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走れ!バカップル列車
第25号 寝台特急富士と高千穂鉄道



   二

 東京駅の東海道線ホームは会社帰りのラッシュ時間帯を迎えていた。
 9番・10番ホームは特急列車用ということになっているが、この時間帯には通勤電車も次々と到着してくる。その合間を縫って17時49分、寝台特急「はやぶさ」「富士」が10番線に入線してきた。一時は隆盛を極めた九州行きのブルートレインもいまやこの「はやぶさ」「富士」の二列車、しかも門司までは併結して走るから実質的には一列車のみとなってしまった。
 1号車から6号車までが熊本行きの「はやぶさ」、7号車から12号車までが大分行きの「富士」。それぞれ同じパターンに連結した六両の客車を二つ並べた十二両編成で、2号車と8号車がA寝台個室、3号車と9号車がB寝台個室、そのほかは開放型のB寝台車である。食堂車もロビーカーも車内販売もなく、乗ったらただ寝るしかないようなつまらない編成である。JRとしても客の乗らないブルートレインなど、もうどうでもよくなっているのだろう。
 私たちは今回は8号車、大奮発のA寝台個室に乗る。機関車のところから8号車まで、1号車、2号車、3号車……とブルーの客車を眺めながらホームを歩いた。白い帯を巻いた客車、銀色の帯を巻いた客車、いろいろと雑多な客車が寄せ集められて連結されている。6号車と7号車の連結器が「はやぶさ」と「富士」の境目になる。
 切符は8号車の12号室と13号室。指定券の発売開始日である一か月前に切符を買いに行ったのだが一車両十四室あるうち残り三室しかなかった。私が二室分買って残り一室、発売開始から10分でこれだから、乗客が減っているといっても個室寝台だけはどうも別のようである。
 部屋はすでによく語られているように独房のようで天井がやたら高い。それでもベッドは広々としているし、クッションも開放型B寝台よりふかふかしていて居心地は良い。難点は「はやぶさ」も「富士」も一人用個室しかない点で、二人で乗るとすると一人ひとり別々の部屋に乗らないといけない。私は荷物を自分の13号室に置いて、寝るとき以外はみつこさんのいる12号室に居ることにした。
 定刻になり18時03分、寝台特急はガタンという大きな揺れと共に東京駅を発車した。終着大分まで17時間15分の旅である。

