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走れ!バカップル列車
第36号 寝台特急あけぼの



   三

「あけぼの」のB寝台個室ソロはかなり狭かった。
「はやぶさ」のソロも同じく一人用の個室だったが、それに比べてもだいぶ狭い。「はやぶさ」のソロは片方の窓側に通路があって、その反対側の窓に向かって枕木方向に寝台が並んでいるという間取りだったが、「あけぼの」のソロは車両中央に通路があって、その左右に線路方向に寝台が並んでいる。中央の通路も狭いし、出入口のドアも小さい。
 切符では14番と15番の寝台が割り当てられている。14番は上段だから私が、15番は下段だからみつこさんが入ることにした。14番と15番とは番号は一番違いだが、場所は通路を隔てた反対側なので、この間取りだと寝台の壁をコンコン叩いて合図を送ることはできない。
 まずみつこさんの寝床である15番の寝台に入った。こちらは進行方向左側である。頭上には壁を隔てて16番の寝台があり、さらに一部は16番にあがるための階段部分が突き出ている。立てば頭がつっかえる。座ったり寝たりするのにギリギリの空間だ。
「狭いなあ」
「ひろさん、頭ぶつけないように気をつけてね」
 二人で入るとなお狭い。もっともここは一人用個室だから、二人で入る私たちのほうがそもそも間違っている。
「あたっ」
「ほらあ」
 二人とも満足に動けないから、もぞもぞと右に向いたり左に向いたりするだけである。荷物も置けないし、コートも脱げない。
 そうこうしているうちに21時45分の定刻になり、寝台特急「あけぼの」は上野駅を発車した。鶯谷のカーブを曲がり、日暮里を通過するころにはかなりのスピードになっている。
 私たちはなんとか二人とも寝台に腰掛けて、くつろぐ態勢を少しずつ整えていった。荷物を寝台の隅に置き、コートをハンガーに掛ける。貨物列車と並走しながら王子を通過し、荒川を渡った。
 私は自分の荷物とコートを置くため、いったん自分の14番に行った。上段は部屋の中に階段があるのはいいが、その階段部分だけ寝台スペースが欠けているという下段にも増してアクロバチックなレイアウトだ。ここで寝る人は階段をあがりきったところで折りたたまれている寝台をパタンと広げなければ寝ることができない。逆に寝台を広げている間は階段の上り下りができない。狭いスペースをなんとかやりくりしようとした努力がうかがえる。
 トイレに行ったら、二つのトイレの間に昔懐かしい給水器があった。その横には折りたたみ式の紙コップがあって、その口を広げて水を汲む。こぼさないように手に持ってみつこさんのいる15番に戻った。
「水、飲む? ほら昔の紙コップだよ」
「いいよ。ひろさん飲みなよ」
「あ、そう?」
 冷やっこい水をぐびっと飲んだ。列車は大宮を発車し、高崎線を走りはじめている。

