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走れ!バカップル列車
第22号 かしてつの老気動車



   一

 春が来るたびに、列車や線路が消えてゆく。もはや日本の鉄道は、新幹線か通勤電車としてしか意味をなさないのかもしれない。
 二○○七年三月一八日のJRダイヤ改正では、東海道線東京〜静岡間の特急「(ワイドビュー)東海」が廃止される。
「東海」は、昭和三十年から東京〜名古屋間の準急列車として走り始めた列車である。東海道新幹線が開業した後も東海道本線を走り続け、列車種別が準急から急行、そして特急へと格上げされる一方、走行区間は東京〜静岡間に短縮されてしまった。晩年は朝に一往復、夕方に一往復が細々と走るばかり。新幹線や高速バスに乗客を奪われ、まさに風前の灯火のようであった。
 宮城県では、東北本線の石越から細倉マインパーク前まで25・7キロを走るくりこま田園鉄道が三月三一日限りで廃止される。中学生の私が訪れたころは栗原電鉄(通称「くりでん」)と呼ばれていたローカル私鉄である。経営は細倉鉱山から産出した鉱石の貨物輸送に頼るところが大きかったのだろう。一九八八年に細倉鉱山が閉山されてから収支は悪化し、沿線自治体による第三セクターとなり、くりこま田園鉄道として生まれ変わっても業績は改善されなかった。
 昨年十一月に廃止された富山県の神岡鉄道と状況は似ている。貨物輸送が廃止され、第三セクターで旅客列車だけ運行するが乗客数は減少の一途で、旅客輸送も結局廃止というパターンだ。
 理由はだいたいわかっている。クルマがあれば、もはや地方に鉄道はいらないのだ。なぜいままで残っていたかといえば、貨物輸送があったからに他ならない。穿った見方をすれば、貨物が廃止されたから経営が悪化して路線が廃止されたというより、貨物があったからすでに旅客からは見放されていた路線が辛うじて残っていたということもできるだろう。
 鹿島鉄道もその点で似ている。
 沿線の人びとから「かしてつ」と呼ばれ親しまれてきた鹿島鉄道は、常磐線の石岡から鉾田まで27・2キロのローカル私鉄であるが、今年の三月三一日限りで廃止となる。
 沿線に航空自衛隊百里基地があり、経営は親会社である関東鉄道からの支援と百里基地への航空燃料輸送に頼るところが大きかった。ところが貨物輸送は二○○二年四月に廃止、つくばエクスプレスの影響で関東鉄道自身も苦戦を強いられて経営支援は打ち切りとなり、代替バスへの転換が決まってしまったのである。

 特急「東海」、くりはら田園鉄道、鹿島鉄道……。わがままを言えば、そのすべてに乗りに行き最後のお別れをしたい。もちろん、現実的には時間と資金の関係からすべては難しいから、行けるところを選ばなければならない。
「東海」はまだ急行列車だったころ、何度も乗ったことがある。母たかの実家が静岡県だったから、私だけ急行で行って現地集合したこともあったし、新幹線が運休になったとき、満員の急行列車で自宅に帰ってきたこともある。
 私にしてみれば「東海」とは湘南電車で運転されていた急行「東海」である。急行としての「東海」が廃止されたときは悲しかったが(特急に格上げ・一九九六年三月)、特急「東海」が廃止されると言われても、実はあんまりぴんと来ない。だから特急「東海」でバカップルをするのはやめにした。
 くりはら田園鉄道は、正直に言えば乗っておきたかった。乗りたかったが、二人で出かけるとなるとかなり厳しいので断念せざるを得ない。中学二年生のころ一度乗ったから、それで自分を納得させるよりほかない。
 結局、この春、お別れに行くのは鹿島鉄道だけとなってしまった。鉄道おたくの名が廃る、なんとも寂しい状況である。
「みちゃん」
「なに」
「そう言うわけで、こんどは『かしてつ』に行こうと思うんだ」
「うん」
「ホントは『東海』も『くりでん』も行きたいんだけどな」
「ぜんぶは無理だよね」
「『かしてつ』ってわかる? 常磐線の鈍行で富岡に行ったとき、途中で見たよね」
「おぼえてるよ。『かしてつを救え』て書いてあった」
「それそれ」
「いついくの」
「二月の連休のころかな」
「いいよ」
 そういう訳で、こんどのバカップル列車は二月十二日に運転されることとなった。



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