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走れ!バカップル列車
第33号 EL&SL奥利根号



   二

 鉄橋を渡ったので、上越線は国道17号線とともに利根川の右岸を走る。開放的な谷あいに利根川が悠々と流れる景色の良い区間だが、きょうは利根川が異常に増水していて見るだけでも恐い。茶色に濁った水が向こう岸まであふれるほどに波打っている。
 沼田で二、三分停車した。定刻より十六分ほど遅れて発車。沿線の安全確認ができたので、徐行は解除になった。いつもどおりのスピードで上越線を走る。
 沼田の手前で鉄橋を渡ったので川は左側に見えてくる。利根川の本流は河岸段丘のだいぶ下の方を流れているが、本流へ流れ込む支流をところどころ鉄橋で渡る。こちらも増水が激しく、滝のような濁流が橋脚に激突している。
 列車は終点の水上に近づいていた。左窓に諏訪峡が見えてきたが、かなり増水していていつもの渓谷美は半減している。新緑や紅葉のころはいちだんと渓谷も映えるが、濃い緑と濁流ではいまひとつだ。
 水上には十五分遅れの11時46分に到着した。
 昼ごはんを食べることにする。
 駅前には土産物屋とか喫茶店とか定食屋とかが何軒か並んでいる。そのひとつの食堂に入って「谷川ぶっかけおろしうどん」というのを二人分注文する。焼き魚もお勧めだというというのでヤマメの塩焼きも頼んでおく。
 店の中をふらふらと歩き回っているおじいさんが、いきなりバケツを持ってやってきた。突然のことで、みつこさんも私も驚く。なんだ、なんだ?
「これを焼くから。ほれ、まだ生きてんだ」
 バケツの中で魚が泳いでいる。
「はあ」
 しばらくして出てきたヤマメは、川魚とは思えないほどぷりぷりしていておいしかった。
 食堂を出て土産物屋が並んでいるところを冷やかしていると、みつこさんが温泉まんじゅうを食べたいという。その店先には温泉饅頭をふかす蒸し器があって、白い煙がもうもうとしている。みつこさんもこの煙に食欲をそそられたようだ。
 おこわ饅頭というのを一つ注文する。店番のおばちゃんは「はいよ」と答えると奥のほうでレンジをチンした。「熱いよ」と手渡された饅頭はたしかに熱かったが、店頭の蒸し器は使わないのか。このもうもうと出ている煙はなんなんだ? 不思議に思って手をかざすと、湯気なのに冷たかった。

 上越国境を越える長岡行き普通電車は13時44分の発車だが、高崎からの電車が遅れて到着したので、その接続をして定刻より十分遅れの13時54分に発車した。
 駅を出るとすぐに上り勾配になる。鉄橋を渡り、濃緑の深い谷を進む。四分ほど走り、トンネルを入ったところで電車が停まった。
「ここ、どこ?」
「湯桧曽(ゆびそ)っていう駅だよ。ここから新潟県までずっとトンネルなんだ。新清水トンネルっていうんだ」
 電車は湯桧曽駅の手前で全長13490メートルの新清水トンネルに入る。新清水トンネルは上越線複線化のために建設されたもので、新潟方面の下り線が通る。戦前から単線で使用されていた清水トンネル(全長9702メートル)は、複線化後は上野方面の上り線専用となった。
 湯桧曽を発車した鈍行電車はみるみる加速して、モーターの轟音をあげながら猛スピードで暗闇を突進する。十三キロを超えるトンネル内には湯桧曽と土合(どあい)という二つの駅がある。
 五分ほど走り続けると、電車は速度を落として土合に停まった。コンクリートの壁にぽつぽつと据え付けられた蛍光灯が寂しく光っている。
「こんなとこにも駅があるの?」
 窓からトンネルをのぞいて、不思議そうにみつこさんがいう。
「土合っていうんだ。この先かなぁ、改札口へ昇る階段が何百段てあるんだよ」
「へえ……」
 登山の装備をしたおばちゃんが二人降りた。そのほかに乗り降りはほとんどない。ホームにはそれでも十数人ほどがぼんやり立っているが、電車に乗る気配はない。クルマで来た見学者だろうか。
 列車が少し動き出したところで、右側に四六二段の階段が上の方まで延々と続くのが見えた。土合の駅舎は清水トンネル出口付近の上り線側にあるから、この階段を登らないことには地上に出られない。
「すっごい、すっごいね。さっきのおばちゃんたち、あれ登っていくのかな?」
「谷川岳に登るなら、さいしょにここを登らないといけないんだ」
「あたしにゃできない……」
 みつこさんは絶句した。
 轟音とともにさらにトンネルを疾走していると、ガラス窓がどんどん曇ってきた。やがて電車はトンネルを抜ける。窓がくもったままなので外は見えない。車内全体がぼんやりとした緑の光に包まれた。
 新清水トンネルを抜けると、まもなく土樽(つちたる)である。『雪国』冒頭に登場する「信号場」はこの土樽駅だとされている。いまはすぐ横を関越自動車道が貫く無人駅だ。かつての旅愁を感じさせることもなく、電車はさっと停車して、さっと発車した。
 越後中里、岩原スキー場と停車して、新幹線も停まる越後湯沢に着く。越後湯沢まで来ると峠から下ってきたという感じがする。ガラス窓のくもりもなくなった。
 ここから先は、電車が進むにつれ山々は次第に遠くなり、線路の左右には青い稲穂の揺れる水田がどこまでも続く。右側に八海山の山々が続く以外はこれといった変化もなく、気がつけばずいぶんと居眠りをしていた。水上で十分遅れて発車した電車は、すでに遅れを回復して定時運転をしている。

