でたしかめたい。そのためにいわきでレンタカーを借りることにしていた。
 いわき側からも近づくし、原発の向こう側である南相馬側からも近づきたい。そのためには警戒区域を避け、阿武隈高地の山中をかなり遠回りして北上する必要がある。海沿いの国道6号線を真っ直ぐ進めば、いわきから南相馬までは七、八十キロの距離だが、迂回経路だとその倍はあるだろう。そんな山道で居眠り運転でもしてしまったらたいへんなことになる。それもあって、リハビリといいつつも列車内での居眠りを自分で許すことにしておいた。
「スーパーひたち」でいわきに着いたあと、駅レンタカーの営業所へ向かった。
 当初の予定では、いわき到着後、普通列車で広野まで往復するつもりだったが、列車での広野往復は明日に回して、きょうは山道の運転にできるだけ時間を割いておこうと考えた。十三時から二十四時間借りる予定だったが、十一時から二十四時間に変更できないか営業所で尋ねてみたところ、親切なお兄さん二人が早速クルマを手配してくれて、十一時ちょっと過ぎから借りられることになった。お兄さんは二人とも言葉がすごく訛っている。なにを話しているのかわからないほどではないが、このあたりは仙台などよりよほど訛りが強いようだ。
 営業所のお兄さんに笑顔で見送ってもらい、みつこさんと私はグレイのマツダ・デミオでいわき駅前を出発した。市内を西へ進み、いわき中央ICから常磐自動車道、いわきJCTで磐越自動車道に入り、北西へ走る。五十五キロほど走って船引三春ICを出て、県道50号線、国道349号線を北上。いまは二本松市に合併された旧岩代町、旧東和町を抜ける。
「道の駅ふくしま東和」でトイレ休憩。野菜の直売もやっていて、みつこさんはカブ、ナス、インゲンなど地元の野菜を買っていた。ちょうどお昼どきだったので、併設の食堂で昼を食べようとのぞいてみたが、雰囲気がいまひとつだったので、近くのセブン‐イレブンでおにぎりを買ってたべた。
 国道349号線をさらに北へ向かう。川俣町で右折し県道12号線に入る。この県道をそのまま東へ進めば南相馬市の原町に出る。
 途中、飯舘村を通過する。
「飯舘牛が有名なところなんだよね」みつこさんがいう。
「どこかの店でお肉売ってるところないかな?」
 地元の特産品を買うことでわずかでも飯舘の人びとの支援をしたいというのがみつこさんの考えだ。走っていると道端に「ミートプラザ」という看板がみえる。
「ミートプラザってところがあるよ。開いてたら寄ってみよう」
 言いながら走っていると、みつこさんがいう。
「でも、この辺、人住んでるのかな?」
「え! なんで?」
「どの家もカーテンが閉めっぱなしで、人の住んでる気配がないんだ。この周りだってサ、これ田んぼや畑だったなんじゃないかなあ? 草茫々になっちゃってるけど」
 みつこさんにいわれ改めてみてみると、県道12号線に自動車は頻繁に行き来してるものの沿道の家々には人びとの姿がまったくない。
 うっかりしていた。飯舘村が計画的避難地域に指定されていることは報道で知っていたが、まさか自動車が通行できる地域まで避難地域になっているとまでは思っていなかった。避難地域は一般車の通行ができないと思い込んでいたのだ。
 クルマを停めて周辺を少し歩いてみた。たしかに夏草が生い茂っている野原はもともと畑のようだ。かろうじて畦の残っているのは水田だろう。辺りは朽ちかけている木造の家屋、窓ガラスが割れ放題の倉庫、ナンバーを外された軽トラックなど、何か月もの間、人の手が入っていないと思われるものばかりだった。
 その先に行くときれいに整地されて土が露出している広大な敷地がある。黄色いのぼりが二、三十メートルごとに立てられている。何だろう? と思い、近づいてみるとのぼりには「除染作業中」の文字。敷地の一隅には除染作業でかき集められたであろう汚染土が巨大なビニール袋に詰められ山積みになっていた。
 鉄筋コンクリート二階建てのJAも業務中止の貼り紙があるだけで人の気配はない。その先にみつこさんが行きたいといっていたミートプラザがあったが、当然のごとく閉鎖されていた。
 県道を逸れて、二キロほど南にある役場まで行ってみた。周辺には新興住宅街が広がっている。築年数の浅そうなモダンな設計の住宅が建ち並んでいるが、カーテンで締め切った家ばかりだ。
