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走れ!バカップル列車
第50号 三陸鉄道復興支援列車



   七

 報道によれば、先人の教えを守ったおかげで姉吉集落の住居は無事だった。明治と昭和の大津波では生存者のほうが少なかったことを考えれば、日ごろの努力が実ったともいえる。それでも漁港が全滅になり、たまたま隣りの集落にいた四名が行方不明になってしまったので、住民の心は晴れないという。
 再びクルマに乗り、姉吉の漁港まで降りる。発車してすぐに岩や瓦礫がごろごろした沢が現れ、左右の木々はある一定の線で幹が剥き出しになるか、根こそぎもがれているかといった様相になる。この線まで津波が来たのだ。石碑からの距離はわずか五、六十メートルに過ぎない。あとで調べたら東日本大震災の津波の最高記録がじつはこの姉吉の計測値で、高さ三十八・九メートルにも達している。
 石碑から八百メートルほど下ってようやく漁港になる。漁港は瓦礫だらけの真っ平らな土地になっている。それまで倉庫が十棟あったというが、いまは人の気配が感じられない。周囲を見渡すと五、六階建てのビルくらいの高さまで崖の岩石は露出し、樹木がもがれている。八百メートルの距離、三十から四十メートルもの高さを津波が襲ってきたのだ。
 漁港付近で私が写真を撮っている間、みつこさんは運転手にあれこれ話を聞いている。無口だった運転手もだんだん打ち解けてあれこれ話をしてくれた。みつこさんは元来おしゃべりということもあって、話を聞き出すのがうまい。昨夜の「魚元」のおばちゃんのときもそうだが、取材する力は私よりよっぽどある。
「クルマもだいぶ被害に遭いました」
 運転手は多くは語らなかったが、会社の同僚にもやはり津波に流されてしまった人はいたようだ。
 市内を歩いていると赤いスプレーで「解体OK」と書いてある建物がたくさんあったので、そのことについて訊いてみると、
「建物がもう使えないから、持ち主がああやって書くと役所が解体してくれるんです。誰かが落書きする可能性もあるので、避難所などに行っている持ち主に一応連絡を取ってから解体してるようですね」
 多賀城の姐御の話では宮城県は私有地にあるものにはいっさい手をつけない姿勢だったが、岩手県は私有地のものも役所が撤去したり、解体したりしてくれるようだ。
「子供がいちばんかわいそうですよ」
 と運転手はいう。
「運動公園にしろ、学校の校庭にしろ、空き地という空き地には瓦礫が置かれ、仮設住宅が建ち、とにかく遊ぶところがありません」
 タクシーが津軽石川河口付近を通ったとき、瓦礫の山を見て、こちらから訊かないのに「運動公園です」と説明してくれた。運転手さんにはきっとかわいいお子さんがいて、遊び場が占拠されていることに日ごろから問題を感じているのだろう。
「宮古の広報誌見たなら、電柱につかまってたおじさんの写真あったでしょ」
 運転手さんが話題を変えた。市役所の近くで電柱につかまって津波から逃れたおじさんがいたようだ。
「知らない」
「見てない」
 私たちが口々にいうと、
「あのおじさん、あのあと助かったらしいんですよ」
「へえ、よかったじゃないですか!」
「どうも、助かったからあの写真載せたらしいです。助からなかったら載せられませんもんね」
「アハハハハハ」
 話が盛りあがったところで来た道を戻ることにする。

 里の集落、漁協の前で写真を撮りたいので途中で停めてくださいというと、
「じゃあ、来るときは通らなかったんですが、音部という漁港も通ってみましょう」
 といってくれた。そちらも津波被害が大きかったようだ。
 館の集落にある漁協はコンクリート三階建てで、小さな地区にしてはずいぶんと立派に見える。
「この漁協はお金があるんです」
 運転手さんはいう。
「アワビが採れますからね。このあたり、瓦屋根の大きな家が多いでしょう。アワビ御殿と呼ばれています」
 その後、防潮堤から数百メートル奥まで更地と瓦礫の山ばかりになっている音部漁港をみて、国道45号線まで戻ってきた。
「その先の津軽石の駅にくの字に曲がったまま停まっている列車があるんですけど見てみますか?」
「いまもあるんですか?」
「ええ、そのまんま置かれてます」
 津軽石の交差点で国道を横切り、細い路地を下っていくと津軽石の駅があって、そこから山田方向に数十メートル離れたところに二両連結のクリーム色のディーゼルカーが脱線したまま放置されている。車両そのものが壊れたりはしてなさそうだが、それぞれ線路とはぜんぜん違う方向に停まっていて、一両目と二両目の連結面が「くの字」に曲がっている。
 時刻表を見ると、まさに14時46分に津軽石を発車する宮古行きの1647D列車がある。きっとこの列車が津軽石を発車しようとしたところで地震に遭って停止し、そのまま津波の被害にもあったのだろう。
 津軽石を出ると、国道の脇に山田線の線路がみえる。
「ここは残ってますが、その先は途切れてますよ」
 言われて先を見ると、レールと枕木だけが途中で宙に浮き、ぐにゃりと曲がってやがて途切れている。
「うわあ、本当に切れてるよ!」
「その先なんか、跡形もありません」
「あれ? 道がありますね」
 国道の脇に舗装されていない細い道があって人が行き交っている。
「あの道が線路の跡ですよ」
「ええっ!」
 みつこさんも私も驚いた。線路は少なくともJRの私有地だ。地震当日、都心のターミナル駅で乗客を締め出してしまうような会社が、私有地を進んで住民に開放するなんて考えにくい。JRは山田線を復旧させるつもりがあるのだろうか? そっちのほうが気になってくる。
 宮古駅まで戻ってきたら午後一時を回っていた。運転手さんには朝から三時間もつき合っていただいた。
 運転手さんはもっとみんなに宮古に来て欲しいという。
「いまはまだ宿とかも工事関係者が多いですが、本格的な夏になれば、宿も取りやすくなります。そうしたら、もっとたくさんの人に来て欲しい。ただの観光でいいんです。来てもらえれば経済が回りますから」



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