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走れ!バカップル列車
第42号 のと鉄道と急行能登



   二

 金沢の宿でなんとはなしにテレビを見ていたら、北陸鉄道石川線の鶴来〜加賀一の宮間の最終電車が出発したという地元ニュースが流れていた。この区間が十一月一日付で廃止されるので、きょう二○○九年十月三十一日が運転の最終日というのである。事前の情報収集を怠っていたので、ニュースを見るまでまったく知らなかった。
 北陸鉄道といえばいまいる金沢の野町駅から出発するローカル私鉄である。その末端区間の最終日を乗り逃してしまった。すぐ近くまで来ているのに、もう乗ることができない。愕然としながらテレビ画面を見続けた。
 北陸には金沢周辺の北陸鉄道をはじめ、福井周辺のえちぜん鉄道、福井鉄道、富山周辺の富山地方鉄道など地域の足となるローカル私鉄が頑張っている。今回は割愛してしまったが、次回北陸を訪れるときは小さな私鉄もこつこつ乗っていきたいと思う。
 私鉄めぐりをしないでなにをしていたかといえば、翌十一月一日はレンタカーを借りて安藤忠雄が設計した西田幾多郎記念哲学館(石川県かほく市)、かほく市立金津小学校、ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)を見学し、その次の十一月二日は金沢市内の武家屋敷跡や金沢21世紀美術館を見てまわった。二日間とも冷たい雨が降っていた。とくに武家屋敷周辺をまわるのは雨に濡れた身体が冷えたりして少々難儀した。
 この十一月二日の夜に金沢駅を出発する上野行きの急行「能登」で、私たちは北陸を後にする。
「能登」の発車は22時15分と遅いので、晩ごはんを食べたあとみつこさんと私は駅近くのホテルの喫茶店でぼんやりしていた。ロビーに流れるテレビでは、今夜は全国的に荒れ模様の天気で観測史上もっとも早い初雪が降ったといっている。ロビーを行き来している人たちは北陸線の特急が強風で二時間以上遅れたなどと話している。こんな話を聞くと「能登」が運休になっていないか心配になるが、二十二時近くになったのでとにかく駅に行くことにした。
 金沢駅は一九九○年に高架化されている。駅舎は高架下に移されたが、二○○五年に駅のホームと東口駅前広場を覆うように鉄の太いパイプでドーム状の櫓が組まれた。櫓の隙間はガラスなので、日が暮れると白いパイプが夜空に浮かび上がり、昼とはまた違う顔を見せている。
 改札口まで来て駅員にきいてみると「能登」は定刻通り運転するとのこと。安心してホームに向かう。「能登」が出発する五番線にくると向かい側の六番線に同じく上野行きの寝台特急「北陸」が停車している。しばらく待つと22時03分ごろ、富山方向から先頭がボンネット形になっている489系電車の急行「能登」が入線してきた。489系は国鉄時代からの車両で本来は特急列車用だが、だいぶ老朽化していて現在の特急列車のサービス水準からすると若干見劣りもするので、いまは急行列車につかわれている。
「北陸」「能登」の二列車が並んだところで記念写真を撮っていたら、「北陸」の停車しているさらに向こうの七番線に青森行きの寝台特急「日本海」がやってきた。定刻なら「日本海」の金沢発は21時31分だが、大阪方面からの列車はきょうは軒並み遅れているのでいまの時間になったのだろう。本来なら三つ同時に並ぶことのない「日本海」「北陸」「能登」を運良く一枚の写真に収めることができた。
 発車時刻も近づいてきたので列車に乗り込む。みつこさんに座席での夜明かしを強いるので指定券は四号車のグリーン車である。すでに二組三名の乗客がいる。服装や持ち物からして明らかに我々の仲間、鉄道おたくだ。
「まともな客はいないんだ」
 赤いカーペットの通路を歩きながらみつこさんにいった。
「わかってるよ」
 みつこさんがにやにやしながら返事をする。座席は8番C・D席。全員で五人しかいない車内に二人並んでこぢんまりと座った。