 役場も人の気配がまったくない。完成してまだそれほど年数も経っていないだろう真新しい庁舎もカーテンが閉め切られたままだ。敷地内の通路は特産の白御影石の石畳だが、石の隙間からは雑草が茫々と生えている。この近くで唯一人の気配のあったのは役場の隣りにある特別養護老人ホームだけであった。この施設は例外的に避難しなくても良いことになったようである。
 再びレンタカーを走らせた。カーブの多い峠道を走っていたら、みつこさんはクルマに酔ってしまったようだ。自重してゆっくり走るようにする。

 南相馬市の中心、原町市街を通過し、いよいよ国道6号線に出る。
 小雨のちらつくなか、原町から四キロほど南に走ると大甕付近の沿道に赤い警光灯をぴかぴか回らせたパトカーが止まっている。東電福島第一原発から二十キロ付近のところで、最初はここが検問所だったようだ。いまはここから先も南下できる。
「ここにも津波が来たんだね」
 沿道の風景を見ながらみつこさんがいう。見れば、荒れ放題の田んぼには周辺から集められた瓦礫の山が点在している。ガードレールはぐにゃぐにゃに折れ曲がったまま。完全に流されたところには仮のものが鉄パイプで組まれて設置されている。入口や窓ガラスにベニヤを張ったコンビニ。ロープを張って入れないようになっているガソリンスタンド。海から二キロ以上離れていても津波は川を遡って襲いかかってきたのだろう。
 坂を登り緑に覆われた丘を切り通しで進んだ先に検問所が見えてきた。原町区大甕の元検問所からさらに十二キロほど進んだあたり、浪江町との境にある小高区下浦というところ。警察官二人と警察車両二台のこぢんまりした検問所だ。
 急に雨が強くなってきた。ワイパーを動かしたままクルマを検問所手前の路肩に停め、雨に濡れながら検問所に向かって歩いて行くと、向こうからも警官が私に向かって歩いてきた。上着の胸元には埼玉県警察の文字がある。
「ここから通行止めですか?」
 わかってはいるが、あえて訊いてみた。
「許可証がないと入れないんですよ」
 行けないのなら行けないで、その事実がわかればいい。クルマに戻り、Uターンして来た道を戻った。
 途中、国道6号から逸れて、常磐線の桃内駅を訪れた。警戒区域北側に一番近い駅である。駅は集落から離れた丘の上にあって、ホームに向かう階段は蔓草に覆われ、ホームにも線路にも草が生えていた。赤さびに覆われている線路が一部ぐにゃりと曲がっているのは地震の影響だろう。一年半以上使われていない駅にしては思ったほど荒れていない。待合室も意外にきれいだ。近所のひとがときどき掃除しているのだろうか。
 線路沿いにクルマを進める。踏切がみえた。「山田追踏切」とある。遮断機はもげていて、制限高を示す看板も落ちてぶら下がっている。
 小高市街(南相馬市小高区)に入る。この地区もなんらかの避難指示が出ているのか、カーテンを閉め切ったままの家が並び、人の気配がほとんどない。駅前には一階がつぶれてしまったままのタクシー営業所。
「この駅、やってないみたいだよ」
 小高駅の駅舎をみて、みつこさんがいう。
「そりゃそうだよ。常磐線が不通だから、電車来ないもん」
「ああ、それでか」
 小高市街はゴーストタウンだ。ポンペイの遺跡ができていく様を目の当たりに見ているようでもある。幼いころ思い描いていた二十一世紀の風景とはおよそかけ離れた現実だ。人口も減り、復興も進まず、この先、日本の未来はこんな廃墟ばかりになってしまうのか。
 国道6号を北上し、原ノ町駅付近で再び国道から外れて常磐線の踏切を渡った。どのクルマも踏切の手前で一時停止している。交通ルール通りだが、考えてみればこの踏切に列車が通ることはない。それなのにみんな律儀に一時停止しているのがなんとも滑稽だ。
 原ノ町から相馬までは部分的に常磐線が復旧され、およそ二十キロの区間を普通列車が臨時ダイヤで往復している。この電車にも乗りたいが、きょうは時間的な余裕がない。
 原ノ町駅の北側で駅を跨ぐ陸橋に登ると、ホーム横の側線に普通電車と「スーパーひたち」用の651系電車が停まっていた。651系は震災以降一度も運転されていないのだろう。白いボディが水あかで汚れ放題になっていた。



next page 四
homepage