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走れ!バカップル列車
第50号 三陸鉄道復興支援列車



   三

 三陸鉄道は一九八四年の開業当初、順調な滑り出しを見せていたが、ブームが落ち着くと乗客数は年を経るごとに減少し、十年後の一九九四(平成六)年には赤字経営に転落してしまう。イベント列車、グッズ販売、旅行業への進出など、できる手はすべて打ち、体質改善のためリストラクチャリングも行った。
 その矢先の東日本大震災だった。路線の多くが津波の被害を受けた。高架橋ごと線路が流された区間もあり、復旧には億単位の資金が必要になる。目の前の道はますます険しくなっていった。
 望月正彦社長は地震後、徒歩や自動車で路線の被害状況を確かめ、「早期に回復できる」と確信したという(「週刊東洋経済」二○一一年四月十六日号)。多くの人の家や自動車が流され、ガソリンも入手困難な中で、いまこそ三陸鉄道が地域の足としての使命を果たすときだ、と考えた。被害の全貌を把握することよりも、被害の軽微な区間の復旧を優先させた。
 地震のわずか五日後の三月十六日には、久慈〜陸中野田間の運転が再開された。三陸沿岸部のほとんどが津波に流されたことを考えると驚異的な速さだ。続けて三月二十日には田老〜宮古間が復旧し、二十三日には小本〜田老間が加わって、小本〜宮古間での運転となった。「運賃をもらうよりも地域に役立つことを優先したい」から、三月中は運賃無料での運転だった。
 津波被害で三陸鉄道北リアス線のうち、陸中野田〜小本間と南リアス線釜石〜盛間の全線は、当分乗ることができなくなってしまった。悔やんでも悔やみきれないが、いつまでもそんなことばかり言っていられない。せめていま復旧している久慈〜陸中野田間、小本〜宮古間を走る復興支援列車だけでも乗りに行こうと考えた。
 ところが復旧している久慈〜陸中野田間に乗ろうにも、そこまでに行く交通手段が充分ではない。八戸線の階上〜久慈間が不通になっていて、鉄道で久慈に行く方法がないのである。地元のための復興支援列車だから、地元の人が乗れればそれで良いのだが、いまのままだと旅行者はバスでいくしかない。バスの時刻も調べたが盛岡から久慈までは片道三時間近くかかる。日程を一日増やさないととても乗れない。さすがにそこまでの日程は確保できないから、今回は小本〜宮古間に乗車し、釜石駅周辺の南リアス線の様子を見るだけの旅程にした。

 山田線が三分遅れで宮古に到着したので、乗換時間は四分しかない。降りた客のおよそ半分くらいが三陸鉄道の乗り場へ向かっている。「リアス号」の到着したJRのホームをそのままホームづたいに西側へ進むと三陸鉄道への乗換改札がある。切符を買おうと思ったが、
「時間がないのでそのまま乗車して、降りるときに直接払ってください。小本まで一人六百円です」
 駅員にそう案内され、クリーム色に赤と青のラインの入ったディーゼルカーに乗り込む。料金はワンマンバスのように降りるときに運賃箱にちゃりんと払う方式だ。座席はすでに七、八割ほど埋まっていて、四人がけボックス席には座らず、進行方向横向きに座るロングシートの隙間にみつこさんと二人並んでちょこんと座った。
 黄色いポロシャツのおじさんのほか山田線車内で見かけた鉄道おたくのみなさんはだいたいお揃いのようだった。多くは運転席の後ろに陣取って前方を眺めている。そのほかは地元の高校生やおばさんが多い。雑誌の取材らしい編集者とカメラマンもいた。
 13時10分になり、三陸鉄道復興支援列車が発車した。
 山田線の線路を左に見送りながら、ゆっくりと坂を登り、右にカーブしてゆく。すぐにトンネルに入った。北リアス線の新線は幹線の規格で建設されているから、山の中でも長いトンネルでまっすぐと線路が敷かれている。
 最初のトンネルを抜けたところにホームが現れて停車した。山口団地というバス停のような名前の駅だ。ホームの向こう側には住宅地が広がっている。青いつなぎを来た作業員風のおにいさんが一人乗ってきた。
 運転席の後ろは写真やビデオを撮る鉄道おたくのほか、取材の女性カメラマンが車内を歩き回って一眼レフカメラでパシャパシャ撮っている。立っている人の目の前でも遠慮なく割り込んでパシャパシャやるので前の人が迷惑そうな顔をしていた。
 山口団地の先の線路もまっすぐ伸びている。目の前にトンネルがあって、さらにその次のトンネルまで見えている。トンネルの向こうに明るい景色があり、またその向こうに暗闇がある。ふだんならスピードが出せるところだろうが、復興支援列車はゆっくりと進む。
 二千八百七十メートルの猿峠トンネルを抜けると一の渡に着く。丸ノ内線の四ッ谷のように地下鉄が駅のところだけ地上に顔を出すような感じだ。発車すると再びトンネルに入り、抜けると佐羽根に着く。片側ホームが一本だけの山の中の小さな駅だ。佐羽根からは短いトンネルと地上区間の繰り返しになるが左右は丘が立ちはだかり、海はまだ見えない。
 やがて丘が開け、海に面した平地に出る。田老だ。列車は十メートルほどの盛土を走り、車窓から田老を見渡せる。震災後はじめてここに来る乗客も多いのだろう。車内は一瞬凍りついた。



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