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走れ!バカップル列車
第41号 特急しらさぎ



   三

 時刻表の路線地図を見ると、東海道本線の線路は大垣から三方に分かれている。
 一番右側の線路は美濃赤坂までの東海道本線の「支線」だが、残りの二つは東京と神戸を結ぶ正真正銘の「本線」で、関ヶ原駅で再び合流する。なぜこのような線路の敷き方をしているのか。交通量が多いから線路を増設したようには見えない。
 東海道本線のこの区間は関ヶ原の山越えになる。大垣から八キロ西の垂井までは濃尾平野の西端にあたりほぼ平坦だが、垂井から関ヶ原までの六キロは扇状地の斜面を登り山あいに入り込む区間で、最大二十五パーミル(‰)の急勾配になる。蒸気機関車時代は補助機関車をつけなければ大阪方面へ向かう下り列車は坂を登ることができず、輸送上のネックになっていた。
 そこで太平洋戦争中、下り列車通過のために十パーミル程度に勾配を緩和した単線の迂回線が新たに建設された。これが三方に分かれたうちの真ん中の線路で、平地北側の山の斜面に沿って少しずつ坂を登るルートを描いている。垂井の町からは三キロほどの距離があり、下り列車利用者のために新垂井という駅もつくられた。それ以来、この迂回線が東海道線の「下り本線」となっており、いまでも特急列車や貨物列車はすべてこちらの線路を通過している。
 三つに分かれる線路の一番左の線路はもともとは上下列車が行き来する複線の線路であったが、そのうちの「上り本線」だけを使った上り列車専用線となり、戦時中などの一時期はもともと下り本線だったレールは剥がされてしまった。この「旧下り線」は戦後になって再び敷設され、いまでは東海道線の下り普通電車が通っている。一九八○年代にはすべての下り普通電車が「旧下り線」を通過するようになり、使われなくなった新垂井駅は廃止された。
 私は中学生のとき、北側を迂回する「下り本線」を通り、当時はまだあった新垂井に停車する普通電車に乗ったことがある。いつのころだったかくわしいことは忘れたが、大垣に早朝に着く夜行列車を降りて、大阪方面へ向かうのに乗り換えた電車が新垂井を通る列車だった。大垣を出て上り線と分かれると、みるみるうちに高度を上げ、南側に見える平野と街並みがはるか眼下に見えたので驚いた覚えがある。
 あのとき寝ぼけ眼をこすって見おろした風景をもう一度見てみたいという思いがあった。もちろん過去の「バカップル列車」の旅でも「あさかぜ」「富士」「銀河」「はやぶさ」などで「下り本線」は何度も通過しているが、どの列車もこの付近を通過するのは深夜だった。当然私はぐうぐう寝ていたし、起きていたとしても外の景色はほとんど見えなかっただろう。そう考えると「しらさぎ」は昼間に「下り本線」を通過する貴重な列車だということができる。
 みつこさんと私の乗る特急「しらさぎ」は美濃赤坂へ向かう支線を右に見送り、「上り本線」「旧下り線」を左に見送りながら進行方向を北に向けた。垂井の北側を囲む斜面の山すそに沿うようにして左に曲がり右に曲がり、トンネルも抜けて徐々に高度を上げてゆく。
 しかし、左側の車窓をじっと見ていても、中学生の私が驚いた、街並みを眼下に見おろすような風景はなかなかやって来ない。なだらかな斜面になっていることはわかるが、稲刈りの終わった田んぼが単調に続くばかり。向こうの街並みも眼下というほど低いところにあるわけではない。
 そうこうするうちに「しらさぎ」はかつて新垂井駅があった付近を通過してしまった。迂回線の半分以上を通過したことになる。私は左窓を見続け、記憶の中の光景にいま会うか、いま出会えるかと見ていたが、特急列車はそんな光景はなんにも見せないままにいったん分かれた「上り本線」「旧下り線」と合流し、関ヶ原駅を通過してしまった。
 あの記憶の中の風景はいったい何だったのだろう。
 いま私は窓にかじりつくほどの勢いで外の景色をみていた。見落としたということは考えにくい。宅地化などの影響であのころと現実の風景が変わってしまったからだろうか。しかし、いま見てきた沿線ではかつての風景が一変するほどには宅地化は進んでいなかった。それならば中学生のころからいまに至る経験の中で、あのときの風景以上のものを数多く見てしまったからだろうか。子供のころ大きく見えた山が、大人になってみると小さな丘に見えるような、そんな現象だろうか。
 結局、理由はわからずじまいだった。もやもやした気分がしばらく続いたが、いかつい山容の伊吹山が現れ、もやもやを吹き飛ばしてくれた。新幹線からではない、在来線からみた伊吹山は久しぶりだ。雪はまだ山頂部に少し積もるだけだが、それだけに岩がむき出しになった斜面が威厳を誇っているようにみえる。しかも山の周囲にはひと筋の雲もなく、まさに全容を惜しみなく見せていた。伊吹山の全体が見えるのもじつに珍しいことだ。
 みつこさんに伊吹山をおしえてみた。
「みちゃん、伊吹山がみえるよ」
「すごい山だねえ」
 そういって驚いていたが、みつこさんはほんの数秒見たあとは後腐れなくまた寝てしまった。

 特急「しらさぎ」は伊吹山を取り巻くように方向を北に変え、西に変えながら走る。そうこうするうちに伊吹山も後方に隠れてしまい、少しずつ平地に降りてきて、米原駅構内に差しかかった。東海道本線の下り線から北陸本線のホームに進入するのでポイントをいくつも渡る。ガタゴトガタゴト音を立てながらそろりそろりと列車は進み、9時55分、米原駅五番線に到着した。
「しらさぎ」に乗り慣れたひとはここで座席の向きを変える。この駅で分岐する北陸本線は大阪方面から来た列車がそのまま進める構造になっているから、名古屋方面から来た列車はスイッチバックしなければならない。車掌の案内放送でも「前後の乗客と示し合わせながら方向を変えてください」といっている。
 この座席の方向転換が理解できなかったのが欧米から来たと思しき外国人の団体客だ。前後の日本人がガタガタとやり始めるから何ごとだと驚く。しかも日本人たちは外国人たちにも座席の転換をせよとあたかも当然のような口調でいう。英語がわかる人が率先して困惑顔の欧米人たちに説明してくれているがおそらく説明不足だろう。欧米の人は後ろ向きに座るのになんの抵抗も感じないのだ。それを知らなければ、どんなに流暢な英語で話しても正確な説明はできない。ヨーロッパでは特急車両でさえ固定座席のものが多く、乗客みんなが後ろ向きのまま走るなんてこともあるくらいだ。彼らはそれでも平気なのである。
 ところが日本人は列車では、とくに特急列車では、前を向いて座らないと気が済まない。自分だけ方向転換して知らない外国人と顔を向き合わせるのもイヤだ。そう考える日本人のことが外国人には逆に理解できない。「なんでこんなことするんだ!」と団体の仲間に文句をいいだすおねえさんまでいる。
 そこへ米原からの乗客がわんさか乗り込んでくる。実際、名古屋から乗っている客よりも米原からの乗り換え客のほうが多い。温泉旅行に出かけるらしいすでに酔っぱらったおじさんの団体も乗ってきて、車内はちょっとしたパニック状態になった。
 英語の得意な日本人が少しは理解のある白人のおばさんにあれこれ説明をし、そのおばさんが文句を言いだしたおねえさんたちを説得してくれた。どうにか事態が収拾したとき、「しらさぎ」はすでに米原を発車していた。米原の停車時間は四分だが、座席の方向転換は四分ではとても足りなかったのである。



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