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走れ!バカップル列車
第50号 三陸鉄道復興支援列車



   二

 二○一一年七月二日、みつこさんと私は、いまにも雨が降りそうなはっきりしない曇り空のもと、水道橋駅から中央線の電車で東京駅に向かった。朝ごはん用の弁当を買い、「やまびこ251号」の発車する二十二番線ホームに上がってみると、各乗車口に並ぶ行列は六〜十人ほどだった。
「やまびこ251号」は6時12分、定刻通り東京駅を発車した。私たちは四号車に乗車した。余裕で座れたと思っていたが、発車間際になると空席はわずかになった。上野で乗ってきて、さらに大宮で乗ってきて立席客がでるほどになった。やはりきょうは指定席が満席になるほど混雑しているんだなと妙に納得した。
 それでも仙台で三分の一ほどが下車して空席が出た。一ノ関を過ぎると空が晴れてきて、盛岡には二分ほど遅れて10時06分ごろ到着した。
 新幹線ホームを降りたところに売店があったので、昼ごはん用におにぎりをいくつか買っておく。山田線の快速列車が宮古に着くのは13時03分だが、接続する三陸鉄道の列車が13時10分発だから、昼ごはんは山田線車内で食べておいたほうがいい。
 売店でおにぎりと飲み物を買い込んで在来線ホームへの乗換口を抜けようとすると、私たちの切符をみた駅員は独り言のように「あ、宮古ね……」とつぶやくと、
「次の列車は二番線です。三十九分に入るから!」
 切符を見ただけで、次に乗る列車がわかるのは運転本数が少ないからだが、瞬時に列車の発車ホームと車両の入線時刻まで教えてくれるなんて、ずいぶん親切な駅員だと思う。次の山田線までは時間があるから、そういう案内は必要なのだが、そこまでしてくれる駅員は実は少ない。そして次の一言にはもっと驚いた。
「あ、お弁当とか買うなら、新幹線とこで買っといたほうがいいよ。この先はなんにもないから」
 在来線ホームの売店のことまで案内してくれるなんて、すごいと思った。みつこさんは「そこで、買ってきましたあ!」とおにぎりの入った袋を自慢げに持ち上げた。
「あ、それなら大丈夫ですね」
 駅員さんは笑って私たちを見送ってくれた。
「親切な駅員さんだね」
 みつこさんと言い合った。JRの駅員がみんなあんなひとだったらいいなと思うが、現実はごくごく稀であるところがちょっと寂しい。

 二番線で待っていると駅員の案内どおり、十時三十九分に青森方向からクリーム色の車体のディーゼルカーが二両編成でやってきた。JRになってから製造した新型車両だ。馬力があってスピードも出るし、内装も新しいが、通勤客をかなり意識してるのか座席の少ないのが難点である。幸い行列はいちばん前だったので、通路右側の一人ずつが向かい合う座席を確保できたが、落ち着いて駅弁を食べられる感じではない。新幹線駅の売店で駅弁を買わず、おにぎりにしたのはそういう理由である。
 座席は鉄道おたくたちと地元の若者などで瞬く間にほぼ埋まった。通路を挟んで左側の四人がけボックス席に座ったおじさん二人は、知り合い同士ではないようだが、列車が発車する前から、二人揃ってものすごい勢いで弁当を食べはじめた。
 定刻11時04分になって、山田線快速「リアス号」は発車した。しばらく青森に向かう線路と並行して走り、やがて右にくるりとカーブして東に向かう。
 はじめのうちは盛岡郊外の市街地を走り、途中駅で地元の若者が降りていったりする。上米内(かみよない)で上り快速「リアス号」とすれ違うと、列車は北上山地の奥深くへ分け入ってゆく。人の気配はまったくなく、原生林が車窓を覆う。太陽の光を受けた緑がきらきらとまぶしく輝いて、左右の窓を撫でて行く。うおんうおんうおんとフルスロットルのエンジンが唸り、列車は力強く連続急勾配を登り続ける。
 大志田、浅岸はもともとはスイッチバックの駅だった。大志田駅を通過したあと、スイッチバックの引き上げ線の跡らしき平地が草に覆われて広がっているのが見えた。
 長いトンネルをいくつか抜けて、視界が開けてくると区界(くざかい)である。その名の通り、盛岡などの内陸部と宮古などの沿岸部との境の地域で、山田線もこの駅が標高七四四メートルと最高地点になる。
 左側のボックス席で向かい合いながらものすごい勢いで弁当を食べていたおじさん二人はどちらから話しかけたのか、いつの間にか言葉を交わすようになっていた。黄色いポロシャツのおじさんは川崎からで、もう一人の髭のおじさんは藤沢から来たが実家は宮古にあるらしい。親戚五家族とも家は流されたが、一人を除いて皆無事だった。もう一人は永らく行方不明だったが、つい先日みつかったなどと話している。
 区界で分水嶺を越え、下り坂になり、いままでとは打って変わってディーゼルカーは軽快に走り抜けてゆく。沿線の川は進行方向と同じ向きに流れる。ここからは宮古まで閉伊(へい)川に沿って走り、山田線は宮古に着くまでこの川を三十三回も渡る。北上山地の最高峰早池峰山は沿線南側に位置しているが、周囲の山が高くそびえているので車窓から見ることができない。
「そろそろ、たべよう」
 平津戸を過ぎ、川内を通過しようとするころに十二時になった。まさにそのタイミングでみつこさんはおにぎりを出してきた。
 おにぎりを食べてる間も、快速列車はカタンカタンと山の中を走り抜ける。陸中川井付近では貯木場がいくつか見え、閉伊川の渓谷では釣り人がぽつぽついるのが見えた。景色はやがて里になり、平地がひらけ街になった。単線の線路が左から近づいてきて茂市に到着する。近づいてきた線路は岩泉線の線路だ。こちらは地震よりもさらに前、昨年夏の土砂災害以来、列車は走っていない。岩泉線も乗り損ねた路線のひとつだ。錆びたレールを見ると胸がきゅんとなる。
 茂市に着くと駅員が運転席まで駆け寄って、タブレットを入れる革の輪っかを手渡した。震災の影響でいままでの信号機が使えなくなったのか、むかしながらの信号方式が復活しているのがなんだか興味深い。
 市街地を二十分ほど走って宮古駅に近づいた。左からきた線路は三陸鉄道のレールだ。その先に三陸鉄道のディーゼルカーが見える。駅の手前にある場内信号機は使われてなくて、白いテープでばってんがつけてある。だからタブレットが必要だったのだろう。最徐行でホームに入り、三分遅れの11時06分に快速「リアス号」は宮古駅に到着した。



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