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走れ!バカップル列車
第45号 寝台特急日本海



   三

 梅雨入りから三日経ったくもり空の六月十七日、みつこさんと私は東京駅14時03分発の「ひかり475号」に乗って新大阪に向かった。新大阪駅構内で晩ごはん用の弁当を買い、東海道線の普通電車に一駅乗って大阪に着いた。
 寝台特急「日本海」の旅はここ大阪駅からはじまる。発車は東海道線上り列車が発着する十番線である。一本隣りの線路には北陸線特急「サンダーバード」が発車を待っている。同じホーム反対側の九番線からは京都方面の新快速電車を待つ乗客たちで混雑している。
 私たちは十番線ホームの京都寄りの先端にやってきた。「日本海」が入線してきたら、機関車の前で記念撮影をしたいからである。すでに「サンダーバード」や「日本海」を狙う鉄道おたくたちがカメラを持って待機している。
 発車まであと七分ほどに迫った17時40分ごろ、ついに「日本海」が神戸方向から入線してきた。先頭にピンク色をしたEF81形電気機関車、続く客車たちはブルーの車体の24系寝台客車である。機関車の後ろには電源車を兼ねた荷物室があって、ホームで待機していたおっさんが荷物室に荷物をどったんばったん運び込んでいる。発車までの時間がわずかなので、みつこさんと私はてきぱきと写真を撮った。
 乗車するのは機関車から数えて三両目のA寝台車である。号車番号は後ろから振られているので、十二号車と表示がある。寝台は十一番下段と十二番下段。通路を挟んでちょうど向かい合わせになるように切符をとった。みつこさんが進行方向右側の十一番下段で、私は左側の十二番下段である。寝台は通路の両側に線路と同じ方向に配置されている。B寝台と比べて幅が広い。カーテンを広げて荷物を置き、窓際のテーブルを出して弁当を置いた。この車両には私たちを入れて四人ぐらいが乗車している。やはり空いている。
 定刻17時47分になり、寝台特急「日本海」は静かに大阪駅を発車した。左にカーブしながら大阪の街の中をゆっくりと走りはじめる。車掌の放送がはじまった。徐々にスピードが出てきて淀川の鉄橋をごうごうと渡る。
 私はみつこさんのいる十一番の寝台に乗り込んで、窓の外を眺めながらおかしをぽそぽそと食べはじめる。寝台が広いので二人向かい合って体育座りをしてもまだ余裕がある。まぬけ顔でたこ焼き味のおかしを食べていると、隣りに同じ方向に走る東海道線の普通電車が近づいてきて並んで走る。普通電車の乗客の顔がすぐ近くにあって、ちょっと恥ずかしい感じがする。

 車内探検に行こうとおもう。京都を過ぎてから行こうと思っていたが、弁当は琵琶湖を眺めながら食べたいし、やはり待ちきれないので山崎あたりでいくことにした。ふだんは私が一人でいくが、きょうはみつこさんにも声をかけてみた。
「みちゃんもいく?」
「おお、いこうか」
 快い返事が返ってきたので、二人で探検に出かけた。室内とデッキとの間の仕切り扉、車両と車両の間にある貫通扉は車両が古いからぜんぶ手動だ。その扉をいくつも開けたり閉めたりしながら後ろの車両に移っていく。A寝台は十二号車一両だけの連結で、十一号車から後ろはすべてB寝台車両だ。十号車から七号車まではきょうは連結していない。十一号車の次が六号車である。寝台車は八両連結、それに電源車と機関車をあわせてぜんぶで十両編成で走っている。四両減車していてもB寝台車はがら空きで、一両丸々誰もいない車両があった。
 車両を移っている途中で京都に停車。これといって乗ってくる人もいないままに発車する。まもなく東山トンネルに入る。
 ようやく一号車の一番後ろに着いた。貫通扉の窓から、去りゆく風景が見えるはずだがちょうどトンネルの中なので真っ暗である。扉の前には仲間とおぼしきお兄さんが一人、カメラを構えていた。
 トンネルを出た。石を丁寧に組んだ坑門が見える。
「古いトンネルだなあ。いま見た? トンネルの出口のところに石が積んであったでしょ?」
「うん、見たよ。すごいね」
 東山トンネルを抜けると線路は雄大なS字カーブを描きながら山科へ向かう。鉄道おたくたちの間で「山科の大カーブ」といわれるところで、「撮り鉄」ならば知らぬ者はいないといわれるほどだが、先客のお兄さんはトンネルを抜けたところでいなくなってしまった。山科の大カーブは見晴らしが良く、東山の山なみが次第に離れると、平地が周囲にどんどん広がっていく。はるか山すそを見ると、後ろから快速電車が猛スピードで追いかけてくるのが見える。
「日本海」は山科を過ぎたところで東海道線と分岐し、湖西線に入る。再びトンネルに入る。長等山トンネルだ。
「このトンネルも古いの?」
 みつこさんがいう。
「こっちは古くないと思うよ。湖西線ができるときに掘ったトンネルだから、昭和四十年代だよ」
 湖西線は一九七四(昭和四十九)年に開通した琵琶湖西岸を走る路線で、それまで米原経由だった京都、大阪方面と北陸方面とのルートを短縮するために建設された。特急列車が高速で通過することを想定しているため、ほぼ全線が高架かトンネルになっていて、踏切が一つもない。建設された時代が昭和四十年代なので、高架も盛り土ではなくコンクリート橋ばかりになっている。
 列車はやがて大津京を通過し、琵琶湖が見えてきたので、来た道を引き返して十二号車に戻った。

