homepage
走れ!バカップル列車
第50号 三陸鉄道復興支援列車



   四

 田老ではなにもいえなかった。
 車窓から見えるものがなにもないといっていいほどだった。
「万里の長城」といわれた高さ十メートルの防潮堤の手前に瓦礫の山がいくつかあって、あとはいちめんの更地しかない。更地のところどころにはここに家があったことをうかがわせるコンクリートの基礎が残っていたりするが、あとはいちめんの更地しかない。
 みつこさんはなにも言わず、ただ涙をはらはらと流していた。
 列車が田老に着いてから、帽子を目深にかぶり、目を真っ赤にさせてただ泣くばかりであった。
 避難所に身を寄せているのか、山の上のほうに家があるのか、それでも田老で降りる客は多い。半数ほどの客が降りて車内は急にがらんとなった。海側のボックス席があいたのでそちらに席を移った。
 女性カメラマンはホームに降りて、更地の光景をパシャパシャと撮っていた。ジャージ姿の女子高校生二人組がその横から乗り込んできて、一人が大声で叫んだ。
「マジ、ああいうカメラマンどうにかしてほしいんですけど!」
 もう一人の友達に声が大きいとたしなめられたのか、
「わざと聞こえるようにいってるんですう!」
 とつけ加えた。カメラマンはそんなことは知らずホームで写真を撮り続けている。もう発車時刻である。車内にいた編集者に言われて慌てて飛び乗った。
 田老の光景をみて、ただ泣いていたみつこさんは、ハンカチを取り出し涙を拭うと突然カバンの中をまさぐり、千円札一枚と小銭を二百円分出してきて、手に持った。宮古から小本まで二人分の運賃のつもりなのだろう。みつこさんはその千円札と小銭を列車が動き出してもずっと握りしめていた。
 田老を出発してしばらく走ると六千五百三十二メートルの真崎トンネルに入る。取材の編集者は「ああいうカメラマン、どうにかしてほしい」と叫んでいた高校生に取材をはじめた。家はどうなったか、家族はどうかなど質問している。「どうにかしてほしい」という声はカメラマンには聞こえなかったが、車内にいた編集者には聞こえていた。目立ったためにかえってターゲットにされてしまった感じだ。高校生は照れくさそうに、編集者とは目を合わせないようにしながら質問に答えている。
 長いトンネルを抜けると摂待(せったい)に着く。山の中の小さな駅だ。またトンネルを抜けて、珍しいコンクリート製の斜張橋で小本川を渡ると定刻通り13時52分、小本に着いた。地元客が降り、鉄道おたくたちはホームで写真を撮っている。私たちも黄色いポロシャツのおじさんに記念写真を撮ってもらったが、あとで見てみると二人ともどんよりしたものすごい表情で写っていた。
 駅舎は観光センターを兼ねた建物になっていて、二階部分が岩泉町の役場支所として使われている。観光センターで帰りの田老までの切符を買う。通常なら一人四百四十円だが、四百円の割引運賃になっていた。窓口のおばちゃんは硬券切符の「440円」のところに「運賃変更」のスタンプを押してから、切符を渡してくれた。
 小本駅は島になっているホームの両側に線路があって、上下列車の行き違いができる。いまはこの駅までの区間運転で同時に二列車が動くことはないから、山側の線路しか使っておらず、海側の線路は赤く錆びている。久慈方向を見ると次のトンネルの入口が見えていて、クリーム色のディーゼルカーがトンネル内に留置されている。
 ホームに停車しているディーゼルカーは宮古行き上り列車となって来た道を戻る。14時10分、定刻になる。運転士がタブレットの入った革の輪っかを運転席の脇にひっかけ、作業服を着た社員がホームで緑の旗を振ると列車は発車した。帰りの列車は鉄道おたくしか乗っておらず、車内は空いていた。

