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走れ!バカップル列車
第41号 特急しらさぎ



   二

 二○○九年十月三十一日、みつこさんと私は夜もまだ明けきらぬ早朝に家を出発した。東京駅6時26分発の「ひかり501号」に乗る。発車と同時に朝ごはんの駅弁を食べ、雲ひとつない青空のもとで富士山を見た以外は、ほとんど居眠りをしていた。
「ひかり号」は8時21分に名古屋に着いた。
「しらさぎ3号」は名古屋駅の四番ホームから発車する。地下通路からホームに昇ると発車時刻までまだ間があるのに、「しらさぎ」はすでに入線していた。
「新しい電車なんだね」
 白いスマートな車体をみて、みつこさんがいう。
 階段をあがったところのすぐ近くが最後尾の一号車だったので、車両先頭部の前までやってきた。運転席付近は卵のような丸みを帯びたカーブを描いていて、いかにもスピードが出そうな雰囲気である。
 この車両はJR西日本が開発した683系という白い流線型をした特急形電車である。大阪から北陸方面へ走る「サンダーバード」や、ほくほく線経由の「はくたか」も、同系列の車両を使っている。
「しらさぎ」は、名古屋〜富山間の特急列車として昭和三十九年十二月にデビューした。このとき同時に大阪〜富山間の「雷鳥」も登場している。旅客の流れとしては中京と北陸より、関西と北陸のほうが多く、「雷鳥」の本数は「しらさぎ」を引き離して次第に多くなり、湖西線の開通によってスピードアップも実現。JRとなってからは「サンダーバード」という速達列車まで登場して大阪発の北陸特急は大所帯となった。名古屋発の「しらさぎ」は「サンダーバード」や「雷鳥」に押されて走るような印象だったが、二○○三年にはそれまで「加越」と名乗っていた米原始発の列車群も「しらさぎ」に名称変更し、十六往復にまで成長。ちょうどこのころ古い国鉄形の車両から新型の683系に衣替えし、「しらさぎ」もようやく「サンダーバード」に負けない出で立ちになった。
 流線型の一号車の前で記念写真を撮ったが、切符に書かれた座席は先頭の八号車である。みつこさんと二人並んで、一号車から八号車までぷらぷらと歩く。始発駅のホームで、出発前の列車の先頭から後ろまで、あるいは後ろから先頭までを眺めながら歩くのはなかなかいいものである。さいきんはホームのやりくりが難しくなっているためか、始発駅なのに発車時刻ギリギリになってから入線する列車も多く、ゆっくりと眺める時間がとれないのが少々残念である。
 八号車まで来たので、みつこさんは車内に乗り込み、私もいったん座席のところまでいって荷物を置いた。そして私だけ再びホームに出る。一度ホームから八号車先頭の顔を見ておきたい。みてみるとこちらの先頭は一号車の流線型とは違い、なんだか平らでのっぺりとした顔をしていた。

 定刻8時55分になり、特急「しらさぎ3号」は広い名古屋駅構内をそろりそろりと走り出した。和倉温泉までおよそ四時間の旅がはじまる。この四時間の内容をおおざっぱにわけると、東海道線の名古屋〜米原間が一時間、北陸線の米原〜金沢間が二時間、七尾線の金沢〜和倉温泉間が一時間となる。「しらさぎ」は本線区間に出るとみるみるスピードを上げ、秋空の濃尾平野を快走する。
 車内は半分近く埋まっていて、熟年の夫婦たちや外国人の団体が静かに座っている。清洲手前の五条川を渡るあたりで平成に入って復元した清洲城の天守閣が見えた。
「ほら、お城だよ」
 右窓を指さすとみつこさんはその方向を追う。
「小さいね」
 にべもなく言い切った。東京スカイツリーまでつくってしまう二一世紀の基準で見てはいけない。あれが本当の大きさなら、当時は町のどの建物よりも高くそびえ立っていたはずである。
 尾張一宮、岐阜に停車。その間木曽川を渡る。岐阜を出発し長良川、揖斐川を渡ると、向かう先に関ヶ原の山々が見えてきて、9時26分、大垣に着く。
 東京方面から「しらさぎ」に乗るなら、米原で乗りかえたほうが一時間早い列車に乗れる。逆に名古屋で乗りかえて、米原乗りかえと同じ時間に金沢に着きたいなら、一時間早い「ひかり」に乗らなければならない。それでも私たちは米原からではなく名古屋から乗ることを選んだ。ひとつは列車の全区間を乗るためであるが、そうしたい理由がもうひとつある。
 じつは大垣から先は鉄道おたく的にちょっと興味深い区間を走る。もうひとつの楽しみが、これからはじまる。



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