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走れ!バカップル列車
第24号 ホームライナー鴻巣3号



   四

 六月二十九日金曜日の夜、私は新幹線と伯備線の特急「やくも」を乗り継いで新見に着いた。
 翌六月三十日、4時45分ごろ起床。気分を高揚させながら宿を出る。空は薄曇りのようなはっきりしない天気である。新見駅には5時過ぎに着いた。
 05時22分発備後落合行き芸備線快速列車は、すでに一番線に入っていた。やや小ぶりのディーゼルカー一両である。
 ホームまで来ると、ちょうどドアが開いたところなので車内に乗り込む。発車間際に駆け込んだ人も含めて乗客は十数人ほどであったが、きょうは土曜日、すべて急行「みよし」目当てと思しき鉄道おたくたちであった。
 定刻になり快速列車441Dは発車した。ホームを出てすぐに伯備線の線路に入り、軽快に走り始める。
 芸備線は、新見から伯備線を二駅ほど先に行った備中神代を起点とし、広島を終点とする全長159・1キロの路線である。沿線の大半は中国山地の山奥にあり、一日三往復しか列車が走らない区間もある。全線が単線・非電化。路線の起点は備中神代であるが、列車はすべて新見発着なので、運転系統上の始発駅は新見である。
 備中神代の手前でガタンとY字形のポイントを左に折れ、芸備線の線路に入る。米子方面へ向かう伯備線は右に、こちらは左にカーブする。
 谷間の細長い土地に水田がこぢんまりと続いている。矢神に停車し、二本松峠で岡山県から広島県に入る。東城からは各駅に停まるが、人っ子一人いなさそうな山の中である。
 東城を出てしばらく走ったところで急にスピードが落ち、急勾配をゆっくり進む。左は頭上高くまで断崖がそびえ、右は眼下に渓谷が広がる。途中、車窓が野山になってツバメの飛び立つ姿が見えたりもしたが、再び崖の下にくる。速度制限を示す標識が「20(雨15)」とある。雨の日は特に時速15キロまで減速しなければならないというのは、いつ落石が起きても不思議ではないということだ。
 25パーミル(‰)の急勾配をゆっくりと登ってきたが道後山からは下り坂となる。人の気配のない茂みを抜け、目もくらむ高さの鉄橋を三つほど渡る。今回は「みよし」に乗りに来たのだが、このあたりの方が沿線風景は楽しいかもしれない。
 06時40分、終点の備後落合に着いた。向かいのホームに白い車体に緑のラインが入ったディーゼルカーが止まっている。これが急行「みよし1号」である。
 441Dを降り、すぐに「みよし」に向かう。乗っていた全員が「みよし」に乗り換えている。クルマでここまで来たのか、駅で夜明かししたのか先客がいる。それでも車内はまだぽつぽつとおたくたちが席を陣取っている程度であった。ぎゅうぎゅうの満員だったらどうしようなどと心配していたが、そんな心配は杞憂に終わった。
「みよし」は二両編成で、車両はキハ58形とキハ28形一両ずつである。いまでは数少ない急行形ディーゼルカーで、急行形車両を使用している急行列車はこの「みよし」だけである。私が乗り込んだのは進行方向前寄りのキハ28形であった。

 定刻06時55分になり、急行「みよし1号」が発車した。
 急行といっても備後落合〜三次間は普通列車として走る。エンジンをぶるんぶるんと振るわせてディーゼルカーの車体が動き出す。
 備後落合は宍道に向かう木次線との分岐駅でもある。眼下に木次線が分かれて右にカーブしてゆく。
「みよし」は深山幽谷の秘境を走る。トンネルとトンネルの間から見える景色は断崖絶壁と渓谷である。すぐ下は川、転げ落ちたらひとたまりもない。
 比婆山で女子高校生が一人乗ってきた。ふだんならあり得ない車内の混雑ぶりを見てぎょっとしている。
 備後西城の先で大富山の崖下をゆっくり走るところがあり、高を過ぎてからも川沿いをそろりそろりと進んでゆく。
 備後庄原から先は平地も広くなり、なんでもない田園風景が広がる。塩町で福山からの福塩線が合流、矢次からはガソリンスタンドなども見えてきて、だんだん市街地になる。そうして08時12分、三次に着いた。ホームには人が溢れている。
 列車のドアが開くとどやどやとたくさんの人が乗ってきた。
 二つ手前の神杉から、私の向かいには上品そうな地元のおばちゃんが二人とおじちゃん一人が乗って来て、おじちゃんは向かいのボックスに座っていた。しかしこの勢いでは余裕のある席の取り方はできないから、私は急いでおじちゃんに「こっちおいでよ」と隣の空席を勧めた。案の定、座席は瞬く間に満席になった。
 三次は広島県北部の中心的な町で、鵜飼いで有名である。急行「みよし」の名もこの三次にちなんでつけられている。
 三次発は08時14分、ここから「みよし」は正真正銘の急行列車になる。三江線の線路を右に見送り、西三次を通過。列車は江の川に沿った田園地帯を軽やかに走る。
 おじちゃんとおばちゃんは用事があって広島に出るのだという。ふだんはクルマで行くが、きょうは「みよし」がなくなるから列車で出かけることにしたのだそうだ。三人で次々と私に話しかけてくる。
「三次はなぁ、現役の野球選手が四人もいるんだ。全国でも珍しいんだゾ」
 おじちゃんはプロ野球が好きらしい。当然カープのファンなのだろうが、私は野球の話題は苦手である。
「立派な瓦屋根の家が多いですねぇ。名古屋城のしゃちほこみたいなのもあって」
 話題を変えてみた。実際、焦げ茶色、赤茶色の立派な瓦を戴いた御殿のような家が多い。
「あのしゃちはなあ、すごい恐い顔してんだゾ」
 おじちゃんは言うが、車窓からその表情までは見えない。
 向原の手前で分水嶺を越える。江の川水系から、広島湾に流れ出る太田川水系に入った。おじちゃんに訊くと、
「むかしはこっちが日本海側、こっちが瀬戸内海側っていう標識があったんだ」
という。
 車掌が検札に来た。急行券を見せる。するとまた別の車掌がやって来て、絵はがきやバッチなど急行「みよし」の記念品を乗客一人一人に配ってくれた。
 上深川、中深川あたりまで来ると新しい住宅地が増えて、瓦屋根の家が減ってくる。終着広島がだんだん近づいてくる。
 おじちゃんがおもむろに、かばんをごそごそやって何やら紙切れを出してきた。
「野球を見に行くんだ」
 紙切れは広島市民球場のチケットだった。
「きょうは巨人戦だぞォ」
 おじちゃんはとてもうれしそうだ。
「よ、『用事』ってそれですか?」
「そうだよォ!」
「なんだぁ」
 急行列車に思わず、笑いの渦がわき起こった。



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