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走れ!バカップル列車
第49号 仙石線と仙山線



   二

 五月二日の午前中は弘前城の桜をもう一度見に行き、昨日は入らなかった天守閣に登り、休憩所でお茶も飲んだ。桜は咲いていても気温は低く手がかじかむほどだったので温かいお茶はありがたかった。
 盛岡に向かうころになって、雲がだんだん薄くなり、空が明るくなってきた。岩木山も今回は一度も見ることのなかったが、山すそだけが見えてきた。もう少し弘前にいたいと思ったがしかたがない。
 奥羽本線の鈍行列車と東北新幹線「はやて132号」を乗り継ぎ、盛岡駅に着いたのは16時35分であった。
 雫石プリンスホテルの送迎バスが出発するのは16時45分である。乗り場がわかりにくかったので、ギリギリの時間に西口のバス乗り場にたどり着くと、バスというよりちょっと大きめの白いワゴン車が停まっていて、私たちが近づくとすーっとドアが自動で開いた。
「きょうはお二人だけなんですよ」
 運転手がそういうとワゴン車は早速走り出した。ホテルまではおよそ四十五分ほどの距離だ。国道46号線を西に向かう。正面右手にはいかつい山容の岩手山がどしんと構えている。
 向かう道々、運転手から震災当日の様子をきいた。
 とにかく建物が大きく揺れて恐かったという。三月十一日はまだスキー場も営業していたから、ゴンドラに閉じこめられた人の救助が大変だったそうだ。電力は自家発電装置でまかなったが周辺の交通手段が途絶えていたので、地震後は帰れなくて延泊した人がたくさんいた。最後の延泊客が無事帰ったのは三月十九日だった。四月七日の余震も相当大きく、揺れだけでいうとこっちの余震のほうが大きいくらいだった。
 ワゴン車は小岩井農場の中をひたすら走ってゆく。
「わあ、広いねえ」
 みつこさんが左右に広がる牧場をきょろきょろと眺めている。明治時代の牛舎が現役で残っていたりして、文化財になってる建物もあるという。「まきば園」という一般客が入れて遊べる一角もあった。
 そのうちに遥か遠くの山の中腹に白い建物がぽつんとあるのが見えてきた。
「あちらが私どものホテルになります」
 何度も通ったホテルだが、遠くから背後の山を含めてみるとこんなにも山の上のほうにあって、あんなにもちっぽけだということに初めて気がついた。ホテル周辺にいれば、さらに上にある山のほうに目が行くから、ホテルそものもが山の中腹にあることにはほとんど気がつかないし、建物だって充分大きくて立派なのだ。
 ホテルの上には雫石スキー場がある。山頂近辺のコースは雪が残っていて、まだ滑れそうだ。
「上のほうは、まだ雪がありますね」
 かすかな期待を込めて私がいうと、
「もうスキーはできません」
 と運転手はこたえた。
 そのスキー場のメンズダウンヒルコースで友達の広瀬伸哉が死んだ。いまから十二年前、一九九九年三月七日のことだ。山頂でゴンドラを降り、お互い自分のペースで滑って、じゃあ下で待ち合わせようといったその数分後、滑走中バランスを崩したのか、コース脇のブナの木に衝突して即死した。
 あの高倉山のコースに残った雪を見ることは、私にとって広瀬と向き合うことでもあった。今回の旅行ではごとけんさんと姐御に会うことは前もって決まっていたが、直前になって雫石を訪れることになり、広瀬にも会うことになったのはなにかのめぐり合わせなのだろう。
 ホテルに着いたあとはまず温泉でひとっ風呂浴びて、一階のレストランで晩ごはんを食べた。料理はバイキング形式で好きな料理を好きなだけ取って食べられる。みつこさんと私が大好きな方式ともいえる。
 バイキングといえばやはりローストビーフだが、入った時間が遅かったためか、ローストビーフは売り切れになっていた。みつこさんは「なんでないんだよぉ」とぷんぷんになっていたが、しばらくしたらおかわりのローストビーフがやってきた。みつこさんはそれを見るなり一目散に駆け寄り、うしろに行列ができていたにもかかわらず、盛られたローストビーフの三分の一近くを「がしっ」とつかんで自分の皿に盛った。
「えええっ!」
 私は思わず声を上げたが、みつこさんは、
「わしらはきょう初めてなんだし、もうこのあと新しく入ってくるお客さんも少ないんだからいいんだよ」
 と平然としている。我が嫁もおばはんの域に達するとこんなにも強くなるんだなと実感した瞬間だった。

 翌五月三日は朝から小岩井農場の「まきば園」にいった。
 最初は寝坊してからゆっくり行こうと考えていたが、みつこさんも私もいい歳になって朝がだんだん早くなってくる。朝風呂に入って、ごはんも食べた。その後ぷらぷらしているくらいなら、「まきば園」に早めに行って、早めに帰ってこようと予定を変更した。
 九時半に盛岡行きの送迎バスがあるから、途中まで便乗させてもらうことにした。昨夕のルートを半分ほど戻る感じだ。
 ところがいざワゴン車に乗ろうとすると行き先は雫石駅行きだという。どうやらきょうは盛岡に向かう客はなく、その代わり私たち以外の老夫婦と青年一人は雫石の駅に行く。いま雫石プリンスホテルは三陸沿岸の山田町からの避難者を八十名ほど受け入れている。レストランも部屋のフロアも一般客とは区分されているが、一階ロビーには掲示板が出ていて、山田町や雫石町の生活情報関係のチラシがびっしりと貼り付けられているし、避難者用の無料電話が引かれたりして、明らかに通常の営業とは違う状況になっている。
 ワゴン車の老夫婦と青年は山田町の避難者できっとなにかの手続のために雫石の役場に出かけるのだろう。小岩井農場に遊びに行くだけの私たちが便乗させてもらうのは気が引けた。
「先に雫石の駅に行ってください。私たちは後回しでいいので」
 みつこさんが運転手にそう言ったが、運転手は「いえ、いいんです」といって先に小岩井農場へとワゴン車を走らせた。降りるとき、老夫婦と青年にお礼をいった。三人は私たちに文句をいうでもなく、無言でおじぎをしてくれた。
 広大な敷地のほんの一角を一般用に解放したような感じの「まきば園」は、実際に歩いてみるとへとへとになるほど広かった。天気も良く、風が心地よい。遥か彼方には雪を残した岩手山が全容を現していた。モーモートレインに乗ったり、ソフトクリームを食べたり、オムライスを食べたりしたが、それぞれの場所がずいぶんと離れているから歩くのに時間がかかった。
 帰りがけに寄った上丸牛舎が良かった。この牛舎は、道を挟んで「まきば園」の向かいにある。BSEの関係でいまは牛舎内には入れないが、白黒のぶちの牛たちがのんびり草を食べていたり、寝転んだりしているのを見ることができた。木造の牛舎やレンガ造りのサイロは明治時代に建てられたもので、国登録有形文化財になっている。木造の牛舎などは永年の風雪によくぞ耐えたものだと思う。
 ホテルには三時前に戻って風呂に入り昼寝をした。晩ごはんはこの日もバイキングだったが、とてもショックなことにローストビーフは出てこなかった。
「よかったでしょ、きのう、たくさん食べといて」
 みつこさんは自信ありげにそういった。



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