 遅れている接続列車の到着を待って、十分遅れの22時25分、急行「能登」は発車した。金沢駅構内を出ると、深夜の北陸本線を快調に走る。急行列車なので特急よりも停車駅が多く、津幡、石動、高岡、小杉とこまめに停まっていく。雨は相変わらず強いようで、ときおり窓ガラスや屋根にパラパラと打ちつけている。
 富山は23時09分に発車。遅れは八分に縮まった。富山のあとも滑川、魚津、黒部、入善、泊と停車する。泊を出ると今夜の車内放送は明朝の大宮まで休止するというアナウンスがある。
 うしろに座っている鉄道おたくのうち二人組のお兄さんたちは金沢発車直後からしきりに車掌となにか話している。話しぶりからして愉快な話ではないようだ。よく聞こえないのだが、金沢まで乗った特急列車が遅れたのでその見返りとして普通車の料金でグリーン車に座らせろということらしい。そんなのは無理だろうと思っていたら、泊を出たあと車掌が三人ぞろぞろとやってきて、ごねていた二人はとうとうグリーン車から追い出されてしまった。
 グリーン車の乗客は私たちを含め三人になった。このあと「能登」は糸魚川、直江津と停車するが深夜なのでもう乗ってこないだろう。
「向こうの座席をひっくり返して、ボックス状態にしてゆったり座ろう」
 みつこさんに話しかけてみた。
「いいよ」
 この先の長岡で「能登」は進行方向が変わる。ボックス席にしていれば、進行方向が変わってもわざわざ夜中に座席を転換させる必要もない。
「足のばせるよ」
 靴を脱いで足を向かい側の座席に載せる。みつこさんも靴を脱いだ。
「こっちのが広々してていいね」
「よかった」
 トンネルをいくつか抜けると親不知海岸に出る。外は真っ暗だが、顔を窓ガラスに近づけ目を凝らしていると白い波が立っているのが見えてくる。そうしてしばらく二人で夜の海を見続けていた。
 糸魚川付近で車内の照明が暗くなった。みつこさんはすでに寝てしまった。
 長時間停車している気配で目が覚めた。いつのまにか自分も寝てしまったようだ。駅名標が見えないのでどこの駅かわからないが、地酒の看板から考えて新潟県内の上越線のようである。しばらくすると列車は北陸線を走っていたときとは逆方向に発車した。駅名標は「越後湯沢」。ここから水上までは上越国境である。
 一瞬うとうとしてしまったがまた目を覚ますと、列車は清水トンネル手前の土樽を通過するところだった。
 目を凝らしてみると窓の外は一面の銀世界だった。それもただの雪景色ではない。杉林、架線柱、電線、すべてが雪に覆われている。しかもそれぞれに雪が斜めに降り積もり、つらら状の雪の塊がいくつも斜めに突き出て、まるで樹氷のようだ。かなり激しい吹雪だったのだろう。十一月の初めでこの現象はやはり異常だ。
「みちゃん!」
 この光景をみつこさんにも見せようと思い、迷惑を承知で肩をぽんぽんと叩いた。しかしみつこさんはあまりに熟睡していて、どんなに呼んでも起きなかった。そうこうしているうちに「能登」は清水トンネルに入ってしまった。
 次に目を覚ましたのは新前橋停車中だった。時刻表には停車とは書いていないから運転停車なのだろう。すでに列車は定刻で運転していて、4時05分、高崎に着いた。
 ここで4時37分まで三十二分間停車するので、ホームに出ることにした。出ようとしているところでみつこさんが目を覚ます。
「ちゃんと乗ってね」
 寝ぼけながら、みつこさんが乗り遅れないかと心配する。「大丈夫だよ」と答える。実際、写真を撮るにしても三十二分は充分すぎるほどで、発車よりだいぶ前に席に戻った。
 列車の心地よい揺れに身をまかせて寝ていると、鉄道唱歌のオルゴールが鳴り出した。車掌のアナウンスがはじまる。 「まもなく大宮です。列車は定刻どおり走っています」
 高崎発車後の記憶がほとんどないから高崎線内もずっと寝ていたようだ。大宮に停車し、さいたま新都心、浦和と通過する。車窓はだんだん見慣れた景色になってきた。このペースで走り続ければ、「能登」は定刻通り6時05分に上野に着くだろう。
 夜が明けてきた。東京は嘘のように天気がいい。荒川の鉄橋を渡っていたら、富士山が朝日に映えてくっきりと見えていた。



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