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走れ!バカップル列車
第44号 オレンジ色の中央線



   四

 中央線は新宿駅を境にその性格をがらりと変える。
 電車区間である東京〜高尾間のうち、山手線内側の新宿までの区間は都心の移動手段としての路線だ。性格としては山手線や地下鉄に似ている。反対に山手線の外側である新宿から西の区間は郊外への通勤通学路線という性格を持つ。似たような路線としては小田急・京王・西武などがある。だから車両そのものは新宿の東から西へ、あるいはその逆方向に通り過ぎて行くが、乗客の大半は新宿で入れ替わる。大勢の客が新宿で降りて、同じくらいの人数が新宿から乗ってくる。客層も都心と郊外では微妙に変化する。
 逆の見方をすれば、中央線は郊外電車が都心へ直接乗り入れることになるから、そういう意味ではとても便利だ。小田急・京王・西武が新宿、池袋で他路線への乗り換えを余儀なくされることを考えれば、これは大きな違いである。
 そして新宿は、山岳路線中央線の始発駅でもある。いまでこそ東京や千葉始発の特急「あずさ」があり、甲府方面の普通列車は立川以東に来なくなってしまったが、かつては中央線の特急・急行列車はすべて新宿駅から出ていたし、甲府方面へ向かう普通列車も新宿始発が一日十本程度走っていた。埼京線・湘南新宿ラインが走りはじめる前の新宿駅は、十本ある乗り場のうち八本が中央快速線、中央緩行線用のホームだった。新宿駅は中央線のターミナル駅として発展してきたといっていいし、いまもその基本的な機能は変わっていない。
 私たちの乗る快速電車が到着した十二番線のホームには多くの乗客が電車の到着を待っていた。ドアが開くと同時にどやどやと乗り込んでくる。降りるひとは少ない。座席は完全に埋まり、立つ客も出てきた。
 三鷹に住んでいたころ毎日のように聞いていたメロディの発車ベルが鳴り、16時34分、オレンジ色の電車は新宿駅を発車した。
 山手線のガードをくぐり、大久保を通過するあたりから電車はスピードをぐんとあげてゆく。
 神田川を渡り東中野を過ぎれば立川まで線路は地図上ではほぼまっすぐ西に走る。
 東中野で山手通りをくぐった先、三百メートルほどの区間は掘り割りになっていて、線路北側の土手に沿ってソメイヨシノの木がずらりと並んでいる。春になると薄桃色の桜と黄色い菜の花がきれいに咲いて、そこにオレンジ色の電車が走ってくればとても色鮮やかな絵になったのだが、そんな光景はもう見ることができない。
 掘り割り区間を抜けると土地は開け、線路がいくつにも枝分かれして中野駅に着く。中央快速線が完全な「快速」として機能するのは、御茶ノ水から中野までで、この区間だけは快速の通過する駅には最初からホームがない。ところが平日の「快速」電車は中野を過ぎると各駅に停まるので、快速線と緩行線がまったく同じ駅に停まりながら並んで走るという奇妙なことになっている。
 中野駅停車中、隣に座っているみつこさんがいう。
「ひろさん」
「なんだい」
「眠くなっちゃった。寝てもいいかな」
 みつこさんは電車に乗ると寝てばかりいると私が書くから、きょうは我慢して起きていたようだ。それでもここで眠くなってしまったのだろう。
「いいよ」
 そう私が返事するなり、みつこさんはくうと寝てしまった。
 中野からもたくさん乗ってきて車内はやや混雑してくる。ここから線路は高架線になる。高円寺、阿佐ヶ谷と通い慣れた景色の中を電車は走る。もう右側の窓から西日は射さないが、窓のブラインドは下がったままで、外の景色はよく見えない。新型E233系はコスト削減のためブラインドは付いていないから、こんな悩みも201系ならではだ。
 荻窪では地上に戻り青梅街道をくぐる。西荻窪、吉祥寺は再び高架。みつこさんは私の横で気持ちよさそうに舟を漕いでいる。
 三鷹からは中央緩行線の線路が合流して複線に戻る。大きな車庫の横を過ぎると最近工事が完成した高架線に上る。この付近までくると高い建物も少なくなるから、武蔵野の緑を気持ちよく見おろす感じになる。
 武蔵境や東小金井では女子高校生たちが乗ってきて、きゃあきゃあと騒いでいる。高架化工事は武蔵小金井まで進んだようで、国分寺までくるとまた地上に戻る。国分寺には三分ほど停車して「中央特快」に追い抜かれた。

