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走れ!バカップル列車
第47号 京葉快速電車



   四

 浦安の埋立地は左右の江戸川区や市川市からみてかなり海側に突き出て開発されているから、それまで内陸を走っていた京葉線は浦安を過ぎると海側に出る。左は陸地で工場や倉庫が並び、右は東京湾の三番瀬だ。やがて右側も陸地になって、市川塩浜、二俣新町を通過。二俣新町は西船橋へ向かう三角線の底辺部分にあり、北東方向に進んできた線路は、南東方向へと向きを変える。川や運河を渡り、いくつもの工場や倉庫を通り過ぎる。オートレース場やIKEAの大きな建物が見えてくると南船橋である。
 新習志野を通過すると右窓に注目する。次の海浜幕張との間の線路脇にパナソニックの「さくら広場」があるのだ。園内に入れなくても咲いている桜は電車からも見えるはずだ。ところがこの付近、車庫へ出入りする線路が入り組んでいて、ちょうど見えそうなところは上りの高架線が邪魔になり、ちらりとしか見えなかった。残念だが帰りもまた通るので上り電車からの眺めに期待することにする。
「あれ、なあに」
 みつこさんがまた訊いてくる。右前方には波打つような屋根の巨大な建物が見えている。
「幕張メッセだよ」
「あ〜、あれがそうか……」
 そうこうするうちに海浜幕張に停車。11時17分発。東京からちょうど三十分の距離である。付近は幕張メッセのほかにもいくつものイベントホールや高層ホテルなどが建ち並んでいる。
「高いビルがあるねえ」
 みつこさんは感心している。
 海浜幕張から先は快速電車も各駅に停まる。大きなマンションや戸建て住宅が並ぶ住宅街を見ながら、検見川浜、稲毛海岸と停車して行く。
 稲毛海岸から一キロほど進むと再び工場地帯になる。かつて千葉貨物ターミナルがあった敷地はすでに建物になっているところもあるが、空き地になっているところもある。千葉みなとに停車。もとは「千葉港」という名称で最初に旅客列車が開業したときの終点駅だった。周囲は大きな街にはなっていないが、ホームは二面あってだだっ広い感じだ。この駅の東方向に総武線千葉駅がある。千葉都市モノレールが接続していて、京葉線のすぐ脇に懸垂式モノレールのぶっといレールが宙に浮かんでいる。
 千葉みなとを発車した電車は二つのS字カーブを経て、国道357号線を立体交差で跨ぎ、外房線の上り線を越える。高架線から坂を下って、11時29分、終点蘇我に到着した。
 蘇我は外房線に京葉線が合流し、また内房線が分岐するので千葉県の一大ジャンクションである。駅でぼうっと眺めているだけでも外房線、内房線の列車が次々と発車してゆく。
 来た道をまた戻る。新浦安まで11時50分発の上り快速電車に乗車。途中海浜幕張の先で「さくら広場」を探す。こんどはこちらが高架線だからちゃんと見えるはずだ。席を立ち、みつこさんと左窓をのぞき込む。広場一面に規則正しく桜の木が並んでいるのがみえた。その一本一本が満開の花をたたえている。
 桜の花は閉園も自粛もしない。それでいいのだと思う。

 新浦安の駅構内を一歩出ると、すぐに液状化の惨状が目に飛び込んできた。
 駅構内から駅前広場に降りる階段の接続部分が二十センチほど隙間ができ切り離されて通行禁止になっている。
「ひゃー!」
 思わずみつこさんが悲鳴をあげる。
「しー、声が大きいよ」
 みんなの注目を浴びそうな大きさなので、少し焦る。
 同じく広場に降りるエレベーターも閉鎖されている。広場側の乗り場に段差が三十センチほどできていた。地震から丸一か月が経つが、まだ傷跡があちらこちらに残っている。駅向かいのショッピングセンターには「がんばろう“うらやす”」の横断幕が掲げられている。
 昼ごはんを食べようと思って、ショッピングセンター四階の飲食店街に行こうとしたが、上階に行くためのエスカレーターがブルーシートに覆われ閉鎖されていた。飲食店街がまだ復旧していないのだ。
 昼を済ませて、再び街に出る。きょうは青空が広がっていて、ここがご近所だったらお散歩日和だが、液状化現象の現状を確認するためなので気を引き締めて歩く。改めて駅前広場をぐるりと見渡すが、選挙投票日であれば当然掲示されているはずの選挙ポスターはどこにも見あたらない。
 駅前から南東方向へ「シンボルロード」と呼ばれるメインストリートを歩く。すでにこの道の歩道がおびただしい量の砂に覆われている。剥がれたタイルは歩道脇に積み上げられ、ショッピングセンター向かいの集合住宅の入口には階段を二段、三段分増やさなければいけないほどの段差ができている。いままでの最下段の下には不気味な空洞がぱっくりと口を開けている。
 タイルが波打ったり、浮き上がったり、ひび割れたりしている道をさらに二百メートルほど南東へ進むと戸建ての住宅街だ。二階建て、三階建ての住宅が建物ごとあっちこっちに傾いている。塀や電柱はまたてんでばらばらの方向へ傾いているので、なにが垂直なのかわからない。ずっとみていると平衡感覚がおかしくなってふらふらしてしまう。下水道がまだ復旧していないのか、児童公園には仮設トイレが五、六台設置されていた。
 駅から一キロほどのイトーヨーカドーも歩道と敷地とに五十センチほどの段差ができている。ネットで見た写真との違いはいまは土嚢が積まれているところぐらいだ。その先のケーヨーデイツーの周囲も歩道がぐにゃぐにゃ。マンホールは三十センチほど歩道から飛び出ていた。
 ケーヨーデイツーから海側のマンション街、二つのホテル、了徳寺大学付近は不思議と液状化していなかったが、運河を渡った南西側の埋立地はまた液状化している。海沿いの浦安南高校も液状化が激しく、学校ごと船橋へ疎開している。広大な空き地を少し戻ったところから、バスに乗って新浦安駅に戻ることにした。
「なんかさー」
 みつこさんが話しかけてくる。震災以後、このフレーズがみつこさんの口癖になってしまった。
「たいへんだよね。最初にみた戸建てのところでさー、おじさんが家の前の溝を掃除してたじゃん」
「うん、してたしてた」
 駅近くの住宅街でみかけた熟年夫婦のことだ。
「なんかさー、悲しいよね。まだローンも残ってるだろうに、家があんなことになっちゃって……。奥さんにおーいとかいって、なんでもないような話してたけどさー」
「あの家は、おれもカメラ向けられなかったなあ」
「溝の前の塀、傾いてたよね。あんなところで掃除して、倒れてきたら危ないよね」
「うん、危なかった」
 ローンのこと、家のこと……、考えるとさまざまな苦悩が重くのしかかってくるだろう。それでもすれちがうひと誰もが、これからもこの地で強く暮らしていこうと決意しているようにみえた。
 なにより子供たちが元気だった。砂だらけの公園でボール遊びに興じたり、凸凹道さえ自転車で楽しんで乗り越えようとしている。この元気な子供たちの笑顔がこの街の救いであり、希望なのだ。



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