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走れ!バカップル列車
第33号 EL&SL奥利根号



   一

 朝から強い雨が降っていた。一か月前から指定券を買っていたSLに乗るというのに、これでは出かける気力が萎えてしまう。
 それでも行かないという選択肢はない。みつこさんと二人、したくをして家を出る。前の道に出ると幸い雨はあがっていた。それでも雲は低く垂れ込めて、どんよりとしている。
 先の春休みシーズンにつづき、この夏休みシーズンもまた「青春18きっぷ」の旅に出ることにした。みつこさんは、特に鉄道おたくという訳ではないのだが、どちらかといえば、新幹線や特急列車より、ローカル線や鈍行の旅のほうが好きらしい。だからローカル線や鈍行列車にたくさん乗れる「18きっぷ」は、みつこさんのお気に入りだ。
「みちゃん」
「なに」
「こんどはSLに乗るよ」
「えー、どこ?」
「上越線だよ。水上(みなかみ)ってとこまで乗るんだ」
「へえ、上越線ってどこ走ってるの?」
「群馬県だよ」
「あー」
 みつこさんのテンションが急に下がった。
「なにその『あー』って?」
 群馬県じゃいけないのか。
「なんかおいしいたべものあるかなぁ」
 そういうことか。
「あんまりないかもね。いざとなったらまた『登利平』の鳥めし買えばいいじゃん」
「まぁ、そうだねぇ」
 二○○八年八月三十日土曜日、夏休み最後の週末である。雨上がりの街を歩き、いつものように王子駅から京浜東北線に乗る。車両は新型のE233系という電車で、ドアのうえに小型テレビ並のモニターがあってCMなんかが流れている。なんとはなしに画面を見ていると、運転情報が流れはじめて、その中に「上越線・沼田〜水上間・運転見合わせ」という表示がでた。
「沼田〜水上間」は、まさにこれからSL列車が走る区間である。それが運転見合わせとなれば、SLは途中までしか走らないのだろうか。この画面の情報にみつこさんはまだ気づいていない。みつこさんには言わないまま、まぁ、なんとかなるだろうと思って、そのまま上野駅へ行くことにした。
 乗車する列車は「EL&SL奥利根号」という。蒸気機関車のD51が引っ張るというのがこの列車の売りだが、上野〜高崎間は市街地が多いため蒸気機関車は走らない。高崎までは電気機関車(EL)が列車を牽引する。だから「EL&SL」と二種類の機関車が並んだ列車名になっている。ちなみに、ELは「Electric Locomotive」、SLは「Steam Locomotive」の略称である。
「EL&SL奥利根号」は、上野を8時ちょうどに発車する。ホームは地平にある十三番線である。高架にある京浜東北線のホームから階段を降りて、地平ホームまでくると、場内放送があった。
「8時に発車します『EL・SL奥利根号』は、本日大雨のため運転は取りやめになります」
「ええっ!?」
 みつこさんと二人で思わず声をあげる。
 沼田〜水上間で止まっているなら、せめて途中駅までは走るだろうと思っていた。それが上野からの全区間で運休になるとは……。
 カラダの力が一気に抜けて、へなへなしてしまう。
「どうする、ひろさん?」
「どうしようか……」
 切符は「青春18きっぷ」だから、水上でなくても、行き先を変更してどこへでも行ける。計画を変更することも想定して、大型の時刻表も持ってきている。それでもきょうはなんとなく上越線に乗りたかった。
「やっぱ、高崎線と上越線に乗ろう」
「いいよ」
 みつこさんが答える。
 8時39分発の高崎行き「快速アーバン」に乗ることにした。
 予定が狂って気持ちがおさまらないので、高崎までグリーン車に乗るつもりで、六番ホームにやってくると、ほかの車両には行列なんてできていないのに、グリーン車の前だけすごい行列になっている。明らかにSLの客がこちらに流れてきている。考えることはみんな同じだった。乗車して席に着くと、家族連れが何組かさっそく弁当を広げていた。発車ギリギリになってふつうに乗り込んできたおじさんが、異様に混んでる車内を見てのけぞっていた。
 快速列車はスムーズに東北線の線路を走る。大宮に着くころから、いくぶん空が明るくなってきた。分厚い雲が切れて隙間から青空がのぞいている。
 大宮から高崎線に入り、関東平野を順調に走って、10時14分、高崎に着いた。

 高崎駅のホームに降りてみると、上越線はすでに運転を再開していて、水上行きは平常通り運転するという。階段を渡って五番線まで行く。定時運行なら次の水上行きは10時26分発である。乗りかえ時間は十二分しかないので、駅ビルの六階の「登利平」はきょうはあきらめる。
 高崎を出ると、緑とオレンジのツートンカラーの三両電車は、利根川の河岸段丘をゆるい勾配で少しずつ登ってゆく。
 上越線は高崎から長岡のひとつ手前の宮内までを結ぶ一六二・六キロの路線である。群馬県から新潟県を最短で結ぶ路線で、上野(こうずけ)・越後、それぞれの旧国名をとって上越線と名づけられた。群馬・新潟の県境は急峻な越後山脈で、ループ線や清水トンネル、新清水トンネルがある。この山越えの区間や県境を「上越国境」ということがあるが、この県境をとりわけ「国境」と呼ぶのはやはり、川端康成の『雪国』が影響しているのだろう。
 列車は渋川を過ぎて利根川の鉄橋を渡る。この鉄橋を渡るといよいよ上越国境に挑むぞという雰囲気が色濃くなる。敷島を出てしばらくするとアナウンスがあった。次の津久田から水上の一つ手前の上牧まで、安全のため徐行運転をするという。
 急ぐ旅でないなら、この区間を徐行で走るというのは歓迎すべきことである。
 上越線は津久田からいよいよ山の奥深く入り込む。津久田と次の岩本の間では、絶壁の中腹にトンネルの出口があって、そのまま宙に躍り出て鉄橋を渡るという驚きのシーンが展開する。いつもなら鈍行電車といっても一瞬で過ぎてしまうところだが、そこを徐行してくれるんだから、こんなにうれしいことはない。
 いよいよ津久田を出た。鉄橋を渡り、右に左にカーブしながら、電車は谷の奥へとゆっくり分け入ってゆく。津久田を出て二つめのちょっと長めの棚下トンネルがそのトンネルだ。
「みちゃん」
「なに」
「このトンネルを出ると、空中にでるよ」
「ええ!? どうするの」
「鉄橋なんだ。注意して見ててね」
「わかた」
 トンネルを出た。
「ほら、トンネルの出口が崖の途中にあるでしょ。そこからそのまま鉄橋になっているんだ」
「えー、どこぉ?」
 電車はゆっくり走っているが、みつこさんは鉄橋とトンネルの出口が見つけられないようだ。
「え、いま鉄橋わたってんじゃん」
「トンネルってどこよ」
「トンネルはいま抜けてきたトンネルだよ。ほら、あっちにも鉄橋あるでしょ」
 ここはトンネルも鉄橋も上下線が別々につくられていて、百メートルほど離れている。上り線の鉄橋なら、付け根がトンネルの出口にくっついているところが見えるはずだ。
「あるけど、トンネルの出口ってどこ……?」
 もう鉄橋を渡り終え、茂みの中に入ってしまった。電車はけっこうゆっくり走っていたが、みつこさんはついに見どころを見落としてしまったらしい。私も一生懸命説明したつもりなので、かなりがっかりした。帰りもここは通るはずなので、帰りに期待するしかない。



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