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走れ!バカップル列車
第50号 三陸鉄道復興支援列車



   八

 釜石線快速「はまゆり1号」は、定刻8時37分、後ろ向きに盛岡駅を発車した。
「ねえ、なんでみんな後ろ向いてんのかな?」
 みつこさんが訊いてくる。
「わからんなあ」
 とぼけていると、あ、わかったという。
「スイッチバックでしょ」
「そうかもしらんなあ」
「ぜったいそうだよ。スイッチバックだ」
 七月四日、雨がしとしと降るなか、みつこさんと私は釜石に向かう。昨日は宮古から14時発の106急行バスに乗って盛岡に戻り、宿をとった。きょうは釜石線で釜石へ行く。山田線の宮古〜釜石間が通じていれば乗りたいところだが、津波被害で不通になっているのでしかたがない。
 快速「はまゆり1号」は花巻まで東北線を快走する。クリーム色のディーゼルカー三両編成だが、そのうち二号車と三号車は特急列車のようなリクライニングシート席になっていて、さらに三号車は指定席である。
 山田線の盛岡〜宮古間は絶望的に本数が少ないのに、釜石線の花巻〜釜石間は一日十往復ほど列車があり、車内の設備も格段に良い。ひとつに盛岡〜宮古間は106急行というバス便が充実しているからだが、釜石線がこれほど優遇されているのはなぜなのか不思議である。
 みつこさんの予想通り、花巻でスイッチバックして釜石線に入る。ここからいちばん前になる席がいいので、乗る前に「14番A・Bをお願いします」と座席の位置まで指定して指定券を買っておいた。リクライニングシートも進行方向どおりになって、安心したのかみつこさんは早速寝てしまった。
 途中、遠野で乗客がたくさん降りた。民話の里として有名な観光地だ。ホームを歩く観光客の流れを見ていて、遠野があるから釜石線の設備が良いのかと納得した。
 陸中大橋の手前ではヘアピンカーブを曲がりながら線路を下ってゆく。カーブの手前はまだ高いところを走っていて、眼下にカーブの先の陸中大橋付近の線路が見える。
 盛岡から二時間半ほど列車に揺られ、11時04分、釜石に着いた。
 左側には三陸鉄道南リアス線のホームが見える。ディーゼルカーは一両もなく、人の気配もなく寂しい状態だ。右側には新日鐵の工場が見える。敷地内には瓦礫がうずたかく積まれていて、煙突からは絶えず白い煙がもくもくと上がっている。
 釜石線のホームから駅改札口までは地下道を通る。階段を降りたところに三陸鉄道のホームに通じる乗換口があったが、閉鎖されていて、三陸鉄道側の地下道は電気も消され真っ暗闇になっている。
 JR駅の隣りにある三陸鉄道の駅舎も閉鎖されたままだ。駅舎前のスペースも自動車や自転車が停められている。
 釜石ではまだ復旧していない三陸鉄道南リアス線の鉄橋の状況を見てみたかった。盛岡を出発したときは雨が降っていたので、それだけ見て帰ってもいいと考えていたが、釜石に来てみると雨はときおりぱらぱら降るぐらいにおさまっていた。
 私たちは国道283号線の歩道を甲子(かっし)川に沿って五、六百メートルほど歩いた。
 駅から四百メートルほどの三の橋は一般車両は通行禁止とされている。その川下側に歩道がついているが、柵が倒れたまま放置されている。
「ここまで津波が来たんだね」
 みつこさんがつぶやく。樹木、柵、フェンスなどの倒れかたや壊れかたで津波のおおよその高さがわかる。津波が川を遡り、人の背丈より高いところまで達したのだろう。
 その三の橋の上に、盛方面へ向かう三陸鉄道南リアス線の線路が通っている。線路は釜石の駅を出ると、甲子川の鉄橋やコンクリートの高架橋を渡っている。用地取得が難しかったのかどうかわからないが、わずか数百メートルの間に同じ川を二回も渡りながら高度を上げ、やがては二十メートルほどの高架線になってトンネルに入っている。赤いトラス橋がくねくねといくつもつながり、線路が宙を走るさまは見ていてなかなか楽しい。橋そのものは無事のようだから、できれば列車で通りたかったが、ほかの区間の被害が大きいから、いまは乗ることができない。
 小雨がぱらついてきたので駅前まで戻った。昼ごはんは駅近くの「まんぷく食堂」でミニ海宝漬定食を食べる。海宝漬はメカブの醤油漬にアワビとイクラの載ったもので、ほかに煮物やお刺身もついている。
 後ろのテーブルに地元のおばさんとそのおばさんの応援に駆けつけた夫婦が座っていて、そのおばさんの訴えるような声が聞こえてくる。
「すぐ後ろから、津波が追いかけてきてね。私は必死になって逃げたんだけど、逃げ切れないひともいて。『助けて』っていわれたんだけど、とても助けられなかった」
 ほかにもおばさんは、近所の友達に三姉妹がいるんだけど一緒に逃げていたおばあちゃんが三姉妹の目の前で流されてしまった、といったエピソードを語り、
「地獄のような津波だった」
 と話を結んでいた。

