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走れ!バカップル列車
第37号 津軽鉄道ストーブ列車



   一

 寝台特急「あけぼの」は9時56分、定刻通り青森駅五番線に到着した。
 冬の朝のやわらかな光が屋根の隙間からホームに差しこんでくる。はるばる上野から列車を引っ張ってきた機関車はすでに客車から切り離されている。いちばん後ろの上野側には、車庫への回送のため、小さなディーゼル機関車が連結された。
 二○○九年二月七日、私たちは「あけぼの」の終着駅である青森駅にやって来た。来てはみたものの、11時16分まで弘前方面に戻る列車は一時間以上ない。
 ストーブ列車は一日に二往復走っていて、「あけぼの」を素直に弘前で降りておけば第一便に乗れる。青森まで乗ってしまうと第一便には乗れないが、青森や弘前で長い待ち時間をやりすごしても、第二便には間に合うからとくに心配はない。
 青森での一時間あまりの待ち時間をどうすごそうかと考えながら、あてもなく階段を昇り、長い跨線橋から港のほうを眺めたら、八甲田丸の船体が目に映った。かつて青函連絡船として青森と函館の間を航行していた船である。
「みちゃん」
「なに」
「青函連絡船、見にいこうか」
「そんなのあるの?」
「ほら、あそこに」
「ふうん」
「見学できるとおもうよ」
「じゃあ、行くか」
 改札口を出て、駅の横の道を北に向かう。歩いているとちょうど「あけぼの」のブルーの客車が車庫へ回送されていくところだった。
 歩道の脇には雪がまだらに残っていて、ところどころ黒く汚れている。真冬のはずなのにもう春先のような光景だ。道を進むと、かつて連絡船が停泊していたまさにその桟橋に白と黄色に塗り分けられた八甲田丸がいた。
 乗船口への階段を昇る。かつては駅の北側の跨線橋がここまで直結していたが、そうした連絡船の設備はいまはほとんど撤去されている。船内に入ると受付のようなものがあっておねえさんがいた。
「大人一枚五百円です」
 いきなりそういわれ、ついひるんでしまった。むかしの船をただそのまま見られるだけだから、うっかり無料なのかとおもっていた。おねえさんはそんな私の心を見透かしたかのように、きっぱりと五百円といった。船内はどうやら博物館のような施設に改装されているようで、そうした施設や維持のための費用が必要なのだ。二人合わせて千円払って客室のほうへ入る。
 もとは座敷のような客室だったところを見てみると、その座敷はつぶされていて、かつての連絡船に利用された道具や制服、書類などの展示スペースになっていた。貴重な資料がじっくり見られるのはうれしいが、当時の船内の様子があまり残されていないのは少々残念である。
 それでもここに来て良かったのは、連絡線時代は乗船客が決して見ることのできなかったブリッジ(操舵室)、車両甲板、エンジン室などに実際に入って見学できることだった。
 四階のブリッジは明るく、前方の眺めはよかった。レーダーやらエンジン操作レバーやら複雑な機械がならんでいる。みつこさんが中央の舵の前に立った。
「写真撮って」
「はいよ」
 みつこさんが船長の気分になって舵を握る。前方を見つめて笑っている。それらしいポーズととっているが少し照れているので、にこにこというより、にやにや笑っているようにみえる。
「撮ったよ」
「ありがとう」
 撮れた写真を画面でみたら、なんだかへらへら笑っているようで、ずいぶん頼りない船長にみえる。
 古めかしいエレベーターで一階に降りた。ここには車両甲板がある。
 車両甲板というのは連絡船の船内にレールが敷いてあって、青森〜函館間を行き来する貨車をそのまま積載するところである。かつて青森駅や函館駅で貨車を積み卸ししているところは目にしていたが、実際の車両甲板に入るのははじめてである。
 室内は大きな倉庫のようになっていて、薄暗く、ひんやりしている。かつてはレールが四本敷いてあったようだが、いまは一部がコンクリートで埋められている。真ん中の二本は残っていて、郵便車、荷物車、ディーゼル機関車、特急形ディーゼルカーなどが九両ほど展示されていた。機関車や特急などは当時は連絡船で行き来することは少なかっただろうが、展示にあたって廃車車両を持ってきたのだろう。
 地下にあるエンジン室は巨大なディーゼルエンジンが八基あった。五千三百トンもの船を動かすのにはこれだけの動力が必要なのかとおもう。いろいろな配管が複雑に絡み合いごつごつしたエンジンは薄暗い船室にひっそり冷たく佇んでいる。油の臭いが室内に充満していて一層の不気味さを醸し出していた。

