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走れ!バカップル列車
第44号 オレンジ色の中央線



   二

 中央線にオレンジ色の電車が登場したのは一九五七(昭和三十二)年のこと。日本の鉄道史のなかでもじつに画期的な出来事だった。
 このオレンジ色の電車は「101系」(登場時は「モハ90形」という形式名)といって、車体の仕様などは旧型電車から引き継いだ部分も多かったが、駆動装置やカラーリングなど、いままでの通勤電車とは明らかに一線を画していて「新製能電車」と呼ばれた。
 旧型電車の駆動装置は「釣り掛け式」といって、車軸にモーターが載っているものだった。構造が簡単で製造コストも低かったが、揺れが激しい、音がうるさい、高速運転に向かない、といった欠点があった。
 そこで採用されたのが「中空軸平行カルダン駆動方式」というものだ。これによってうまい具合にモーターを車軸ではなく台車側に取り付けられるようになり、電車の性能は格段に向上した。このほかにも電動車を二両一組で考え、制御機器やパンタグラフを分散して配置する方式や、発電ブレーキなど、新機軸が最大限に採り入れられている。
 見た目にもすぐにわかる特徴が車体のデザインだ。地味なところでは幅一メートル三○センチの両開きドアが国鉄の電車ではじめて採用されている。それまでは一両に四つの扉がついている車両はあったが、どれも幅一メートルの片開きだった。
 そしてなによりわかりやすいのはその車体の色だ。それまで電車といえば、地味なチョコレート色と相場が決まっていたが、101系は明るいオレンジバーミリオンで颯爽と登場した。
 おもしろいことに101系が登場した昭和三十二年当時、国鉄にはまだ線区ごとにシンボルカラーを決める「ラインカラー」という概念がなかった(ラインカラーが決められるのはスカイブルーの京浜東北線が登場する昭和四十年のこと)。
 もちろん101系は、中央線の混雑緩和を最優先して開発された車両である。高尾から東京まで五十キロを超える沿線の乗客が、ラッシュ時には一斉に都心へ向かう中央線は首都圏の最混雑路線だったのである。ここに十両編成の列車を二分間隔で走らせることのできる高性能通勤電車の開発が急務だった。
 しかしラインカラーの発想がなかったのだから、新型電車の色はどれにすべきという絶対的な基準がなかった。当然いろんな案が出てなかなかまとまらない。結局、オレンジバーミリオンに決まったのだが、その色は当時の国鉄工作局動力車課長の奥さんが着ていたセーターの色からヒントを得たといわれている。

 いまの感覚からすると、首都圏の通勤路線でいちばん混雑するのは山手線になるのかもしれないが、それまでは永らく最混雑路線は中央快速線だった。101系登場から二十年あまりを経た一九七九(昭和五十四)年に新型電車「201系」が登場したときも、車体の色はオレンジバーミリオン、最初に走った線区は中央快速線だった。
 201系は当時最新鋭の「サイリスタチョッパ制御」という半導体を使った装置を採用した「省エネ電車」として登場した。前面の運転席部分が黒く塗装されていて、窓の配置も左右非対称であるところが、それまでの電車と違い斬新なところだ。201系は将来の標準的通勤型電車として、いろんなラインカラーの車両が製造されて各線区に投入されるはずだった。ところが製造コストがあまりにかかるため財政状況の厳しい当時の国鉄はすべての通勤電車にこれを採用することができず、首都圏の中央快速線、中央・総武線各駅停車、関西圏の東海道・山陽線各駅停車に投入されるに留まった。
 およそ千両製造された201系のうち、最終的に七百両ほどが中央快速線で活躍していた。これはかなりの大所帯で、101系が引退した一九八五(昭和六十)年から、新型のE233系が登場する二○○六(平成十八)年までの二十一年間は、すべての列車が201系で走っていた。
 中央快速線は201系の牙城だった。201系は中央快速線に君臨していた。
 この時代に私は三鷹に住んでいた。電車なんぞに感情移入する鉄道おたくの神経などふつうのひとには理解できないだろう。でも通勤や買い物の行き帰りにはいつもオレンジ色の201系がいた。平日も休日もオレンジ色の電車だった。愛着が湧かないといえば嘘になる。ついでに言えば、みつこさんに「結婚しましょう」といったのも中央線201系の車内だった。
 そのオレンジ色の201系がいつのまにか中央線から消えていた。人知れず消えていた。私もしばらく気がつかなかった。知ったとき、とても悲しくなった。
 覚悟はできていたようで、できていなかった。201系はもう登場から三十年が経つ車両だ。鋼鉄製で頑丈にできた車体だったがさすがに古くなってくる。制御装置も車体も内装もなにもかもが二十一世紀型になった「E233系」という銀色の電車が二○○六年から登場し、瞬く間に201系を駆逐した。201系は二○○九年秋の時点でわずか二編成(二十両)が予備車両として残されるだけになった。それでもその二編成はいままで通りの営業運転に就いてふつうに快速電車として走っていた。
 最後の二編成については二○一○年四月から六月にかけて「さよなら運転」のイベントを何回か実施するとJRの発表があった。そんな話しがあるくらいだから、そのころまではふつうの営業列車としても走るだろうと思い込んでいた。イベントには行かないけれども、六月ごろまでに自分なりの「さよなら乗車」をすればよいと考えていた。ところが今年三月十三日のダイヤ改正で、201系二編成は営業運転からなんの前触れもなく外されていた。あまりに突然のことだった。
 私はオレンジ色の中央線にはもう二度と乗れなくなってしまった。手足をもがれる思いがした。
 そんなときだった。ダイヤ改正から二か月を経た、二○一○年五月十七日のことだ。御茶ノ水の橋の上からぼんやり線路を眺めていたら、水道橋方向からオレンジ色の201系が走ってきた。



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