 みつこさんは空腹の限界に来ているようで、早速夕ごはんのお弁当を食べることにした。私は大丸の地下で即決で買った穴子と焼き蛤の寿司、みつこさんは10分間悩んで買った柿安ダイニングのイベリコ豚弁当である。多摩川を渡り、鶴見川を渡り、列車は横浜に停車した。窓際に座って弁当を掻き込んでいたら、ホームのサラリーマンやOLたちに食べてるところをじろじろと見られる。慌ててカーテンを閉めるのも嫌味な感じなのでそのまま見られるに任せる。早く発車してくれと念じながら蛤を口にくわえた。
 20時36分、静岡を出たので寝ることにした。寝るにはまだ早すぎる時間だが寝台列車は寝るに限る。隣の13号室に移って横になる。壁をコンコンと叩いたら、隣のみつこさんがコンコンと叩き返してきた。
 しばらく寝入っていたが、ぐらりと分岐器を曲がる揺れを感じて目を覚ます。大きな駅に停まるのだと思い、起き上がってそろそろとカーテンを開けると名古屋だった。反対側のホームには飲み会帰りと思しき女学生やサラリーマンが電車を待っている。私はすでに真夜中の気分だったが、一枚のガラス窓の向こうではまだ一日が続いていた。
 なんとなく車内の様子がざわざわしたような気がして、目が覚めたら列車は広島に停車していた。知らず知らずのうちによく寝たようだ。十月二十七日早朝5時21分。すでに新しい一日がはじまっている。ホームでは下車した乗客が何やら騒いでいる。空はまだ暗い。宮島もなにも見えないのでまた横になった。
 岩国を発車すると夜間は控えていた車内放送が始まった。車掌が「次の停車駅は柳井」と伝えている。窓の外を見ると由宇付近を走っているようで間近に瀬戸内海が見える。夜はまだ明け切らず、曇り空と静かな海がうっすらと光っていた。
 柳井を出てからトイレに行ったら先客が中に入っている。通路で空くのを待っていたらトイレの扉がかちゃっと開いた。出てきたのはなんとみつこさんだった。
「あ、ひろさん!」
「みちゃん、おはよう」
 自分のトイレを済ませて、また私はみつこさんのいる12号室に移ってきた。朝ごはんにしようと思う。徳山から車内販売のワゴンが回って来るというので、みつこさんのコーヒーを買おうと待っていたがなかなか来ない。
 そうこうするうちに列車は戸田を過ぎ、周防灘が窓近くギリギリのところまで迫ってくる。東の空に太陽が顔を見せ、海は白く輝き瀬戸の島々が黒く浮かんでいる。複雑に入り組んだ海岸線に沿って列車は走る。富海を通過した。前には機関車が、後ろにはつながる客車が見える。青みを増してきた海を見ながらブルートレイン「はやぶさ」「富士」がゆく。
 防府に停まる。車内販売は来ないがおなかがすいたのでもう食べる。昨夕、大丸の地下で買っておいたおにぎりである。食べてるうちに車販が来た。みつこさんがコーヒーを飲んだ。食べたらみつこさんはまた寝台にごろんと寝てしまった。
 下関で東京から走り続けてきた機関車を切り離し、関門トンネル専用のピンク色の機関車に付け替える。関門トンネルを抜けると九州である。8時46分、門司着。「富士」はここで24分というとても長い時間停車する。その間に三本の普通列車に追い抜かれる。
 門司の停車中、「はやぶさ」と「富士」が分かれる。およその手順は次の通り。
(一)関門トンネル専用のピンク色の機関車を切り離す。
(二)前六両の熊本行き「はやぶさ」に赤い機関車を連結する。
(三)「はやぶさ」と「富士」の間の連結器をはずしておく。
(四)「はやぶさ」が発車する(8時58分発)。
(五)後ろ六両の大分行き「富士」に赤い機関車を連結する。
(六)「富士」が発車する(9時10分発)。
 これだけのことをこなすのは人手もいるし大変な作業なのだが、やはり24分は長いような気がする。
「富士」は小倉の街を反時計回りに半周して日豊本線を走り出す。
 日豊本線は小倉から大分、宮崎を経由して鹿児島まで走る四六二・六キロの路線である。九州東部を北から南までぐるりと回るが全線を直通する列車はない。かつて日豊本線を西鹿児島(現・鹿児島中央)まで走り抜いた寝台特急「富士」もいまや大分止まりである。
 小倉から宇佐までは周防灘に面した平野を淡々と進む。眠くなってきたので自分の13号室に戻って朝寝することにした。
 小一時間ほどすやすや眠って目が覚めたら宇佐だった。隣のみつこさんも目を覚ましたようで、再び12号車に移動する。
「個室寝台は快適だな」
 朝寝で満足したみつこさんが言う。
「『あさかぜ』のときとは違うかい?」
 以前「あさかぜ」と「さくら」に乗ったときはカーテン一枚で仕切る開放型のB寝台だったが、どうもよく眠れなかったようで、みつこさんにはつらい思いをさせてしまった。
「うん、やっぱり落ち着くよ」
 みつこさんに「もう寝台に乗るのはイヤだ」と言われて落ち込んだのだが、個室寝台ならみつこさんもゆっくり休めたので良かったと思う。
 宇佐から杵築まで列車は国東半島の付け根の山中を走る。六両編成の身軽な客車は赤い電気機関車に牽かれ、特にスピードを落とすこともなく坂をぐいぐい登ってゆく。左右の山が険しくなってトンネルに入った。立石峠を越える新立石トンネルである。その後も短いトンネルを次々と抜け、鉄橋を渡って右に左に曲がると杵築に停車した。
 時刻表では「富士」の杵築駅の欄には通過を示す「レ」マークがついているが、実際の特急列車は杵築駅の2番線にぴたりと停まっている。後からやって来るスピードの速い特急「ソニック9号」に追い抜かれるため「運転停車」するのである。営業上はあくまで「通過」であるからドアは開かない。「ソニック」が遅れていたのか思いのほか長く8分ほど停車して再び発車した。
 またくねくねと曲がりながら坂を下り日出(ひじ)を過ぎると左窓に別府湾が見えてくる。別府に着いた。日本有数の温泉地とあって大きな駅である。温泉旅館がたくさん見える。東別府を過ぎるとまた海が見えてくる。
 椰子の木がぽつぽつ等間隔に立っていてその向こうに海が見える。景色が良いが、海と鉄道との間には国道10号線が走っていて、はっきり言えば目障りである。片側二車線ずつあるのにまだ拡幅工事をしている。こんなにも土地を占拠しているのにそれでも渋滞している。日豊本線はその三分の一にも満たない土地でたくさんの人をすいすい運ぶ。日本人もそろそろ自動車の効率の悪さに気がつくべきである。
 自動車が幅をきかせ、航空機が飛び、鉄道が斜陽化してしまった時代の寝台特急「富士」は、それでも定められたダイヤにしたがって黙々と走り続け、終着駅大分に着いた。一応ダイヤにしたがっているのだが、特急「ソニック」の遅れのためか、今日は「富士」も二分遅れ、11時20分の到着であった。



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