「トンネルを抜けると雪国」であるという情景を、みつこさんにも見てもらいたい。それが「あけぼの」乗車にあたっての、私の密かな目的であった。
 前の日になってそのことはみつこさんにも伝えておいた。上越国境のトンネルを抜けるといきなり雪国になっていること、通過するのは夜中の一時近くになること、など見どころと注意点を伝えると、みつこさんは「わかた」といった。
 上越国境までは寝ておくつもりなのか、みつこさんは寝台に寝転んでしまった。「あけぼの」の上野発車は夜の十時近くなので、晩ごはんはすでに家で食べてきた。みつこさんはお酒を飲まないから晩酌もしない。寝台にはテレビもない。そうなれば、あとは寝るだけだ。みつこさんは早くも寝台にシーツを敷き、荷物を枕元に据えて、軽く毛布をかけている。ややもするとそのまますやすや寝てしまいそうな雰囲気だが、そうなったらそうなったでかまわないのだろう。
「あけぼの」は高崎線をひた走る。カタカタカタという規則正しい走行音が車輪から響いてくる。走行音と近所の乗客の話し声がわずかに聞こえるほか、余計な音はなにもない。ときおりピヨーという汽笛が機関車から聞こえてくる。駅を通過するとそのときだけ車窓が明るくなる。
 23時13分、高崎に到着。七分停車して、20分に発車した。
 高崎を出ると路線名は上越線になる。高崎市内、新前橋付近は住宅街を走る。時刻はまだ夜の十一時半だが、家並みに電気はほとんど点いていない。この付近から線路は少しずつ上り勾配になる。
 列車は渋川の先で利根川の鉄橋を渡る。その先は針路を北に向けるため、大きな左カーブになっている。列車が曲がるにつれ、闇夜に浮かぶ榛名山のシルエットがはっきりと見えてきた。夜空には十日ごろの楕円形の月と南西にはオリオン座が輝いている。榛名山と月とオリオン座は列車の回転とは反対向きにぐるぐると回ってゆく。河岸段丘の下には青白い光を浮かべた利根川が静かに流れている。
 カンカンカンという踏切警報機の音が通り過ぎた。列車の方向を示す赤い矢印の点滅がまぶたの裏に残る。
 列車は上越国境の群馬側の麓、水上に近づいている。その二駅手前の後閑を通過したが、雪はまったく積もっていない。空も晴れていて月が輝いている。
 一駅手前の上牧あたりでようやく雪が見えてきた。それも建物の北側の陰にわずかに残る程度だ。
 水上に着くころ、雲が出てきた。草むらなどにうっすらと雪の積もっているのが見える。温泉街の路面もほんのり濡れている。
 水上には0時17分ごろ到着した。時刻表では通過の「レ」マークになっているが、機関士交替のための運転停車をする。三分ほど停車して0時20分ごろ発車。
 駅の北側は七、八センチほど雪が積もっている。枕木はすっぽり隠れ、レールの上面が顔を出すばかりだ。水上は駅の南側より北側のほうが雪が多い。
 みつこさんも起きてきて、暗闇の窓の外をのぞく。利根川の鉄橋を渡る手前で大きなホテルの脇を通った。
「あ、すっぽんぽんのおじさんが露天風呂に入ってた!」
「ほんと?」
「ブルートレイン走るのずっと見てたよ」
「よくみつけたね」
 勾配を登りながら「あけぼの」は徐々にスピードをあげてゆく。
 ちょっとしたトンネルに入ったと思ったら、なかなか出ない。コーっという走行音がトンネル内にこだまし続ける。どうもいま走っているのが新清水トンネルのようだ。
「いまのが新清水トンネルみたい」
「ふうん」
「これを抜けるといよいよ雪国だよ」
「わかた」
 列車は全長一万三千四百九十メートルの新清水トンネルを猛スピードで駆け抜ける。蛍光灯のあかりがちかちかと現れては消えてゆく。
 とつぜん蛍光灯の連続がなくなり、窓の外が暗闇になる。音はまったくなくなった。0時34分ごろ、「あけぼの」は新清水トンネルを抜けた。
「あ!」
 トンネルを抜け、目に飛び込んできたものはたしかに雪国であった。
 昼間ならいちめんの銀世界だったろう。線路の脇は雪の壁になっていて、粉雪がちらついている。木々は雪をまとい樹氷になって静かに並んでいる。
「すごいよぉ」
 みつこさんが目を凝らして窓の外をみている。
「トンネルの前と後で雪の深さがぜんぜん違うでしょ」
「うん」
「だからトンネルを抜けると雪国なんだよ」
「そっかぁ」
「信号所」と呼ばれた土樽駅を通過し、またトンネルに入る。下り坂になっているのでさらにスピードが出る。雲が空を覆っているのか。月もなく、星もない。列車はもうもうと雪煙を巻き上げながら、白く微かに光る雪原を走り抜けてゆく。
 越後湯沢が近づいた。ぽつぽつと家並みが増えてくる。五、六十センチはあるだろうか、屋根の上に雪がどっさり載っている。
「すごいよぉ!」
 屋根の雪を見てみつこさんの声がいちだんと大きくなる。山に積もる雪より、雪の深さがわかりやすかったのだろう。
「雪下ろし、たいへんだね」
「そうだね」
 そうするうちに「あけぼの」は越後湯沢を通過した。湯沢の温泉街が『雪国』の舞台だといわれている。



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