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走れ!バカップル列車
第21号 いちご電車と水間鉄道と特急はるか



   三

 こんどの関西旅行は往復とも関西空港便の飛行機で出かける。
 関西空港からは和歌山と大阪泉南地区が近いので、和歌山電鐵と水間鉄道に乗ろうと思う。
 帰りは京都に行くので京都から関空特急「はるか」に乗る。十一月二十三日から二十五日まで二泊三日のバカップル列車である。
 和歌山電鐵も水間鉄道も、大阪近郊の中小私鉄である。
 和歌山電鐵貴志川線は、数奇な運命をたどってきた和歌山〜貴志間一四・三キロの路線である。日前宮、竃山神社、伊太祁曽神社への参詣鉄道として、一九一六(大正五)年、山東軽便鉄道により開業した。大正から昭和のはじめにかけて起点駅の変更や路線の延伸が行われ、終点貴志まで開通したのは一九三三(昭和八)年。その間、山東軽便鉄道は和歌山鉄道に社名変更している。一九五七(昭和三十二)年、和歌山鉄道は和歌山電気軌道に合併され、さらに一九六一(昭和三十六)年、和歌山電気軌道は南海電鉄に合併されて、南海貴志川線となった。
 しばらく南海の時代が続いたが乗客は減少の一途であった。二○○四年、ついに南海は貴志川線からの撤退を決める。廃止の危機に立たされたが、沿線自治体などの呼びかけにより岡山電気軌道が事業を引き継ぐことになり、岡山電気軌道は和歌山電鐵を設立、二○○六年四月一日に新しい体制で運転を続けることになったのである。
 水間鉄道水間線は、貝塚〜水間間五・五キロの小さな路線である。水間寺(水間観音)への参詣鉄道として、一九二五(大正十四)年十二月に部分開業、およそ一か月後の一九二六(大正十五)年一月に水間まで全通している。無人駅が多いため、電車内で車掌がいわゆる車掌さんカバンを肩からかけて、切符の発売と検札をしているという。鋏をカチカチならしながら車掌が車内を行き来している姿は、ワンマン運転が一般的となったいまではとても珍しい情景である。
 どちらの鉄道も苦しい経営を強いられているが、神岡鉄道とは違い、大都市近郊という点がいくらか救いなのだろう。

