homepage
走れ!バカップル列車
第52号 急行きたぐに



   三

 気の済むまでビデオや写真を撮って八号車に乗り込むと、みつこさんがげっそりした顔をして下段の寝台に腰をかけていた。足を少し広げてその両足に両肘を載せ前屈みになって私をみる。髪も心なしか乱れている。
「どうしたの?」
 驚いて訊くと、
「天井が低いからサ、頭ぶつけたんだよ」
「ええっ!」
 またか、とはおもう。みつこさんは家の中でもよく頭をぶつけている。
「それにサ、怪しい人ばかりなんだ。訳もなく出てきてうろうろしている人ばかりでサ」
「そ、そうなの?」
「独り言ぶつぶつつぶやきながら同じところ無駄にうろうろ歩いてるんだよ」
 鉄道に限らず、そういうのがおたくなんだからしかたがない。私だってそのうちの一人だし、みつこさんだって、寝台急行「銀河」なり、0系なり、廃止直前の列車にはいままでも乗っているから少しは慣れているはずなのに、どうしたことか。
「いままでの比じゃないよ」
 その表情は怖れおののいている雰囲気すら漂っている。
「そりゃ、たいへんだったなあ」
 私としてもそのぐらいしか、かける言葉がない。
 そうして二人で下段の寝台に潜りこむ。天井までの高さが座高の高さよりも低くふつうに座ろうとすると頭がぶつかってしまう。動こうとしてうっかり頭をぶつけてもしかたがないような設計だ。しかもどういう構造なのか網棚のパイプが天井に張り付いていて、ここにぶつけたら相当痛そうだ。
「うん、ここにぶつけたんだ」
 みつこさんが恨めしそうに網棚のパイプに目をやる。そりゃ、痛かろう。
 そうこうするうちに定刻23時27分になって、急行「きたぐに」は大阪駅を発車した。大阪の街もこの時間になるとビルの照明がだいぶ消えている。ぽつぽつとしかついていない灯りの中を抜け、急行列車は快調に淀川の鉄橋を渡りはじめた。

 私たちの寝台は八号車の車内に入ってすぐのところの十四番下段・中段だ。前から一度乗ってみたいと思ってた場所なので、みどりの窓口の駅員にわがままをいって取ってもらったのである。
 ちょうど一か月前の一月四日、十時ぴったりに取ってもらった寝台券は料金の記載されたふつうの寝台券だった。今回私たちは「フルムーンパス」を使うので、パスに付属するかたちの寝台券にしてもらわないと、別に寝台料金を払わなければならなくなってしまう。
「フルムーンパスで乗れる寝台券にしてもらいたかったんですが」
 駅員にいうと、メモの上のほうに書いてある「フルムーンパス」という文字を見て、「あ、そうなんですか。すいません」といって機械を操作しなおした。また別の寝台を取るのだろうか。
 やばい、と一瞬おもった。競争率の高い寝台券だと一か月前の十時の瞬間にすべて売り切れてしまうことがある。二月四日の「きたぐに」はどうか? こうして取りなおしている間に売り切れたらたいへんだ。手に汗握りながらコンピュータの画面をのぞき見ていると、どうやら寝台は確保できたようだ。
「取れました。……まだ、けっこう空いてますね」
 駅員もやばい、とおもったのだろう、ほっとひと安心した雰囲気で教えてくれる。
「もし、ご希望の場所があれば、好きなところ取れますよ。いまならけっこうあいてるので」
 駅員も余裕がでてきてなんともサービス精神旺盛になる。じゃあ、ということで注文したのが、八号車の上段のない場所の中段と下段である。
 面倒くさい客がきたなと思われただろうが、それでも駅員は電車の座席表を出してきて、「きたぐに」の座席配置を確認してくれる。
「きたぐに」のB寝台は基本的に三段式だが、上段のない寝台がなぜあるのかといえば、583系電車の構造が関係している。583系は車両として設計できるギリギリいっぱいのサイズでつくられていて、これによって寝台スペースを最大限確保して、上・中・下の寝台が通路の両脇に蚕棚のように並ぶ構造になっている。ふつうの電車がトンネルに入れば、平らになっている電車の屋根と丸いトンネルの間には半月形のすきまができるのだが、そのすきまの部分にも車両の屋根が突き出た形だ。
 そうなると電車にどうしても必要になるパンタグラフが置けない。だからパンタグラフを設置する部分だけは屋根を切り欠き寝台スペースを犠牲にしている。それを車内から見ると寝台の上段部分がないということになる。上段がなくなったあとに少々天井の高くなった中段が残る。ここに一度乗ってみたかった。
「ああ、ありますね。八号車のここでしょうか」
 駅員が座席表を見せながら、そう訊いてくる。私も座席表をのぞく。みると車端部の一番、二番、もう一方の車端の十番〜十四番は上段がなく、中段・下段のみと書かれている。
「そうです。このうちのどこかでお願いします」

 そうして確保したパンタグラフ下の寝台に二人で乗り込んでいるが、寝るときはどちらかが中段に移動しなければならない。中段ははしごを登らなきゃいけないし、大きな窓もないから、私が中段に行けばいいかなと思っていたら、みつこさんが「わたし、中段いきたい」と主張する。
 みつこさんがかなり切迫した表情で希望をいうのは珍しいので、なぜなのか訊いてみると、通路を挟んで向かい側の十三番下段の乗客がちょっと怪しいという。なんでも坊主頭の男二人がひとつの寝台に入りこんでいるそうだ。お兄さん二人がカーテンを閉め切った寝台で仲良くなにをしているのか考えると私も恐くなったが、そういうことなら納得なので、「いいよ」と答える。幸い、中段の向かいの寝台はいまのところ空席だ。
 みつこさんは、下段はもちろんのこと、ほかの中段よりもはるかに天井の高い中段の寝台におさまって、ごろごろとくつろいでいる。窓はお弁当箱みたいに小さいのが申し訳程度についてるだけだが、それ以上にこの広々とした空間はほかに代えがたいものがある。パンタグラフ下はB寝台の特等席といっていい。
 新大阪を出て、車内をうろつく人も出発直後よりは少なくなってきたので、車内探検しようとおもう。私はビデオカメラとデジカメを持って、進行方向うしろの車両へと向かった。



next page 四
homepage