 武蔵野を西にまっすぐ走って快速電車は立川駅六番線に到着した。青梅線に乗る人たちが降りる客以上に乗ってくる。誰が持ち込んだのか、するめいかの匂いが車内に充満した。
 立川は17時13分に発車。中央線から左に分岐し、南武線から延びてきた貨物線と合流して単線の線路をしばらく走る。中央線下り線や南武線から青梅線に入る列車は、中央線と立体交差するためにこの線路を使うようだ。民家の軒先をかすめ、踏切を通過したりするから、なにも知らないと「どこへ行くんだろう」と心配になるかもしれない。西立川駅の手前で青梅線の本線に近づいて、ようやく本来の青梅線を走るようになる。
 東中神から急にのどかな雰囲気になる。建物も高くて三階建てぐらいだ。公園も多く、やはりここまでくると緑が多い。
 拝島は八高線と交差し、五日市線が分岐する駅だ。降りる人は多い。それでも座席は満席で、空いてきたと感じるのは福生(ふっさ)を過ぎてからだった。福生で東京駅からずっと私たちの正面に座っていた女の子が降りた。きっと女の子のほうも私たちを見て「この夫婦はどこまで乗るんだろう?」と不思議に思ったに違いない。福生には大きなマンションが建ち並んでいる。あの女の子もこのあたりのマンションに住んでいるのだろうか。
 オレンジ色の電車は多摩川の流れる平野のなかを北西に向かって走ってゆく。太陽はだいぶ傾き、左側の窓からは黄色い西日が容赦なく降り注ぐ。
「ここどこ?」
 目を覚ましたみつこさんが周辺の景色をきょろきょろ見ながらきいてくる。
「福生」
「ひろさん来たことあるの?」
「中学のころ、来たかな」
 私も青梅線に乗るのはずいぶんと久しぶりだ。
「古すぎるねえ」
 そんなとんちんかんな話しをしている間も電車は小作(おざく)、河辺(かべ)と停車してゆく。河辺で乗客はほとんど降りてしまって三号車は十数人ほどになる。東青梅からは単線になり、そうして17時46分、快速電車は終点青梅に到着した。東京駅からおよそ一時間半の旅だった。
「青梅は、ちゃんとした街だね」
 みつこさんがいう。建売住宅が並ぶ小作などと比べると街並みに年季が入っているからだろう。たしかに青梅は青梅街道の宿場町で、山と平地の境目にできる谷口集落を原型としているから歴史は古いはずだ。
 いま到着した電車が折り返しの東京行きとなって出発するのは17時53分。帰りもこのオレンジ色の電車に乗りたいから、青梅にいられるのは七分しかない。その間にいったん改札口を出て運賃の精算をする。
 古い映画の看板が並ぶ地下通路を抜け、ふたたび201系電車に乗り込む。
 来るときは三号車だったので、こんどは二号車に乗ってみる。「モハ201-254」という車両だ。
 折り返し上り電車となって、青梅駅を発車したとき「キィイイイイーン」というサイリスタチョッパ制御装置の懐かしい音がした。下り電車では聞こえなかったので、なんでだろうと考えていたら、チョッパ制御装置は「モハ200形」にはなくて「モハ201形」だけにあることに気がついた。こんな基本的なことに「さよなら乗車」の日まで知らなかったのだから、私の鉄道おたくも知れたものである。
 電車が加速するたびに聞こえる「キィイイイイーン」という制御器の音にしびれているうちに電車は立川まで戻ってきた。
 立川駅構内で青梅線から中央線に入るため、電車はスピードを落としてポイントを渡る。そのとき、いま走ってきた青梅線の線路の向こうに、まさに地平線に沈もうとしている太陽が見えた。それはものすごく眩しくて、ものすごく強烈なオレンジ色だった。夕陽はなにか言いたげにギラギラと輝いて、私たちの乗る201系電車を照らしていた。



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