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走れ!バカップル列車
第28号 ハイブリッド高原列車



   二

 王子の駅前まで来たら、桜が満開だった。
「わあ、きれいだね」
 みつこさんが言う。
「ほんとだ」
 なんだかこのまま列車に乗って出かけてしまうのがもったいないくらいの咲きっぷりである。
 二○○八年三月二十九日、計画していた「18きっぷ」の旅に出かける。
 桜は咲き始めても、まだ満開にはなっていないだろうと、じつは高をくくっていた。ところが咲き始めたと思ったら一気に咲いてしまった。こちらの気持ちが桜についていけない。なんだか置いてきぼりを食らったような感じである。必死で追いついていけば良さそうなものだが、そこまでの気力もない。
 空はよそよそしいほどの青空である。ことしは桜が充分に楽しめないかも知れない。そんな風にも思った。
 気を取り直して改札口に来た。
「きょう、二名で使います」
 改札口の駅員に「18きっぷ」を見せる。駅員は五か所ある日付スタンプ欄の一つめと二つめのところに、日付と駅名の入った改札印を押した。
 みつこさんと二人、改札口を抜け、京浜東北線と山手線を乗り継いで新宿駅に来た。
 南口の広いコンコースで朝ごはん用の弁当を買う。みつこさんのこだわりようはいつも通りで、キオスクの弁当売り場とルミネ改札口近くのお惣菜屋とを何度も見比べている。いろいろ迷って、お惣菜屋で弁当を買った。
 小淵沢行きの「ホリデー快速ビューやまなし号」は七番線から出る。
 南口から階段を降りると、ホームには「ホリデー快速」を待つ客がちらほらいる。九号車に乗ることにして、すでに七、八人並んでいる列のうしろについた。
 しばらく待って、四ッ谷方向からようやく「ホリデー快速」がやって来た。ぬぼっという白い顔をした十両編成の電車である。この電車は215系電車といって、十両全部が二階建て車両という風変わりな構造を持つ。普通列車のグリーン車のような二階建て車両が十両並んでいるような感じだ。平日は東海道線の「ホームライナー」などで走っているが、土休日は特に活躍の場がなく、行楽シーズンなどに「ホリデー快速」などの臨時列車として走っている。
 ぞろぞろと進んで車内に入り、階段を数段登って二階の車内に向かう。車内の座席はすべて二人掛けシートが向かい合わせになった四人用ボックス席である。私たちが入ったときには座席はほぼ埋まりかけていたが、一番端の左側のボックスがかろうじて一つ空いていたので急いで確保した。
 進行方向左側に座れて良かったと思う。全区間を通して左ばかりが景色が良いとは限らないが、勝沼から甲府盆地を一望できるのは左側である。きょうは天気も良いのでいい眺めが期待できる。
 ボックス席は四人掛けだが、だいたいのボックスは三人とか、二人とかのグループで占拠されている。あとから「ここ空いてますか」と尋ねてくる人もいるが、ほとんどは一人、二人分が空いていても、ほかの車両へ去ってしまう。さいきんの人は、若い人に限らず、人と接するのが苦手になったのだろうか。四人掛けの席に知らない人と向かい合わせに乗るのを嫌がる人が増えたような気がする。
 私たちは、二人並んで進行方向を向いて座った。前の二席はどちらも空席である。

 発車時刻9時6分となり、「ホリデー快速」は発車した。
 駅構内のポイントをそろりそろりと渡り、大久保を通過する頃には快調なスピードで中央線を走る。
 東中野を通過した。その先の数百メートルは桜のトンネルのはずである。
 このときばかりは右側に座っている人をうらやましく思う。桜は右側に咲いているからである。反対側に座っているおばちゃんたちが上を向いて歓声をあげている。桜の花びらと菜の花のコントラストを想像した。
 みつこさんは、「おなかすいた」と言って、列車が発車するとほぼ同時に朝のお弁当を食べはじめた。みつこさんは照り焼きチキンとエッグサンド、きんぴらひじきの玄米いなり巻き。ものすごい勢いで食べている。私は「カラダにおいしい健康弁当」と名づけられた春野菜のお惣菜が盛りつけられたお弁当。ふつうの駅弁とはちょっと趣向の違った献立になっている。みつこさんに続いて食べはじめる。
 中野を過ぎると高架線になる。高いビルもあるが周囲の家並みを見おろすような格好だ。阿佐ヶ谷を過ぎたら、丹沢の向こうに富士山が見えた。見える部分ぜんぶが残雪に覆われている。
「みちゃん」
「なに」
 口をもぐもぐさせている。
「富士山だよ。真っ白だよ」
 みつこさんが少しだけ窓側に顔を寄せる。ほんのちょっとだけ見て、また姿勢を戻す。
「ふうん、寒いんだね」
 それだけ言って、こんどはいなり巻きを食べはじめた。富士山にはあまり興味がないらしい。
「そういえばTさんがさあ……」
 こんどはみつこさんが話しかけてくる。富士山とは全然関係ない話である。
「いつのまにか、アタマ真っ白になっちゃったんだよ」
 真っ白つながりだったようだ。インターネットに顔写真が載っている知り合いの営業マンの話題である。
「もうね、ゴマ塩どころじゃないんだよ」
「え?」
 思わず驚く。Tさんは私より若いはずだが、なぜそんなに白髪になったのだろう。富士山の話をしていたつもりだが、それはそれで気になる話ではある。
 沿線の右左で桜が満開だ。三鷹、立川、八王子と停車。途中向かいの席におじさんやおばさんが座ったが、一駅か二駅乗ってどこかへ行ってしまった。高尾を出るともう乗客がたくさん乗ってくることもない。足をのばしてくつろぐ体勢をとる。山がいよいよ目前に迫って小仏トンネルを抜ける。
 相模湖の駅に停まった。
 みつこさんが窓の外を見て叫ぶ。
「さかなが刺さってる!」
 見ると駅前広場に鮎なのかブラックバスなのか、なんの魚かわからないが、魚の像が建っている。魚は足がないから胴体に棒が刺さっていて、その棒に支えられて宙に浮いている。
「ホントだ、刺さってたな」
「刺さってるんだよ」
「でも、塩焼きになってるのとは違うな」
「うん、ただ、刺さってるんだよ」
 相模湖をちらちらと見ながら、「ホリデー快速」は山の中を走り抜けてゆく。相模湖と次に通過する藤野だけは神奈川県で、その先の上野原から山梨県である。
 刺さっている魚であれほど騒いでいたみつこさんはいつのまにか居眠りをしている。谷が広がったところに家並みがあって上野原。次の四方津も谷あいの集落である。ここまで来ると桜はまだ咲き始めになる。
 じいさんたちがゲートボールしている脇をすり抜け、鳥沢の大きな橋を渡り、猿橋を通過して大月に着いた。新宿からおよそ一時間半だから、小淵沢まで三時間の旅程のほぼ中間地点である。
 大月からは河口湖へ向かう富士急行が出ていて、笑う富士山の絵が描いてある「フジサン特急」が停まっている。
 初狩、笹子と通過して、明治時代に完成した石積みの笹子トンネルに入る。



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