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走れ!バカップル列車
第25号 寝台特急富士と高千穂鉄道



   一

 二○○五年九月六日に九州に上陸した台風14号は西日本各地に甚大な被害をもたらした。河川の増水、土砂崩れ、家屋の倒壊などで死者二十六名、重軽傷者百六十八名。宮島の厳島神社が浸水し、岩国の錦帯橋は橋脚が流された。
 宮崎県の延岡市と高千穂町の間を五ヶ瀬川に沿って走る高千穂鉄道高千穂線は、この台風14号により五ヶ瀬川に架かる鉄橋二つを流失、全線不通となった。全線復旧にかかる費用は二十六億円、鉄橋二つだけでも十三億円と試算された。
 もとより列車が走れば走るだけ赤字が膨らんでいくローカル線である。宮崎県も沿線自治体も資金援助には難色を示した。運転再開を断念した高千穂鉄道株式会社は、翌二○○六年一月末、社員全員を退職させた。
 高千穂線の鉄橋が流され、線路が寸断されたニュース映像を見たとき、目の前が涙で滲んで何も見えなくなった。
「みちゃん、みちゃん、ごめんよ……」
 私は取り返しのつかない失敗をしてしまった。とんでもないことをしたと後悔に苛まれた。
 その年の六月、私たちは九州、しかも高千穂鉄道に乗りに行く計画を立てていた。私がときどき家に持ち帰ってくる「ローカル線の旅」みたいなテーマの雑誌をみつこさんが見て、高千穂鉄道の「トロッコ神楽号」に乗りたいと言ったからである。
 みつこさんが列車を特定して「これに乗りたい」というのはとても珍しい。それまでバカップル列車といえばまさに夫唱婦随で、私が行きたいと思った列車に乗りに行くのが常だった。だからこそこんどは婦唱夫随のバカップルで行こうと計画したのが高千穂鉄道の旅だった。
 その計画が実現しなかったのは、八戸線の腕木式信号機が廃止されるという情報が入ってきたからである。早ければ二○○五年の六月中にでもなくなってしまうという。
 腕木式信号機は日本で鉄道が走り始めて以来の古い方式の信号機で、JR線では八戸線に残っているのが最後のものだった。これが二度と見られなくなると聞けば行かないわけにはいかない。九州に行くはずだったのを急遽変更して東北に出かけることにした。事実、八戸線の腕木式信号機は私たちが訪れた後、半月ほどで姿を消してしまった。それはそれでいい。八戸線に出かけたことに悔いはない。
 しかし紅葉の頃に延期した高千穂鉄道の旅は、台風の影響で二度と実現できなくなってしまった。
 さすがの私も台風のことまでは予想していなかった。雑誌の記事を見る限り、「トロッコ神楽号」は盛況のようで、この先、二、三年で廃止されてしまうというような噂もなかった。当然「ただの延期」のつもりだった。
「みちゃん、ごめんよ」
「しかたがないよ」
 みつこさんはそう言うが、私の気持ちのほうがどうにもおさまらない。
 その後、高千穂町の商工会、観光協会など地元の有志が協力し合って神話高千穂トロッコ鉄道という会社を設立し、高千穂線の線路を譲り受け、復旧工事を行い運転再開をめざして活動を始めるという話が入ってきた。株主を募集するというので早速私は名乗りを上げた。
 しばらくしたら株主として募集するのは手続き上難しいので募金という形にしてほしいと連絡が来た。出資だろうが募金だろうが、列車が再び走るなら私はどちらでもかまわないので、自分の小遣いの中からわずかばかりの金額を募金した。延期してしまったトロッコ神楽号の旅をいつか実現するための、それが一縷の望みであった。

 二○○七年の秋、私たちは高千穂に行くことにした。
 無論、トロッコ神楽号は走っていない。しかし、募金だけしてそれっきりというのも無責任な感じがする。現地に足を運んでみて、実際にどんな状況かこの目で見ておきたい。神話高千穂トロッコ鉄道の人たちをせかすつもりはない。なるべく客観的に現状を把握したいとの思いである。
 二○○五年初夏の旅行のために立てた計画を踏襲し、行きは東京から大分まで寝台特急「富士」に乗る。しかし高千穂線には乗れないので、その先は二通りのパターンの計画を立ててみた。どちらもトロッコ神楽号の代わりに阿蘇山麓を走る南阿蘇鉄道高森線のトロッコ「ゆうすげ号」に乗る三泊三日(夜行一泊)の旅である。
[A案]往きは、大分→(日豊本線特急「にちりん」)→延岡→(バス)→高千穂(二泊)。帰りは、高千穂→(バス)→高森→(南阿蘇鉄道高森線のトロッコ「ゆうすげ号」)→立野→(列車とタクシー)→熊本空港→(空路)→東京。
[B案]往きは、大分→(豊肥本線「九州横断特急」)→立野→(南阿蘇鉄道高森線のトロッコ「ゆうすげ号」)→高森→(バス)→高千穂(二泊)。帰りは、高千穂→(バス)→延岡→(日豊本線特急「にちりん」)→宮崎空港→(空路)→東京。

「みちゃんは、A案とB案どっちがいい?」
「どっちもそんなに変わんないね」
 たしかにその通りである。どちらかと言えば、A案は一昨年立てた計画案に近く、B案は豊肥本線の立野駅でスイッチバックを体験できる。A案も立野駅を通りはするがスイッチバック区間は通らない。
「スイッチバックがあるB案がいいな」
「それじゃ、B案で行こう」
 旅館と帰りの飛行機の予約は八月のハワイ旅行の前に済ませ、寝台特急の切符は乗車一か月前の九月二十六日に買っておいた。
 十月になり、いよいよ出発の日が近づいてきた。
「楽しみだね」
 宮崎のガイドブックを見ながらみつこさんが言う。
 十月二十六日、いつもより重い荷物を背負って職場に出向き、いつもより早く職場を出て、東京駅に向かった。午後から雨がひどくなり、どうなることかと思ったが、以前一緒に「あさかぜ」に乗ったときと同じ八重洲中央口改札前に来てみると、笑顔のみつこさんが私を待ってくれていた。



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