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走れ!バカップル列車
第29号 吾妻線・両毛線鈍行電車



   一

 東山道(とうさんどう)という道は、現代の日本経済の感覚からすると、なかなか理解しにくい道である。
 古代日本の律令制では、五畿七道といわれる地方行政区分・交通網が整備され、五畿(山城・大和・河内・和泉・摂津)を中心に、西へ山陰道、山陽道、南海道、西海道、東へ北陸道、東山道、東海道と行政区分がなされていた。これらに属する国の国府をむすぶ街道も、同じく山陰道、山陽道などと呼ばれており、そうした名称は、現代の地方の名前や鉄道・高速道路といった交通網の名前にもなっている。
 東海道とか、あるいは北陸、山陰、山陽といった名称は残っているものの、東山道という名前は、いまはあまり聞かない。江戸時代に江戸を中心とした五街道が整備され、東山道は中山道に吸収されてしまったのだろう。行政区画でいえば、近江、美濃、飛騨、信濃、上野、下野、陸奥、出羽といった国々が東山道に属する。

 
 「WhiteWind歴史館」より

 東山道の本線は、いまの長野県から関東平野に出たあと、東京を無視して群馬から栃木を通り、東北地方へ抜けていた。こまかくいえば、群馬・栃木から「Y」字型に南に延びて武蔵へ通じる東山道武蔵路という道があり、当初は東山道の本線だったが奈良時代以降は支線になっている。
 とにかく都から中央の山脈を越え、東京を無視したまま北関東を通り、東北地方へ抜ける街道があったということが、いまの感覚からするとわかりにくい。江戸時代以降の江戸ないし東京中心の交通網や地図に慣れてしまっているから、しかたないことなのかもしれない。
 日本武尊は東国を征伐するとき、往きは東海道でやってきた。
 いまの三浦半島から房総半島へ海で渡るとき、海が荒れてしまい船が出せなくなったので、妻の弟橘媛が海に身を投じ、波を静めた。
 東国を平定して西へ帰るとき、日本武尊は亡き弟橘媛を思い、「吾妻はや」(あずまはや)と三回嘆いたとされる。嘆いた場所はわかっていない。古事記では、足柄坂(足柄峠)とされているし、日本書紀では碓日坂(碓氷峠)とされる。その碓日坂も、いまの碓氷峠ではなく、浅間山の北側にある鳥居峠だとする説もある。

 JR吾妻線は上越線の渋川から長野原草津口、万座・鹿沢口を経て大前に至る全長五五・六キロの路線である。全線単線のローカル線であるが、草津温泉などの観光地も多く、上野から万座・鹿沢口までの特急列車も一日三往復運転されている。
 吾妻線の名は、群馬県西部の吾妻郡、あるいは沿線を流れる吾妻川からとったものと考えられる。吾妻郡は明治時代の町村制施行のときに成立しているが、おそらく明治以前もこの地域は吾妻と呼ばれていただろう。さらに言うなら終点の大前駅があるところは、吾妻郡嬬恋(つまごい)村である。
 吾妻郡にしても、嬬恋村にしても、日本武尊が弟橘媛に思いを馳せて「吾妻はや」と嘆いたのは、いまの鳥居峠であるという伝説にもとづいている。
 鳥居峠は吾妻線の終点大前からさらに西へ進んだところにある峠で、群馬県と長野県の県境にある。現在は国道144号線が通っていて、峠を越えて北に進めば菅平、南に進めば上田市に着く。上田市は信濃国の国府があったところである。
 日本武尊が嘆いた碓日坂は、その名前を考えれば、鳥居峠ではなく碓氷峠であるとするほうがしっくりする。だが、どこが正しいと断言もできなければ、どこが間違っているとも言い切れない。むかしから群馬県のこの地域が吾妻郡と呼ばれていることはまぎれもない事実なのだから、こまかい史実のことなど、もうどっちでもいいような気がする。

「青春18きっぷ」はまだ三回分残っている。
 先週三月二十九日に小海線に出かけた。当初の計画では一日のうちに、バスまで駆使して吾妻線と小海線の両方に乗る予定だったが、ちょっとハードな旅程だということと、「18きっぷ」が余ってしまうことを考えて、旅を二回に分けることにした。
 今週は吾妻線に出かけようと思う。
 時刻表を見ると、高崎を10時45分に出る大前行の鈍行電車がある。
 吾妻線は終点の大前まで行く列車が一日五本しかない。ほかはすべて一つ手前の万座・鹿沢口止まりである。数少ない五本のなかでも四本は朝と夕方で、東京から出かけるには不便な時間帯である。せっかくだから終点まで行きたい。旅程を組むときは、高崎10時45分発の大前行きに乗ることを第一に優先させることにした。
 高崎までは、上野8時39分発の快速「アーバン」に乗ることにする。この列車は高崎に10時14分に到着する。その次の普通列車でも10時45分発の吾妻線には間に合うのだが、高崎で弁当を買う時間を確保したいのである。
 みつこさんと旅に出る以上、おいしいごはんを食べることは必須の条件である。
 今回は列車の時間帯を考えると、昼は車内で弁当を食べるしかない。おいしい弁当はないだろうかと探してみたが、駅弁ではおいしそうなものがない。赤いだるま形の容器に入った「だるま弁当」は有名だが、あの容器を持ち帰ったところで使い途がない。インターネットでいろいろ探していたら、駅ビルに入っている「登利平」というお店の「鳥めし」がおいしそうだということがわかった。持ち帰り用の弁当も販売しているという。駅ビルといっても混雑していて思うように歩けないこともあるから、一本早い電車で高崎に着いて、余裕を持って「鳥めし」を買えるようにした。
 東京から吾妻線の終点までの行動予定は固まった。とりあえずこれだけ決めて出かけようと思う。
 二○○八年四月五日、みつこさんと私は王子駅で「18きっぷ」の二回分の日付印を押してもらい、京浜東北線大宮方面(北行)の電車に乗りこんだ。高崎線には赤羽から乗る。ふだんなら上野まで出て始発駅から乗るところだが、今回はちょっと横着をした。
 快速「アーバン」は8時49分に赤羽を出る。無事その時刻には間に合って、四番ホームで電車を待った。

【参考】WhiteWind歴史館
http://earlgreyimperial.bufsiz.jp/edo_q/edo_q04_goki_sitidou.htm



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