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走れ!バカップル列車
第42号 のと鉄道と急行能登



   四

 旧型のディーゼルカーは激しい粉雪の中をエンジンを唸らせて走る。トンネルの前後では減速し、鉄橋を渡ったあと運転士は窓から顔を出して後方を確認している。かなり警戒しながらの運転だ。これでは沿線での撮影はおろか、列車の運行そのものも大変だろう。
 乗客は二十人あまりだが、ほとんどは「考えてることが同じ」鉄道おたくで、そのほかは地元のおばちゃんが二、三人とスノーボーダーのカップルぐらいだ。
 根知を出発しかけたところで異変が起きた。エンジンはフル回転している。しかし列車が前に進まない。いったん数メートルバックし、助走をつけてから進もうとしても、吹きだまりに引っ掛かるのか、あるところでバウンドして跳ね返ってきてしまう。
 運転士が立ち上がって乗客のほうを向いた。
「誠に申し訳ありません。雪で列車が動かなくなりました」
 車内がざわついた。ざわつくといっても、乗客の多くは鉄道おたくである。困っている様子はなく、むしろわくわくしているような雰囲気だ。
 向かいに座っていた小豆色のコートのおじさんはにやにやと笑っている。うしろの席にいた跨線橋の若者もやってきて、三人で「予定が狂った」などと言い合う。予定は狂いはしたが私のばあい今夜の「北陸」に間に合えばいいので、それほど焦ってはいない。運転士は司令と無線でやりとりしたあと、乗客全員の行き先を聞いてまわった。私は「金沢」と答えた。運転士はその後、JR社員らしき乗客とホームの雪かきをはじめた。雪かきをしていないところは三、四十センチの雪が積もり、こうして立ち往生しているあいだにも数センチ積もっているかに思える勢いである。
 この列車の乗客はタクシーで糸魚川まで連れて行ってもらえることになった。大糸線南小谷〜糸魚川間のほかの列車もきょうは終日運休になり、バス代行輸送に切り替えられたらしい。
 タクシーが到着し乗客たちは五、六台に分乗した。根知駅では結局四十五分ほど足止めを食らったことになる。若者はほかの車に乗っていった。わたしは小豆色のおじさんと同じ車に乗り込んだ。見たところ同じ車の四人は全員鉄道おたくのようである。
 糸魚川には十四時ちょっと前に着いた。予定していた「はくたか8号」はとっくに出発し、「はくたか10号」も出たばかり。次に乗れる金沢方面の特急は15時13分発の「北越6号」である。小豆色のおじさんはまだ糸魚川付近で撮影していくという。若者はきょうの撮影はあきらめ、越後湯沢経由で東京に帰るそうだ。互いに名前も名乗っていないし、住所もわからないが「また会おう」といって別れた。こういうさわやかな出会いはけっこう好きだ。
 特急「北越6号」は七、八分ほど遅れて糸魚川に到着した。15時20分ごろ発車。雪が降りしきる中をそれでも順調に走り続けているので、私はようやく安心した。金沢到着予定時刻を計算し、一時間ぐらいは21世紀美術館も見学できるだろうと考えていた。窓の外は親不知海岸だ。
 市振駅に差しかかったところで特急列車は急停止した。時計は15時40分。車内は一瞬、しんとなった。

「北越」は市振の駅に五時間立ち往生した。原因は前方を走っている貨物列車の機関車故障だった。救援の機関車を連結したりの作業のためにこれだけの時間がかかったらしい。時間が経つにつれ、21世紀美術館が消え、回転寿司が消えていった。最悪でも金沢から「北陸」に乗れればいいと思っていたが、それすら怪しくなってきた。
 幸い20時38分ごろ運転再開。黒部、魚津と停車し、富山に21時30分ちょっと前に到着した。
 特急「北越」はこのまま走れば金沢には22時10分〜15分ごろに着く。そして上野行き寝台特急「北陸」の金沢発は22時18分。「北越」が順調に走ってくれさえすれば、ギリギリだが金沢から「北陸」に乗れる。しかし少しでも遅れれば、金沢到着前のどこかですれ違い、すべてが水の泡になる。安全策は「北越」をここ富山で降りることだ。そうすれば「北陸」が富山に停車したところで確実に乗れる。金沢〜富山間は乗らなかったことになるが、乗り遅れるよりはましである。
 どうしようか、迷う。いま降りるべきか、乗り続けるべきか。発車ベルが鳴りはじめた。ゆっくり考えている時間はない。これは、賭だ。どうしよう。
 迷いに迷って賭けることにした。このまま乗り続けよう。やはり「北陸」に乗るなら金沢から乗りたい。「北越」のドアは閉まった。
 特急「北越6号」は定刻より五時間三十三分遅れて、22時14分に金沢駅四番線に到着した。反対側の五番線からは15分発の急行「能登」が発車するところだ。「能登」もこんどのダイヤ改正で廃止されてしまうので、ホームはカメラを構えた鉄道おたくたちでごったがえしている。その騒ぎを横目に私は「北陸」が発車する六番線に急いだ。
 息を切らしながら階段を駆け上がり、どうにか寝台特急「北陸」に乗り込んだ。賭は正解だった。なんとか間に合った。寝台券に書かれた寝台は七号車六番下段。鉄道おたくが「開放型」と呼ぶ、二段式のふつうのB寝台である。平日だからか、廃止直前とはいえ、乗客はまばらだ。
 ところが「北陸」は定刻の22時18分を過ぎても一向に発車しない。どうやら「北陸」に乗務予定の車掌は直江津方面から金沢で折り返す段取りになっていたようで、私が乗っていた「北越」の後続列車に閉じこめられていたらしい。その車掌が到着しなければ「北陸」も発車できないという。なんとも間の抜けた理由だが、思わぬところでできた空き時間で今夜の晩ごはんと明日の朝ごはんを仕入れることができた。
 寝台特急「北陸」は一時間十二分遅れの22時30分に発車した。
 一時間十二分遅れのまま走ったとすると高崎線の朝のラッシュ時間帯に突入する。通勤電車がひっきりなしに走る高崎線に余計な列車が入り込む余地はない。「北陸」は翌朝、高崎線の本庄駅に長いこと臨時停車してラッシュをやり過ごし、上野には10時03分に到着した。
 家に帰り、「たいへんだったんだよ」と昨日からの出来事を話すと、みつこさんは、
「電車にたくさん乗れてよかったね」
と、やさしく応えてくれた。



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