 晩ごはんの弁当を食べることにした。みつこさんは新大阪でひとめぼれした松阪牛サンド、私は豚みそ弁当である。進行方向右側にあるみつこさんの寝台に二人でこぢんまりと座って食べはじめる。テーブルが大きめなので二人の弁当を並べても大丈夫だ。
 窓の外は住宅地とその向こうは琵琶湖である。比良山地の山々と琵琶湖との間のわずかな平地に家々がぎゅっと並んでいる。琵琶湖は、来た道ゆく道、どちらを見渡してもずうっと広がっている。対岸ははっきりと見えないから、ほとんど海だ。むかしの人びとが「近江(おうみ)」と呼んだのも、この光景を見ればうなずける。「日本海」は高架線を快調に走り、蓬莱、志賀など小さな駅を次々と通過してゆく。
 近江今津を過ぎると家も少しずつ減っていき、代わりにたんぼが増えてくる。稲もだいぶ育ってきて、どのたんぼも青々としている。並行する道路を、乗用車を載せた赤いキャリアカーが走っていて「日本海」とほぼ同じ速度でずっと並んで走っている。あたりはだいぶ暗くなり、空は朱く染まりはじめた。
 松阪牛サンドも豚みそ弁当もけっこうなボリュームで、湖西線最後の駅、永原を通過するあたりでようやく食べ終わった。ふくらんだおなかをさすりながら窓の外をみると右側から北陸線の線路が近づいてきた。
「合流するの?」
 みつこさんがきいてくる。この先の近江塩津で湖西線は北陸線と合流する。
「するよ」
 そうこたえると、列車は急に速度を落とし、停まってしまった。
「しないね」
 みつこさんにそう言われ、不思議に思っていると、すぐ右側を米原方面から来た特急「しらさぎ」が猛スピードで通過していった。
 左側の私の寝台から窓の外をみると、こちら側にはホームがあって、停まっていたのは近江塩津の駅だった。「しらさぎ」に追い抜かれてもまだ停まっている。しばらくするとこんどは左側を湖西線を後から来た特急「サンダーバード」が通過した。特急が特急を追い抜くのはおかしい感じもするが、機関車がひっぱる客車列車はどうしても電車よりスピードが遅くなってしまうのでしかたがない。
 近江塩津に着いたころはまだ薄明かりの中だったが、停車している間にすっかり日が暮れてしまった。ここから先に上り線がループ線になっているところがあったりして、明るければ面白いところだが、もう窓の外は見えない。
 19時41分、敦賀に着いた。カーブの途中の駅なので車両が斜めになったまま停まっている。スーツケースを抱えた客たちが何人か乗ってきた。京都からも何人か乗ってきていたので、敦賀を発車した段階でA寝台の下段はほぼ満席になっていた。
 敦賀はわずか二分の停車で発車した。「日本海」には食堂車も車内販売もないのだから、「サンダーバード」などに追い抜かれる駅は敦賀とか福井とか大きい駅にダイヤを組んで、乗り換えや買い物をしやすくすればいいのにと思う。
 みつこさんはおなかもいっぱいになったので、顔を洗ったら服を着たまま横になってしまった。左側の窓から月がみえたので、通路向かいのみつこさんに声をかける。
「お月さんがみえるよ」
 みつこさんは「どれどれ」とやってきた。そうしてしばらく夜空に浮かぶ三日月を見ていた。
 福井20時25分着。みつこさんがカーテンの隙間から顔を出す。もう寝間着に着替えてしまって、目がとろんとしている。
「うとうとしてたんだ」
「寝てな」
「ひろさん、寝るとき声かけて」
「わかた」
 そういうとみつこさんのカーテンがしゃっと閉まった。
 加賀温泉には五分ほど停まる。ここでも特急列車の通過待ちがあるが、車掌が放送で「ホームに売店はありません」というと車内から失笑がもれた。



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