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走れ!バカップル列車
第47号 京葉快速電車



  東日本大震災の被災者のみなさまに心よりお見舞い申し上げます

   一

 ひとつ前にバカップル列車を走らせたのは、二○一○年六月下旬のことで、もう十か月近くも運転間隔があいてしまっている。例年だと秋(十月ごろ)と春(三月前後)にもどこかへ出かけているのだが、その両方とも走らなかったのは昨秋に自宅の引っ越しがあったからだ。
 みつこさんと結婚して以来、九年四か月あまり暮らした東京都北区滝野川を離れ、文京区本郷にマンションを買ってそこに転居した。滝野川は都心からの交通の便が良い割に物価も安いし、なかなか住みやすい。友達もできたし、十年近く住めば愛着もある。だから最初は滝野川でマンションを探したりもしたが、必要な間取り、物件価格、通勤など自分たちにとっての暮らしやすさなどをあれこれ考えた結果、本郷の物件にたどり着いた。
 本郷のマンションに決めたとたん、またそこに新たな出会いがあった。インテリア全体のコーディネートや造作家具の製作などいろんな分野のプロが次々と最高の仕事をしてくれてとても快適な住まいになった。新居づくりに携わってくれたみなさんにお礼もしたかったし、新居を自慢したいから友達を招いたりもした。そんなこんなに時間を割いたりしているうちに冬が来て、春になろうとしていた。旅はもうちょっとあったかくなったら出かけようねなどとみつこさんと話していた。
 その矢先に大地震がやってきた。

 二○一一年三月十一日十四時四十六分に発生した東北地方太平洋沖地震である。
 のちに地震の引き起こした一連の災害が「東日本大震災」と呼ばれるこの地震、私がいた東京・秋葉原の職場では十四時四十七分ごろから揺れ出した。
 その二日前にも船が揺れるようなやや大きめの地震があり、その後もこまかな地震があったので、「初期微動」でカタカタ揺れ出したときには「またか」ぐらいにしか思わなかったのだが、「主要動」に至ってかなり大きな横揺れになったので、「これはまずい」と思い、背後の非常扉を開け様子を見た。職場は昭和通りに面した小さなビルの五階にある。非常扉を出たところは小さなベランダですぐ向こうに隣のビルの鉄製非常階段がある。
 数分経っていよいよ揺れ幅が大きく、動きも激しくなった。机の上の本棚が倒れ床に本が散乱し、袖机の引き出しが飛び出してきた。一緒に働いている小心者の父はエレベーターホール脇の非常階段に飛び出してなにか大声で叫び、妹と私はそれぞれの机の下に潜った。開放した非常扉の向こうでは隣のビルの非常階段が軋んでギーコーギーコーと不気味な音を規則的に放っている。窓の外をみると隣も通りの向かい側も首都高速も街全体が大きく揺れている。
 都内の別の場所に出かけていたみつこさんとは地震発生から三十分以上経った十五時二十分ごろになって電話がつながった。とりあえず無事に避難できているとのことで安心した。夕方になってみつこさんと合流し、歩いて家に帰った。いつも通っている本郷通りの歩道は歩いて帰宅する人たちで溢れかえっている。人の流れる方向も違い、景色がまるで変わっていた。本郷の自宅に着くと地震の影響でエレベーターが停止していた。九階まで階段で登らなければならない。やっと着いたと一安心して鍵をあけた。
 玄関を開けるといつもとは違う自宅の光景が広がっていた。ある程度予想はしていたが、現実の光景はその予想を遥かに超えていた。
 壁に掛けてあった絵が大きく傾いていた。玄関前廊下に飾ってあったNゲージの鉄道模型は全車両の半分近くが棚から転落していた。中には分解されてしまったものもある。
 居間では鉢植えが倒れ床に土がこぼれていた。食堂後ろの棚からは花瓶が落ちて割れ、ガラスの破片と本とがごちゃまぜになって床に散乱していた。台所の流しの下からは収納の引出しがほぼぜんぶ飛び出している。寝室では小型テレビが台ごと倒れ、壁と床に穴があいた。
 寝室の奥の書庫はもっとひどかった。この部屋は窓と反対側の壁一面に天井突っ張り型の本棚を四つ設置していたが、そのうちの二つが窓側に折り重なるようにして倒れていた。そのうちの一つはカーテンを突き破って窓ガラスに激突し、その本棚と壁に引っ掛かるようにしてもう一つの本棚が倒れ込んでいた。引っ掛かっているので先端部分は宙に浮いている。本棚は倒れる際に天井の照明を引っかけていったから、その照明は大破、そして床には本棚にぎっしり詰まっていた本や時刻表が足の踏み場もないほどに散乱していた。
 みつこさんも私も、絶句した。廊下、居間、食堂は、模型も本も花瓶もその日のうちに片づけたが、書庫だけはどこから手をつけていいかわからない。すでにニュースの映像は見ているから、三陸を襲った津波はこんなものじゃないと頭では理解している。もっとひどい目に遭った人たちが大勢いる。それはわかっているが、平和に呑気に過ごしていた自分たちのいままでの暮らしが一瞬にして崩壊した事実に直面すると、呆然とベッドの隅に腰を落とすぐらいしかできることがみつからなかった。見ているだけでも全身から力が抜けてしまい、その夜は書庫の本棚と本は放ったまま、布団にもぐって寝てしまった。

「震災」と「地震」はやはり違う。震度七レベルの揺れだけなら避難訓練の地震体験車でも体験できる。しかし揺れそのものよりも私たちの心身深くまで襲ってきたのは、そのあとにやってくる事故や社会の混乱だ。東電福島原発の事故と放射能汚染、計画停電、水道水汚染騒ぎ、風評被害、買い占め、自粛の強要……。そういった一連の「震災」は東北地方のみならず、私たちの住む関東、東京にまで容赦なく襲いかかってくる。わが家には「地震」直接の被害も相当あったが、その後じわじわやってきた「震災」のほうがかなり堪えた。私は阪神・淡路大震災の惨状を目にはしたが、あれは申し訳ないけれどもやはり他人事だった。東日本大震災ではじめて、私たちは他人事ではない自分の「震災」を体験することになった。



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