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走れ!バカップル列車
第30号 急行つやま



   一

 年越しそばを食べにいったときだったとおもう。
「直島(なおしま)って、行ったことある? 一度行ってみたいって思ってたんだよねえ」
 N夫人がそう言うので、五月の連休に直島に行くことになった。
 N夫妻は二○○七年のお正月にイタリアにでかけたときに知り合ったお友達である。みつこさんはイタリアには行かなかったのだが、その後のツアー仲間の同窓会に参加してからみんなと仲良くなり、以来ちょこちょこと四人で会っている。
 ゴールデンウイークなんて五か月も先のことだから話が宙に浮いたような感じだが、混雑するのは間違いないから、そろそろ動かないと宿が取れなくなってしまう。
「じゃあ、宿の予約とっときましょうか」
 なんとなく話の流れで、私が宿の予約をすることになった。
 大晦日の夜、インターネットで予約を試みたが、やりかたがよくわからず、不安なので、元日の朝、寝床の中から携帯電話で予約した。四名二室で二泊三日の予約がどうにかできた。
 直島は、瀬戸内海に浮かぶ東西二キロ、南北五キロの小さな島である。
 岡山県玉野市(宇野)の南三キロ、香川県高松市の北十三キロのところにあり、かつては宇高連絡線が近くを通っていたはずである。東に四、五キロのところに産業廃棄物が問題となった豊島(てしま)があり、さらにその先には小豆島がある。行政区域は直島とその周辺の島々を含め、香川県香川郡直島町となっている。江戸時代までは本州側の備前国だったが、明治初期になぜか四国側の丸亀県(いまの香川県の一部)に編入されている。
 直島は江戸期は漁業や交易などが盛んだった。大正時代には島北部で三菱の銅精錬所が操業を開始して、小さな島にしては豊かに暮らしていたようである。
 一九八○年代後半からはベネッセコーポレーションが島南部で観光開発をはじめている。九○年代から南部で安藤忠雄設計によるベネッセハウスが建設され、島中央部ではアーティストと町が一体となって「家プロジェクト」という現代アートを作り上げている。そのころより文化の薫り高い瀬戸内の島として、徐々にその名が知られはじめたが、二○○四年に地中美術館が開館してその人気は不動のものとなった。
 私たち二人は地中美術館がオープンする直前の二○○三年十一月に一度直島を訪れたことがある。そのころは宿泊施設といえば、ベネッセハウスの本館とアネックスぐらいしかなかった。「家プロジェクト」という町中の展示作品はそのころからあったので、ベネッセハウスと町中の作品を見ながらのんびり過ごした。
「前に直島行ったときは、どうやって行ったの?」
 年明け再びN夫妻に会ったとき、N夫人にこう訊かれた。なにぶん直島は瀬戸内の小さな島である。東京から出かけるとなるとけっこう気合いがいる。
「高松まで『サンライズ瀬戸』っていう寝台特急で行きましたね。高松からはフェリーで」
「さすが鉄道おたくだねえ。寝台列車かぁ。帰りは飛行機にしても、往きは列車も良いかもねえ」
 そんな話の流れで、私は寝台特急の切符も買うことになった。JRの指定券は乗車日の一か月前にならないと発売しないので、それまでの間に高松〜羽田間の航空券も買った。
 寝台特急「サンライズ瀬戸」は東京駅を五月二日の22時に出発する列車に乗るので、寝台券の発売は四月二日の十時からである。ゴールデンウイークの指定券は乗客が集中するので入手はとても難しい。みどりの窓口で十時の時報と同時にコンピュータのボタンを押してもらっても、とれるかどうか最後までわからない。一か八かの賭である。
 三月下旬ごろ御茶ノ水駅のみどりの窓口で、ゴールデンウイーク期間の指定券の発売について訊いてみた。すると、一か月より前には予約受付はしていなくて、ちょうど一か月前の日の朝六時から改札で受付けるとのこと。

 四月二日、朝四時半ごろ起きて五時過ぎに家を出た。御茶ノ水駅には五時四十五分ごろ着いた。ちょっと早いが、みどりの窓口がある御茶ノ水口の改札に向かい、駅員に乗りたい列車の乗車区間、人数などを書いたメモを渡した。
 駅員はどうしていいかわからない様子で渡したメモを見つめ、別の事務室に行ってしまった。誰かわかる人に聞きに行くのだろう。駅員が来るまで、誰もいない改札口でぼうっと待ち続ける。
 しばらくして駅員が出てきた。ようやく受付してもらえると思っていたら、すぐあとから上司らしき別の駅員が追いかけてきて、最初の駅員に話しかけている。
「六時から受付だから! まだダメだよ!」
 最初の駅員がハイわかりました、というような返事をしている。
 ようやく受付してもらえると思ったら、ヘンなところで横やりが入った。駅員が私に話しかけてくる。
「ここで受付はしますが、六時からなので」
 当の駅員もちょっと気まずそうに私に言う。
「わかりました。ではここで待たせてもらいます」
 私はそう言って、改札口のど真ん中で仁王立ちになった。そこまで言うなら、ここであと十五分、待つしかない。
 すると駅員が再び私に話しかけてきた。
「いいです。このメモは受けとります。では『六時に受け付けた』ということで。きょうは六時まで後に誰か来そうもありませんし」
 結局、なにが良くて、なにがいけないのか、よくわからなかったが、とにかく五月二日の指定券購入の受付をしてもらうことができた。
 昼すぎにみどりの窓口に行ってみた。行列ができている。
 順番が来て、名前と申し込んだ列車を告げると、窓口の若い駅員は困ったような顔をした。
「一部屋だけは取れたんですけど、もう一部屋が取れなかったんですよ」
 申し込んだのは、補助ベッドをつけると二人部屋になる「シングルツイン」という個室二部屋である。そのうちの一部屋しか取れなかったようだ。
「コンピューターで最初に入力できるのが一部屋ずつなんで、十時ちょうどに一部屋取って、そのあとにもう一部屋取ろうとしたんですが、そのときはもう売り切れてしまったんですよ」
 きっとこの駅員が実際に十時にコンピューターを操作してくれたのだろう。なんとか二部屋取ろうと努力してくれたはずだ。駅員も悔しそうな顔をする。まぁ、最大限がんばってくれた結果なのだから、しかたがない。
「では、その一枚だけ買います。もう一部屋はキャンセル待ちできますか?」
「ハイ、できますよ。とれたら連絡します」



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