 次の釜石線上り列車は14時27分の快速「はまゆり6号」である。昼ごはんを食べてもまだ二時間ほど時間があり、雨もあがってきたので、釜石大観音を見ることにした。駅から四キロほどの、東の海に突き出た岬にある大きな観音様だ。歩いては行けないのでタクシーに乗る。
「観音みるために来たんですか?」
 行き先を告げると運転手が訊いてくる。
「ええ……。あと、三陸鉄道の様子を見ようと……」
「ああああああ……。三陸鉄道、山田線はもうダメです」
 地元のひとに三陸鉄道はもうダメだといわれると、やっぱりと思い、かなり暗い気分になる。
「あの……港のほうに行くとタンカーが道のほうまでせり出しているところがあるんですけど、見ますか?」
 タクシーの運転手が津波被災地を積極的に案内するとは思わなかったので驚いた。きょうの運転手は昨日と違ってかなりおしゃべりな感じだ。
「大観音からも見えますか?」
「見えますけど、近くで見たほうがいいですよ。まさにその突き出している道をいまならまだ通れますから。あと何日かしたら撤去作業をしてしまうので通行止めになります。いまがチャンスですよ」
 営業トークっぽくて笑いそうになったが、連れて行ってもらうことにした。
 タクシーは大観音へ行く道の途中で左折し、釜石の中心市街に入った。一階、二階が骨組みだけになった建物や、自動車、瓦礫の山などが道の両脇に並んでいる。家の前に赤い旗が掲げられているところが何軒かある。あの赤い旗はなんだろう?
「赤いのが解体してくださいという合図です。震災後、市が各家に赤い旗と黄色い旗を配ったんです。黄色いのは修繕してまだ使うから、瓦礫だけ撤去してしてくださいという意味です。ほとんどが赤い旗で、黄色い旗は数えるほどしかありません」
 宮古はスプレーで「解体OK」と書く方式で、書いてあっても持ち主に確認を取るという方法だったが、釜石はどうなのか。
「旗が立っていれば、確認とかはしないでそのまま解体してるみたいです。そのために市が旗を配ったんでしょうね」
 途中、青い車体に白帯の入った警察のバスとすれ違う。金網が張られた窓の向こうには警察官らしき人たちが多数乗っている。
「まだ、あんなの走ってんだな」
 独り言のようにいうと、運転手が答えてくれる。
「まだ行方不明者が瓦礫の中から見つかることがあるんです。だからいまもああして捜索してるんです」
 三十歳くらいの運転手は本当におしゃべり好きで、訊いてないことまであれこれ話してくれる。警察署と免許センターの間の通路にクルマが乗っている。警察の裏は壊れたクルマが積み上げられて、まるでクルマの墓場だといった話から、釜石市街から四キロほど離れた両石地区は街ごと津波に流され、街は壊滅、国道45号線は片車線が崩れ落ちているといったことまで次々と教えてくれた。
 門と塀が崩れ道路と敷地の区別すらつかなくなっている新日鐵の瓦礫の前を通り、津波を真正面から受けた魚市場の脇を抜けて東に進むと、釜石港の北側に面した道路に出る。位置としては湾を挟んで大観音のちょうど向かいにあたるところだ。
 青と赤のツートンカラーの大きなタンカーが見えてきた。高さ二メートルほどの防潮堤を乗り越えるようにして、舳先が数メートルほど道に突き出ている。ふつうの乗用車なら大丈夫だが、こんなカタチで障害物が突き出ていては大型車などは通るのが大変だろう。
「ちょうど良かったですよ。いまは大丈夫ですけど、四時ごろになると満潮になって、このあたり水没してしまうんです」
「ええ!?」
「地震で地盤沈下しちゃったんです」
 次から次へと衝撃の事実が飛び出てくる。タンカーの写真を何枚か撮って再び市内を抜け、大観音に来た。
 駐車場でタクシーを降り、エスカレーターと階段を登ると観音像の前に出てくる。海に突き出た高台からの眺めは良く、見おろす釜石湾の海はとても静かだ。はるか沖合に最大水深六十三メートルといわれ、ギネス記録にもなった湾口防波堤の残骸が見える。千二百億円の資金と三十年の歳月をかけて二○○九年に完成した防波堤だが、津波にあって破壊されその一部がネッシーの背のように浮くばかりである。
 白く大きな観音様はやさしく海を見守っていた。今回の震災をどう思い、そして人びとになにを伝えようとしているのだろう。なにがどうできるという訳でもないが、みつこさんと私は観音様の前で深く祈って、釜石の街を後にした。

 旅行から帰った数日後、新聞を見ていたら、宮古で電柱につかまっていたおじさんの記事が写真入りで載っていた。ものすごい偶然だ。
 このおじさんは宮古市の石曽根長福(いしぞねちょうふく)さんというかたで、クルマに乗っていたが流され必死に飛び降りて電柱にしがみついたのだという(「毎日新聞」二○一一年七月七日付)。気がついたら上にいたという石曽根さんはもう津波のことは早く忘れたいと語っている。それだけ恐ろしい目に遭ったのだろう。
 それでも生きててくれて本当に良かったと思う。
「おじさん、良かったねえ、良かったねえ」
 みつこさんは新聞を握りしめ、なんどもおじさんの写真に話しかけていた。



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