 田老で降りた。ホームに降り立った乗客は私たちだけだった。なにもないホームだが屋根を支える鉄柱には色とりどりの花が飾られている。
 田老駅と線路は田老市街のいちばん山側にあり、十メートルほどの盛土の上にある。だからかろうじて津波に流されずに済んだのだろう。
 海岸のほうは煙っていて、瓦礫撤去のために土埃が舞っているのかと思ったが、煙に見えたのは海から来た霧だった。地元では「やませ」と呼ばれていて、いまの季節は発生しやすいという。そのやませの手前の広大な更地では、ショベルカーやダンプカーがせわしなく動いている。荷台に瓦礫を載せたダンプがひっきりなしに駅前の道に来て、国道方面へ去って行く。
 いま降りた列車をホームから見送る。ディーゼルカーはエンジン音を轟かせて加速し、宮古へ向かう。ふと列車が走り去る方向を見ると、信号機はテープでばってんをされた上に、線路とは九十度ずれた山側を向いている。レールは大丈夫でも信号機器は復旧が難しいのだろう。それで運転士はタブレットを持ち、小本を発車するときは手旗信号だったのだ。
 次の列車まで防潮堤付近を見て回ることにした。ホームから外へ降りる階段は真っ暗闇で、もうひとつの階段は土砂まみれに濡れて閉鎖されている。この地下道まで津波が入り込んで来たのだ。駅舎を兼ねた観光センターは一階部分は壁の一部まで流され、二階も窓ガラスが破れている。通路の屋根は流され、残った鉄骨はぐにゃりと飴のように曲がっている。
 駅前の道を左に向かう。線路の反対側にはすぐ山が迫っている。「やませ」は陸地の奥のほうまでやってきて、山の中腹にふわふわと漂っている。山すそには斜面に貼りつくように住宅が何軒か建っていて、そのうちの一軒ではおじさんが出てきて庭の手入れをしている。高台の家々はすぐ目の前まで津波が来ていたが、どうにかふつうの生活を取り戻しているようだ。
 国道45号線を横切ると、まるで道がつながっているかのように高さ十メートルの防潮堤のてっぺん部分にたどり着く。てっぺん部分は自動車一台が通れるくらいの幅がある。
 みつこさんと私は防潮堤の上を歩きながら、田老の街だったところをもう一度眺めた。なんどみても見渡す限りの更地である。一部にはもう草が生えはじめている。ところどころに瓦礫の山があって、ショベルカーが瓦礫をダンプに積み込んでいる。残っている建物は三階建ての漁協のビルと遥か彼方に見える観光ホテルのほか、コンクリート製のビルが二、三棟しかない。その建物も下の部分は壁ごとさらわれ、柱しか残っていない。漁協のビルだけは立派なつくりなのかいちばん被害が少なく、逆に田老の街の中でひとつだけ浮いた存在になっている。
 防潮堤は街の中を「X」字型に貫いている。ところが四方向に伸びる防潮堤のうち、港側のひとつだけは一部を除いてほとんどが津波に流されてしまい、いまは「Y」字型に残るのみだ。翌日乗ったタクシーの運転手によると、港側の防潮堤は新しいもので盛土にコンクリートを被せただけの簡単なつくりになっている。それ以前の防潮堤は全体がコンクリートでしっかりつくっているのに、新しい部分は費用を抑えるためにつくりかたを変えている。だから流されたのだと運転手はいう。流された防潮堤部分は長内川をまたぐ大きな水門だけが虚しく残っている。なぜか門の上には日章旗が掲げられていて、ますます寂しい気分になる。
 防潮堤のてっぺんは歩道代わりになっていたのか、街灯があったらしく、ところどころポールのあった土台がある。かろうじてポールが残っているところもあるが、根元からぐにゃりと曲がって倒れている。このてっぺん部分のコンクリートにも爪で引っ掻いたような傷が無数にある。津波とともに流された瓦礫が通っていった跡だろう。
 避難所から来たのか、ときどき地元のひとともすれちがう。「こんにちは」とあいさつするほか、かける言葉がない。
 真っ黒に日焼けした漁師らしいおじいさんは、私たちがいる間、ずっと海を見つめていた。ひとしきり見つめたあと防潮堤の下に停めた自転車を引っ張り、とぼとぼと帰って行く。そのすぐ横では、基礎だけが残った土地を一生懸命掃除しているおじさんがいる。
「この家のひとなんだね」
 みつこさんがおじさんをじっと見つめて涙ぐむ。
 漁協の前で防潮堤を降りてみる。街のあった地面に立ってみると、いままで「瓦礫」とひとくくりで言っていたものの具体的な様子が見えてくる。自動車、タイヤ、電柱、コンクリートの塊、ワープロといったものから、ステテコ、マフラー、ストーブ、灯油の空き缶といったものまである。季節は少しずつ過ぎてゆくが、瓦礫はまだ雪の降っていた三月のまま時間が止まっている。
 防潮堤には何か所か穴が開いていて、自動車の通れる道になっている。そこをくぐって海側に出ると、ちょろちょろと流れる長内川の川縁になる。その先に日章旗の水門がある。
「あの防潮堤の大きさがわかるように写真撮ろうよ」
 みつこさんがいうので、防潮堤の下に立ってもらった。改めて見ると本当に大きな防潮堤だ。みつこさんの背丈の三倍半はある。
「あれを乗り越えちゃうんだから、もう、どうしようもないよ」
「そうだね」
 水門へ向かう道を歩いていると他県ナンバーの自動車が道に迷ったように入ってくる。私たちと同じく、見学なのだろうか。どの自動車も水門の前の広くなったところでUターンしてすぐに帰っていく。
「みて!」
 みつこさんが地面を指さして私を呼ぶ。
「アリんこがいるよ」
「ほんとだ」
 どこから来たのか、津波に流され不毛の地と化した田老の土地に、アリんこがせっせと行き交っている。
「すごいな……」
「なんにもないのにアリんこはいるんだね」
 そういえば多賀城の姐御がいっていた。庭いじりをしているときアリは容赦なく駆除するんだけど、なんどやってもまたどこからかやってきて巣をつくっちゃうのよ。
 なんど津波に流されてもアリんこはいままでの営みを取り戻している。アリんことまったく一緒じゃないかもしれないが、人間にだってアリんこと同じくらいの生命力はきっとある。
 きっと人間も再び新たな生活をはじめることができるはずだ。小さなアリの行列をみて、私たちはようやく救われた気分になった。



next page 五
homepage