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走れ!バカップル列車
第32号 ゆいレール



   三

 沖縄二日目はずっと宿でごろごろしていた。昼ごはんだけ、恩納村の「なかむらや」という店まで行って沖縄そばを食べた。
 三日目は、帰りの飛行機までに、レンタカーを返したり、モノレールに乗ったり、昼ごはんを食べたりしなければならないので、少し早めの九時ごろ宿を出た。
 カーナビの行き先を「ゆいレール赤嶺駅経由・豊見城レンタカーセンター」に設定。そのカーナビに言われるがままにクルマを走らせる。国道58号線を南へ。すでに何度か通っている道で、右側にはエメラルドグリーンの海岸が広がっている。空は雲が多いがときどき陽もさしている。
 万座毛の前を過ぎたところでカーナビは左へ曲がれと言ってくる。高速道路へ入るようだ。本当にここで良いのかというような山道を登る。左右の草むらに黄色や白やピンクの花が咲いている。トンネルが見えてきた。
 トンネルを抜けると海が見える。太平洋につながる金武湾(きんわん)である。トンネルで沖縄本島の東シナ海側から太平洋側へと越えたことになる。
 坂を下ると沖縄自動車道の屋嘉インターがあって、言われるままに高速に入る。
 三○分ほど走って那覇インターを出る。そこから先もカーナビの指示にしたがって右に左に進む。
 途中、とよみ大橋を渡る。右側はラムサール条約の登録湿地となった漫湖である。国場川と饒波(のは)川が合流して広くなったところにある湿地で、渡り鳥が羽根を休めるところになっているらしい。助手席のみつこさんがビデオカメラを回しながら解説をする。
「いま、漫湖にきています! すごいです!」
 新那覇大橋と那覇大橋を続けて渡ると、向こうからモノレールの線路が近づいてきて、頭上を並んで走る。そうしてモノレール赤嶺駅前に着いた。

 話は少々脱線するが、ゆいレールは沖縄初の鉄道ではない。
 明治のころからサトウキビ運搬用の鉄道が走っていたし、大正時代の沖縄本島には、沖縄電気軌道、沖縄人車軌道、沖縄県営鉄道、糸満馬車軌道と四社の路線が走っていた。昭和に入って、自動車交通が発達するとバスとの競争になり、沖縄電気軌道と糸満馬車軌道は廃止された。それでも沖縄県営鉄道と沖縄軌道(旧沖縄人車軌道)は、大東亜戦争が激しくなる昭和十九年ごろまで運行していたという。
 戦後はアメリカに占領されていたから、どうしたってクルマ社会である。鉄道は復旧されないまま、沖縄は返還された。
 一九七五(昭和五○)年に開催された沖縄国際海洋博覧会では、会場内に「ゆりかもめ」のような新交通システムが走ったが、これは開催期間中だけの営業だった。
 那覇市にモノレールを走らせようという構想は、一九七二(昭和四七)年ごろからあったという。具体的に沖縄県と那覇市が都市モノレールの導入を決定したのが一九七九(昭和五四)年である。さらに三年後の一九八二(昭和五七)年には第三セクターの沖縄都市モノレール株式会社が設立され、この会社がその後二十年の歳月を経て、二○○三年八月、「ゆいレール」を開業させるのである。
 路線は正しくは「沖縄都市モノレール」という。一般的に呼ばれている「ゆいレール」というのは愛称で、一九九九年秋にシンボルマーク・駅名とともに決まったものだ。
 ところでモノレールは鉄道なのか、という問題がある。
 狭い意味での鉄道は、二本の鉄のレールの上を鉄の車輪で走る交通機関をいうようである。JR線、東急や阪急などの私鉄、地下鉄、あるいは路面電車などがこれに当てはまる。
 さらに鉄道をもっと広く考えると、レールの上を走る跨座式モノレール、レールにぶら下がる懸垂式モノレール、案内軌条による新交通システム、ロープウェイやケーブルカーなども鉄道の仲間に入れられる。変わり種では、立山や黒部のトロリーバス(無軌条電車)、スキー場のリフトなども広い意味の鉄道に含まれる。
 そうすると、モノレールは狭義の鉄道には入らないが、広義の鉄道には含まれることになる。ゆいレールはレールの上を走るから、跨座式モノレールである。
 ゆいレールが開業するまで、日本で一番西にある駅は松浦鉄道のたびら平戸口駅(長崎県平戸市)、一番南にある駅はJR指宿枕崎線の西大山駅(鹿児島県指宿市)であった。いずれも九州の駅である。
 ところがゆいレールが開業すると、日本最西端の駅はゆいレールの那覇空港駅となり、最南端の駅は那覇空港の隣の赤嶺駅となった。それまで最西端と最南端であったたびら平戸口と西大山は日本一の座を譲ることになるが、現在はどちらも「普通鉄道」(狭い意味での鉄道)の最西端と最南端ということになっている。
 ゆいレール側でも「軌道系交通」(広い意味の鉄道に含まれる)では最南端の駅などと表現することもあるようだが、やはり鉄道駅ということでいえば、最西端と最南端を堂々と表明していいはずである。実際、那覇空港駅には「日本最西端の駅」の碑があり、赤嶺には「日本最南端の駅」の碑があるという。

 みつこさんと私は、レンタカーで日本最南端の赤嶺駅に着いた。
 駅前広場にはたしかに「日本最南端の駅」の碑があった。ここで二人並んで記念写真を撮る。このあとゆいレールに乗り、赤嶺駅も通るのだが、碑のある場所(改札の外にある)を考えると途中駅で降るより、レンタカーで駅前を通って記念写真だけでも撮っておこうと考えたのである。
 豊見城のレンタカーセンターでクルマを返し、マイクロバスで空港ターミナルに到着。私たちは、ゆいレールの那覇空港駅へと向かった。



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