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走れ!バカップル列車
第25号 寝台特急富士と高千穂鉄道



   四

 立野から高森まで南阿蘇鉄道高森線のトロッコ列車「ゆうすげ5号」に乗る。
 高森線の乗り場は、閑散としたJR線のホームから歩いてすぐのところにある。どこから湧いて出たのか、こちらの小さなホームには家族連れや団体がわんさかあふれている。
「ゆうすげ5号」の立野発車は14時32分で、「九州横断特急」との接続は良いがこのたくさんの人たちがJR線から乗り換えたようには見えない。立野までは自動車で来たのだろうか。
 レールバスにトロッコと機関車をつなげた不思議な編成の列車がやって来た。これがトロッコ列車「ゆうすげ5号」であるが、レールバスは高森までの通勤通学客のための普通列車である。「凸」型をした小さな機関車にトロッコ客車が三両あって、中間に機関車をもう一両つなげていて一番後ろがレールバスという六両編成である。
「ゆうすげ号」は盛況のようで、きょうは予約で満席になっているという。私たちは予約しておいたのでトロッコに乗れたが、当日やって来た乗客はレールバスに乗るのだろう。
 くもり空が次第に晴れてきた。
 トロッコ列車はたくさんの観光客を乗せて発車する。固い木製のイスにぎゅうぎゅう詰めにして座らされる。向かいの座席には私たちと同じくらいの歳の夫婦とそのお母さんの三人連れが座っている。乗り心地はあまり良くない。レールの繋ぎ目に来るとガタンという振動がほとんど直接お尻に響く。レールバスの方が乗り心地は格段に良さそうだ。
 立野から出てしばらくは地形の複雑なところを通り、大きな鉄橋を立て続けに二つ渡る。発車してすぐに渡るのが立野橋梁、さらに一キロほど進んだところで渡るのが第一白川橋梁である。橋を渡るたびに高森駅の名物駅長さんが橋の謂われなどをガイドしてくれる。
 橋はどちらも川がはるか下に見える高い鉄橋である。特に第一白川橋梁は水面からの高さが六十二メートルあり、高千穂橋梁が完成するまでは日本一の高さだったという。ガラスのない窓から川底をのぞいて風に当たると目がくらむ。
 高い二つの鉄橋を渡り、次の長陽駅まで来ると周辺は平坦な盆地になる。阿蘇のカルデラ盆地のうち、豊肥本線が走っていた阿蘇山の北側の盆地を阿蘇谷、高森線の走る南側の盆地を南郷谷という。豊肥本線で北から見た山をこんどは南から見ることになる。その山容は「お釈迦山が寝ている姿に見える」と駅長さんのアナウンスがある。阿蘇下田城ふれあい温泉や、日本一長い駅名を誇る南阿蘇水の生まれる里白水高原など長い名前の駅に停まったりしながら、トロッコ列車はガタゴトと南郷谷を走る。向かいの旦那さんは眠くなったといって居眠りをしてしまった。この激しい揺れの中でどうして眠れるのか不思議である。
 十七・七キロの道のりを49分というスローペースで走って、15時21分、高森に到着。高森からはバスに乗り、再び阿蘇の外輪山を越えて、夕陽がきれいに浮かぶ十七時半ごろ高千穂の宿に着いた。

 翌十月二十八日、朝は霧が立ちこめていたが晴れてきた。午後、タクシーを呼んで高千穂線の高千穂橋梁が見えるところに行ってみた。この鉄橋は高千穂の一つ手前の天岩戸駅近くにある。全長三五二・五メートルで、水面からの高さ一○五メートルは日本一である。国道218号線の旧道から見れば、その橋を遥か上に眺めることができる。新たに開通したバイパス(現・218号)の雲海橋から見れば、ほぼ同じ高さに橋が見える。
 線路は梯子のように鉄骨を組んだトラスの上に敷かれていて、その上を列車が走れば風にさらわれるような気分になってスリル満点だったろう。しかし、いつまで鉄橋を眺めてもこの橋に列車が通ることはなかった。
 タクシーの運転手に高千穂鉄道のことを尋ねると、
「もう、ダメでしょう」
とけんもほろろの答え。宿の人にも何のために列車の走らない鉄橋を見に来たんだとヘンな顔をされる。街中には「高千穂線を復活させよう」と謳った幟がたくさん立っているが、高千穂に住む多くの人にとって高千穂鉄道はすでに過去のものになってるようだ。
 最後に運転手さんに高千穂駅まで行ってもらうことにした。
 道路を横道に逸れ、少し下ったところに「高千穂駅」と書かれた平屋のちいさな駅舎があった。駅舎の裏側にはプラットホームがあって駅名標もそのまま残っている。少し整備すればいつでも営業できそうではある。
 また上の道路に出て駅と反対側をのぞいたら、レールバスが三両留置されていた。風雨にさらされて多少色あせている。行先方向幕は「延岡」のままだ。隣の線路は錆びついたどころか草が茫々生えている。
 人の気配のない駅だが、一応駅舎をバックに記念写真を撮っておいた。写真に映った自分たちの顔はどことなく寂しげである。



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