 青森駅に戻ると、ちょうど弘前行き鈍行列車の発車時刻になっていた。最初、八甲田丸は次の列車までの時間つぶし程度に考えていたのだが、時間を忘れてすっかり楽しんでしまった。
 再び改札を入り三番線からステンレス車体の電車に乗り込む。列車はまもなく発車した。
 次の新青森では東北新幹線の延伸工事が二○一○年十二月の開業めざして急ピッチで進められていた。新青森には在来線とは比べものにならないくらい大きな新幹線駅ができるらしい。奥羽線の単線の線路を遮るように立ちはだかるコンクリートの壁に圧倒される。
 列車は大釈迦トンネルを抜けて津軽平野に入り、12時4分、弘前に着いた。五能線に乗るなら川部で乗り換えるのがふつうだが、次の五能線まではさらに時間があり、その列車も弘前始発なので、いったん弘前まで来たのである。
 ちょうど昼どきなので駅ビル内のミスタードーナツでドーナツをたらふく食べる。二○○五年に来たときもこのミスタードーナツにはお世話になった。
 12時53分発、五能線の深浦行きは国鉄時代から働いている旧式のディーゼルカーを四両もつなげていた。ローカル線にしてはびっくりするほどの長編成だが、そのうちの二両は鰺ヶ沢までの車両の回送を兼ねている。
 列車は弘前から奥羽線を走る。川部までのこの区間はきょうで三回目だ。川部で進行方向が反対になって五能線に入る。左右は枝ばかりになったりんごの木がどこまでも並んでいる。空はいつのまにかくもってきて、朝ははっきり見えた岩木山は山頂部分が雲に隠れてしまった。
「あの雪をがっしがっしと足跡つけたいね」
 まだ誰も足を踏み入れていないりんご畑の雪をみて、みつこさんがそんなことをいう。
「そうお?」
「うん、足跡つけたいじゃん」
「そうか……」
 いまは列車から降りることはできないが、雪をがっしがっしと踏むくらいなら、今回の旅行中にいくらでもできそうだ。
「じゃあ、あとでできそうなところ探しておくね」
「うん、頼むよ」
 途中板柳で交換のために八分停まり、13時47分に五所川原に着いた。
 JR五能線の五所川原駅と津軽鉄道の津軽五所川原駅はほとんど一体化しているかのように隣り合っていて、跨線橋を渡るだけで行き来ができる。五能線から降りて津軽鉄道に乗り換える客のほとんどは、駅の改札を出ないで跨線橋を渡る。ストーブ列車の良い席を取りたいのだろうか、走って階段を昇る人までいる。
 私たちはトイレの都合もあって、いったんJRの改札を通って駅前広場にでた。
 溶けかかっている雪を何歩か踏みしめて、すぐ隣の津軽鉄道の駅舎に入る。
 津軽五所川原駅の駅舎はベージュ色の二階建てでこぢんまりしている。入口をはいると左側に出札口があって、おばちゃんが切符を売っている。終点津軽中里までの往復乗車券と往きの分のストーブ列車券を二枚。どちらも「硬券」と呼ばれる昔懐かしい厚紙の切符だ。おばちゃんがいまから乗る列車のところにパンチを入れてくれた。
 その隣で小さな出店が出ていて、するめを売っている。ストーブ列車で焼く用だ。みつこさんにすすめられて、するめを一袋買ってみた。



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