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走れ!バカップル列車
第29号 吾妻線・両毛線鈍行電車



   三

 私たちにとっての吾妻線のハイライトは、日本一短い樽沢トンネルである。
 全長七・二メートルは断トツの短さだ。電車の先頭がトンネルを出るとき、長さ二○メートルの車両の一番後ろがまだトンネルに入っていない。それはさすがに一瞬のことだからわかりにくいが、七両編成の特急が樽沢トンネルを抜ける写真を見ると、列車が短い腹巻きを巻いてるような感じに見える。
 なぜこんなに短いトンネルができたのか。いまの建設方法なら切り崩してしまい、わざわざトンネルにはしないだろう。
 吾妻線の渋川〜長野原間は、一九四五(昭和二○)年一月に開業している。最初は貨物輸送のための路線だったという。日本一短いトンネルができた謎の説明としては、岩盤が固く工期を短くしたり費用を節約したりするためであったとか、吾妻渓谷の景観を守るためとか、いくつか説があるようである。真相は謎のままだが、戦時中の突貫工事で建設されたという特殊な状況がこんな珍しいトンネルを生んだと想像できる。
 この樽沢トンネル付近の線路が廃線になる。
 現在建設が進んでいる八ツ場(やんば)ダムが完成すると、吾妻線の岩島〜長野原草津口間のかなりの部分が水没する。そのためこの区間は新しい線路に付け替えられるという。樽沢トンネルは岩島〜川原湯温泉間にあって、トンネルそのものは水没は免れるようだが、線路はそのずっと手前から新線に切り換えられるので、いまある線路は廃止になってしまうのである。
 いよいよ樽沢トンネルが近づいてきた。
 切り立った崖にはところどころ岬のように突き出たところがあって、トンネルになっている。そうしたトンネルの一つに樽沢トンネルがある。
 窓から左前方を注意しながら見る。うっかりすると見落としてしまうくらいの短さなのである。
 前方にとても短いトンネルが見えた。尾根に一本松が立っている。
「みちゃん」
「なに」
「樽沢トンネルだよ」
「わかた」
 トンネルがどんどん近づいてくる。
「日本一短いんだよ」
「わかた」
 一両目、続いて二両目がトンネルに入ってゆく。
「これだよ!」
「わ……」
 パッと暗くなって、そしてまた何ごともなく明るいところを走り続ける。電車は一瞬にして樽沢トンネルを抜け、すぐにまた次のトンネルを抜けて行く。
「なんだか、あっという間だったな」
「そうだなあ」
「トンネルというより、薄っぺらな舞台道具をくぐったみたいだな」
「ハハハハハ。みちゃん、うまいこと言うねえ」
 電車は、吾妻渓谷の深い谷をさらに奥へと進む。川が見えてきた。河原は岩である。この付近から長野原草津口の直前まで、吾妻線も、並行する国道も、ダムの底に沈むことになっている。
 川原湯温泉に停車した。旧国鉄の典型的な木造平屋の駅舎である。焦げ茶色の柱と白い板壁のコントラストが目に鮮やかだ。この駅も、そして温泉街も、数年後はダムに沈むなんて、にわかには信じがたい。
 線路脇の農村に立つ木々に白い花が咲いている。渓谷は相変わらず深く、遥か下の崖の底に吾妻川の河原が見える。その谷を横断するように巨大なコンクリートの柱が一定の間隔を置いてそびえている。
 12時11分、長野原草津口に着いた。渋川からちょうど一時間である。降りる人、乗ってくる人、何人かの乗り降りがあった。
 谷はまだ深いが吾妻渓谷ほどではなくなってきた。川の向こうの山や崖も遠くなり、平地も見られる。電車は農村を走って群馬大津、羽根尾と過ぎてゆく。棚田のある集落も見えた。トンネルが多い。
 万座・鹿沢口駅に着く。特急列車の終着駅であり、バスターミナルもあるので、それなりの規模の駅だと想像してしまうが、ホーム一本に線路一本だけの簡単なつくりである。駅の周辺も崖が崩れないようにコンクリートで固められていて殺風景な雰囲気だ。
「なんだか寂しい駅だな」
 みつこさんが言う。
「でも、特急の終点なんだよ」
 バスが着いたのか、若いカップルなんかがガラガラとスーツケースを引いてホームに昇ってくる。
「ここは珍しい『なかぐろ』の駅なんだよ」
「なかぐろ?」
「うん、万座と鹿沢口のあいだに『・』があるでしょ」
「あるね」
「これって、日本でここだけなんだよ」
「ふうん」
 厳密に言うとJR線で「・」はここだけらしい。
 列車は再び発車する。万座・鹿沢口がほとんどの列車の終点だから、ここから大前までの一駅区間はなんだかおまけのような感じに思えてくる。石切場みたいな白い岩の断崖が左に見えた。
 そうして12時30分、終点の大前に着いた。谷あいのこぢんまりした駅だが集落もある。
 この列車には意外に乗客が多かった。ホームに人が多くてちょっと驚く。この時期は「18きっぷ」を使って乗る人が多いのだろうか。ふつうの乗客は列車を降りれば駅を去るものだが、この列車を降りた乗客の多くはホームを降りたあと、ただその辺をうろうろするだけである。中高生、家族連れ、独り者のお兄さんといった私たちの仲間がたくさんいる。その男女比は著しく偏っている。
 空は青く、とてもいい天気である。駅名標の隣には双体道祖神が祀られている。順番を待って、私たちも電車をバックに記念写真を撮った。
 電車は二○分間ホームに停まったあと、12時50分発高崎行き普通列車になる。
 仲間や電車とともに来た道を戻る。みつこさんは来るときと一緒だからといって、居眠りをはじめてしまった。私も下り列車よりは楽な気分で車窓を眺める。
 吾妻渓谷に立つ巨大なコンクリートの柱を見て、樽沢トンネルをくぐる。
 中之条を過ぎて、小野上に着いた。特急列車とすれ違いのため四分停まる。
 この停車時間のうちに、落としたデジカメのケースを探そうと思う。寝ているみつこさんの膝を跨ぎホームに降りた。
 跨線橋に昇って、二時間半ほど前に写真を撮ったあたりを見回すが、ケースはない。反対側のホームに渡って駅舎の待合室を見てみるが、そこにもなかった。
 電車に戻ると、みつこさんが目を覚ましていた。
「あった?」
「なかった」
「そうかぁ」
 電車は静かに走りはじめた。小野上のホームが後ろに去ってゆく。



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