 十一月二十三日、みつこさんと私はJAL1305便で関西空港に降り立った。
 空港ロビーから鉄道への接続は良く、飛行機を降りて約二○分後の10時30分発JR難波行き関空快速に乗ることができた。出発してすぐに海上の空港と陸地とを結ぶ関西空港連絡橋を渡る。
「みちゃん」
「なに」
「海の上を走るんだよ」
「え? あ、ほんとだ」
「下は海だよ」
「ど、どうする〜?」
 この橋は全長三七五○メートルで、鉄道橋としては東北新幹線の第一北上川橋梁に次ぐ長さを誇る。ゴーゴーと轟音を立てて海を渡り、りんくうタウンに停車した後、10時40分、日根野に着いた。和歌山に行くにはここで乗り換えである。
 跨線橋を渡って和歌山方面行きのホームに来ると、新宮行きの特急「くろしお9号」がやって来た。予定では快速で行くつもりだったが、日根野に停まる特急なんて珍しいと思って衝動的に乗ってしまう。
 土曜日午前中の下り列車なので自由席車は混んでいる。みつこさんと離ればなれに座ることになった。
 阪和線の線路は、日本の中央構造線を形成する和泉山脈を越える。なかなか急峻な山道だが、特急は勾配を苦にすることなくスイスイと走ってゆく。
 トンネルを抜けると眼下に和歌山の街が見える。坂を下って紀ノ川を渡り、11時02分、和歌山に着いた。
 和歌山電鐵に乗るにはJR駅の東隣にある9番線に向かえばいいのだが、次の電車まで余裕があるので、いったん改札を出て一休みすることにした。
 次の和歌山電鐵貴志川線の電車は11時31分である。9番線に来てみるといちご電車が二両連結で停まっている。
 いちご電車は、新しく生まれ変わった貴志川線のシンボル車両として今年八月に登場した電車で、JR九州や岡山電気軌道(和歌山電鐵の親会社)などの車両デザインで知られる水戸岡鋭治が手がけたものである。終点の貴志川がイチゴの産地であることにちなんだという。
「みて!」
 みつこさんが呼んでいる。
「いちごなの。かわいいマークがいちごなの」
 外観はいちごミルクとでも言おうか。車体は真っ白。クーラー、扉、連結器周辺などが真っ赤にペイントされてアクセントになっている。車両の型番や沿線の駅名などが車体のあちこちに赤い文字でデザインされている。いちごのシンボルマークもかわいらしい。
「ひろさん!」
「なに」
「シートもいちごだよ」
「うわ、ホントだ!」
 内装もいちごだらけである。シートの模様も、連結面にかかっているのれんも、ぜんぶいちごだ。素材に木を使っているところも特徴と言える。床はフローリング、つり革のつかまるところも木製である。二両ある車両の連結面側のシートがどちらも木製のベンチになっている。ベンチにはいちご模様の座布団付き。
 外観も内装も、とにかく徹底的にいちごである。みつこさんは鉄道おたくではないし、ふつうの電車にはなんの興味も示さないが、いちご電車のようにデザインに工夫を凝らした車両には楽しそうに乗っている。これからの鉄道車両には少なからずこういう工夫は必要だと思うし、そのきっかけをつくった水戸岡鋭治の功績は大きいと言っていいだろう。
 時間が来て赤いドアが閉まった。ほどほどにお客を乗せて、いちご電車が動き出す。
 スピードも出せないままに次の駅に停まる。民家の軒先をすり抜けるようにそろりそろりと走ってゆく。線路は左に90度曲がる。しばらく東に進んでこんどは南に90度といった具合にカクカクと曲がりながら貴志に向かう。南に曲がるところが日前宮で急カーブの途中にあるホームで上り列車とすれ違う。
 郊外に出るに連れ、家々の隙間から田んぼが見えはじめる。竃山を過ぎ電車は和田川という小さな川に沿って東へ進む。スピードも少し出てくるようになる。
 運転手はメガネにおかっぱ頭の若いお姉さんで、無人駅では停車するたびに立ち上がり、運転席後ろの小窓を開けて、降りる客からてきぱきと切符を受けとっている。一面田んぼの平野を抜けて、岡崎前でまた上り列車と交換する。窓の外には、柿やみかんがたくさんなっていて彩りも豊かである。
 音楽が鳴って、車庫がある伊太祁曽(いだきそ)に着く。上り列車を待つため5分停車する。南海のカラーリングのままの電車とすれ違って再び発車。
 山東を過ぎると左右はにわかに深い山の中となる。右に左にカーブしながら崖っぷちをゆっくりと抜けてゆく。
 再び山が開け、池に続く水路を二つの鉄橋で渡って大池遊園。また民家が見えてくるが、どことなく雰囲気が寂しい。
 再び音楽が鳴って、終点、貴志に着いた。ホームも線路も一本だけの終着駅である。駅舎は木造で無人駅になっている。みつこさんがいちご狩りの案内看板を見つけた。
「ホントにいちごの産地なんだね」
 そうは言っても、まだいちご狩りには早いだろう。
 帰りもまたおかっぱ頭の運転手さんである。駅に停まるたびに少しずつ乗客が増えてくる。和歌山に着く頃には座席はほぼ埋まっている状態で、居眠りから覚めたみつこさんがびっくりするほどであった。この調子で乗客が増えてくれればと願わずにいられない。

 遅めの昼ごはんを食べた後は、和歌山市行きの紀勢本線に乗り、南海電車の特急と普通電車を乗り継いで貝塚へ。次に乗る水間鉄道はこの貝塚から出ている。
 南海の駅の跨線橋を降りて、水間鉄道の駅に向かうところで、さとしくん号とお母さんのおくのさんを発見。
 さとしくん号は、セーターを着て、手袋も持っているのに、なぜか素足にサンダル履きである。
「げ、元気そうだね……」
 おくのさんももちろん元気そうである。
 お二人には今回の水間鉄道におつき合いしてほしいとお願いしておいた。快諾いただいたので、第14号に続き、再びバカップル列車に同乗してもらえることになったのである。
 水間鉄道の貝塚駅は、南海貝塚の裏口にある。駅前は急行が停まる駅とは思えないようなこぢんまりした雰囲気である。水間鉄道の駅舎は小さな箱のようなクリーム色二階建てで、「水鉄 貝塚駅」という壁に貼り付けられた文字は青色が少し剥げかかって白くなっている。
 おくのさんはこの剥げ具合がすごくいいと感銘を受けている。
 切符を買って改札を抜けると、ローカル線に似つかわしくないような銀色の電車が停まっていた。
「さとしくん、見てごらん、東急の電車やで」
 おくのさんがさとしくん号に話しかけている。いまは西宮にお住まいだが、おくのさんは高校生の頃、東京に住んでいた。通学で毎日、東急を利用していたという。
「懐かしいなぁ。こんなところで東急の電車に出会うとは思ってなかったわぁ」
 東急では7000系と呼ばれたステンレス製の電車に乗り込むと車内にはぽつぽつと乗客がいて、二両ある車両のそれぞれに十五人〜二十人ほどが乗っていた。
 次の発車は15時25分。さとしくん号と運転席すぐ後ろの窓から前方を眺めることにする。



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