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走れ!バカップル列車
第49号 仙石線と仙山線



   八

 ごとけんさんは水色のシャツに茶色いジャケットを羽織って山形駅改札口の前に立っていた。少し太ったようにみえたが、あとで聞いたらウォーキングして痩せたり、食べすぎて太ったり、体重の増減は激しいそうだ。
 ちょうど十二時を回ったところなので、昼ごはんに「冷しラーメン」を食べにいく。ごとけんさんの出してくれたクルマで向かったところは北山形駅前の「栄屋分店」という店だった。さきほど仙山線で北山形を通ったばかりだから、ちょうど戻ってきたような感じになる。本店は市の中心部にあるらしいのだがきょうはイベントで混雑しているらしい。冷しラーメンが食べられれば私たちはどこでもかまわないのだが、「支店」ではなく「分店」という名称が珍しい。
 みつこさんも冷しラーメンに興味津々である。私たちがかなりテンション高く冷しラーメンを二つ注文すると、ごとけんさんは、
「ぼくはふつうのラーメン大盛りで」
 と注文していた。
「え?」っと思う間もなく、ごとけんさんは先に来たふつうのラーメンをぞーぞーとすすりはじめた。ごとけんさんはみんなに親切で気配りはかなりきかせるものの、その実、超マイペースであることを先にみつこさんに説明するのをうっかり忘れていた。みつこさんがあっけにとられているうちに、冷しラーメンもまもなくやってきた。
「え、これが冷しラーメン? なにも変わんないじゃん」
 みつこさんがそう驚くのも無理はない。冷しラーメンは中華料理店の「冷し中華」とも焼き肉屋の「冷麺」ともまったく違う料理で、見た目はごとけんさんが食べている温かいラーメンとほとんど変わらない。ぱっと見てわかる違いはスープに氷が浮いているくらいである。
「スープ飲んでみ」
 見た目は変わらなくても温度が違う。その違いは一口食べればわかる。みつこさんはレンゲでずずっとスープをすすった。
「わ、冷たい!」
「でしょ」
 冷えたラーメンとはあきらかに違い、とてもおいしい。
「え、なんで? え、どうしてこんなにスープがさらさらしてるの? スープが冷めたら脂が浮くだろうに……。なんで、浮いてないんでしょうねえ?」
 みつこさんは興奮のあまり、ごとけんさんにも話しかけたが、
「え、ああ、うん……」
 ごとけんさんは、そういったきりだった。
 冷しラーメンを食べ尽くして店を出た。腹ごしらえもしたし、ごとけんさんに運転してもらってドライブにでも行こうかと思っていたら、ごとけんさんは四時ぐらいに上山(かみのやま)で用事があるから蔵王にも山寺にも行けないという。
 それならということで思いついたのは、さきほど仙山線の車窓から見えた山形城趾だった。線路脇にお堀があって、白壁の立派な門なんかがあった。いままで知らなかったので行ったことがなかったが、一度は行ってみたい。
「あ、霞城公園ね」
 ごとけんさんはそういってクルマを走らせた。山形城趾一帯はいまは霞城公園と呼ばれる公園になっているらしい。

 十二年前、雫石で死んだ広瀬伸哉に会い、十二年ぶりに姐御に会い、なにかと一九九九年との結びつきが多い今回の旅だが、ごとけんさんとはこの十二年の間にも何度も会っている。では十二年前になにもなかったかというとそんなことはなく、なんとごとけんさんはちょうど十二年前の一九九九年五月に山形の隣町である上山で独立開業したのだった。
 ごとけんさんは歯科医師で、それまでは東京の阿佐ヶ谷に住んでいて歯科医院に勤務していた。そのころ私も三鷹に住んでいたから週末などはほとんど毎週のようにごとけんさんと飲み歩いていた。それだけに実家の山形に帰って開業するという話を聞かされたときは、お祝いをいわなければならないはずなのに、なんだかとっても寂しい気持ちになったものだ。
 そんなごとけんさんにとって開業十二年の今年は大きな転機となったはずだ。
 震災後、ごとけんさんは歯科医師会の要請で石巻に応援にいった。最初聞かされたとき、私はてっきり被災者の治療に出かけたのだと思い、「被災者の役に立っているはずです」などと、当たり障りのないメールを送り返したりしていたのだが、ごとけんさんはじつは石巻で被災者の治療をしたのではなくて、遺体の検死をしてきたのだった。
「七人がチームになって、それがさらに四人と三人に分かれるのね。四人が検死をして、俺は三人のほうで記録係ってのをやってたんだ」
 ハンドルを握りながら、ごとけんさんは話し続ける。
「記録ってのは亡くなった人の歯の状態とか治療のあととかを記録していく作業なんだけど、途中でふっと思ったんだよね」
「なにを?」
「こっちは記録を取っていても、石巻は街も病院も津波で流されちゃったから、それと照合するカルテなんか残ってないんじゃないかって」
 それでもごとけんさんは真面目に記録を続けた。遺体安置所に棺などは一切なく、ブルーシートなどで雑に包まれ、ただ救い出されただけの遺体がずらりと並んでいたという。関係者以外は立入禁止なのだが、やはり家族などを探して無理に入ってくる人たちもいる。ダメといっても家族の変わり果てた姿を見つけ、泣き崩れる人たちにはなにもいえない。
「親子とかもいるんだよなあ」
 母が子を抱きかかえたままの遺体を前にして、ごとけんさんも涙が止まらなかったという。
 二度目に石巻に行ったときは、焼死体も多かった。漏れた石油が引火し津波の上で火災が起きたのだ。最初それをみたとき、ごとけんさんは子供かと思ったという。それでも歯は大人だ。焼けるとこんなにも縮むのかと驚いた。
 霞城公園は山形城趾にできた野球場などもある公園である。広大な本丸跡は発掘、復元の作業中だが、予算がつかなくて計画はなかなか進んでいない。それでも左右対称になった白壁の二ノ丸東大手門などはとても立派な造りである。東大手門近くにある紅しだれ桜が満開だった。滝のように連なる花の桃色が、青い空に映えている。
 仙山線の電車から見えたお堀端の道をごとけんさんが案内してくれた。この道沿いの木はすべてソメイヨシノだ。ぽつぽつ花びらが残っている木もあるが、ほとんど葉桜になっている。
「一週間くらい前が、いちばんきれいだったんだけど……。葉桜になっちゃって、どうもすいません」
 ごとけんさんはやけに恐縮している。
「別にそれはごとけんさんが悪いんじゃないよ!」
 そういってみつこさんと私は笑った。
「あ、まあ、そうなんだけど……」
 ごとけんさんもつられて三人で大笑いになった。



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