 小千谷を過ぎたあたりで、みつこさんが目を覚ました。列車の終点、長岡が近づいている。
「みちゃん」
「なに」
 ひとつ提案をしようと思う。
「日本一海に近い駅にいかない?」
「うん、いいよぉ」
 みつこさんは即答した。
「どこにあるの?」
「青海川っていう駅なんだ」
 その駅は信越本線を四十キロほど直江津方面に走ったところにある。長岡の一つ手前の宮内で乗り換えると接続が良い。宮内着は15時35分。
 だだっ広いばかりで閑散としたホームで待っていると、15時44分、長岡始発の直江津行き信越線電車がやってきた。車内はけっこう空いていて、四人がけボックス席に二人とか、一人とかがぱらぱらと座っているくらいである。向かいのボックスには女子高生が二人、漫画を熱心に読んでいる。
 信濃川の鉄橋を渡ると線路は東頸城(ひがしくびき)丘陵に入る。右に左にゆるやかなカーブを繰り返しながら走り、塚山トンネルを抜ける。
 抜けたところが長鳥という小さな駅なのだが、ドアが開いてホームを見てびっくりした。ホームの幅がものすごく狭い。一本のホームの片側に下り線、反対側に上り線が通る「島式ホーム」なのだが、この幅があまりに狭く全体でも三メートルないのではなかろうか。下りに面した白線と上りに面した白線との間隔が一メートルほどしかない。人が二人並んだらいっぱいである。各駅停車しか停まらない小さな駅だから、ホームに立っていて通過列車が来たらものすごく恐いだろう。
 長岡と柏崎の間は、特急列車では何度か通ったことがあるが、ここに長鳥という駅があって、こんなにホームが狭いというのはいままで知らなかった。これも「18きっぷ」の旅ならではの発見だ。
 柏崎を過ぎ、鯨波から日本海が見えてくる。ここから線路はしばらく海沿いを走る。小さな岬を突っ切るトンネルをいくつか抜け、16時30分、青海川に着いた。
 青海川が本当に日本一海に近い駅かどうかは、いくつか説がある。でかけたことはないが、鶴見線の海芝浦、仙石線の陸前大塚も海のすぐ近くらしい。
 電車から降りた上り線(直江津方面)のホームは海とは反対側にあるが、下りホームのすぐ下は海岸になっていて、駅に降り立った瞬間から波の音が聞こえてくる。雨がやや強く降ってきた。
 駅の背後には崖がはるか上空まで高くそびえている。この駅は日本海に迫る崖の下にあって、昨年七月の新潟県中越沖地震では崖が崩落し、駅舎、ホーム、線路が大規模に破壊されてしまった。線路が再びつながるまで二か月ほど要したという。
 崖の上には国道8号線が通っている。頭上を貫くその赤い橋の上からは駅と列車がよく見えるはずだ。この橋からこの駅を眺めてみたい。
 帰りの信越線下り電車は、16時56分と18時30分がある。滞在時間はそれぞれ二十六分と二時間。崖に登るなら18時30分の電車に乗ることになる。
「え〜、こんなとこに二時間もいるのぉ? 自動販売機もないのに」
 みつこさんは不服そうである。
 崖の中腹や国道が通っている崖のてっぺんには集落はありそうだが、駅の周りは商店もコンビニもない。わざわざ駅を見に来た鉄道おたく以外は人もまばらで、真新しい待合室に高校生のカップルがぺちゃくちゃ話をしているくらいである。
「じゃあ、崖に登るのはこんどにするか……」
 そう言うと、「じゃあいいよ」としかたなさそうにみつこさんは言う。たしかに私自身ももう一度訪れて、日本海に夕陽が沈むところを見たいとは思うが、そうそう来られないことぐらい自分でもわかっている。
 いちおうみつこさんの許可もでたので、崖の上に続くコンクリートで簡易舗装された細い道を登ってみる。傘をさすのが億劫なので、そのまま歩いていたら、みつこさんが「濡れちゃうよ〜」と言いながら傘を差して追いかけてきた。
 みつこさんは遅れ気味についてくる。道には落ち葉があって滑りやすくなっているが、気をつけて登る。汗が噴き出す。五、六分でてっぺんに着いた。すぐ前を国道が通っていて、ちょうど頭上にそびえていた赤い橋のたもとに出た。道がちょっと広くなってクルマが何台か止められるスペースになっている。
「みちゃーん!」
「なに……」
 息を切らしてみつこさんがようやくたどり着いた。
「自動販売機あったよぉ」
「あ、そう……よかったね」
「ちがうよ。自動販売機がないって言ってたのは、みちゃんじゃないか」
 ここまで来た証というわけではないが、自販機でミネラルウォーターを一本買った。
 崖の上からは青海川の駅が一望できる。ただし、自販機のあるところからは駅は見えるが通過する列車はよくみえない。できれば国道の赤い橋から見てみたいところだが、この橋にはなぜか歩道がなかった。車道にはひっきりなしに大型ダンプが通っている。きょうは路面も滑るし、わずかな幅の路側帯を歩くのは危険なので、あきらめて帰ることにした。
 ゆっくり崖を下り、跨線橋を渡って海側のホームに着いたら、ちょうど16時56分発の長岡行き電車がやって来た。赤い橋に渡れなかったおかげで、滞在時間二十六分でも駅の眺めが充分堪能できた。きょうはこれで満足である。
 ザザーッと浜に寄せる波の音が聞こえる。電車のドアが閉まると、波の音は聞こえなくなった。



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