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走れ!バカップル列車
第21号 いちご電車と水間鉄道と特急はるか



   二

 ちいさな二両のディーゼルカーには名前がついていて、終点奥飛騨温泉口側は「おくひだ2号」、起点猪谷側は「おくひだ1号」となっている。私は後方の「おくひだ1号」に乗り込んだ。
 廃止直前の時期なので、鉄道おたくたちが殺到しているかと思っていたが、それほどでもない。四人がけボックス席に、おたくのお兄さんがそれぞれ一人、二人とぽつぽつ座っている程度である。景色の良い左側の座席は誰かがすでに座っているので、右側のまだ誰も座っていないボックス席に座ることにした。座席はほとんどはボックス席であるが、運転席に近い一角には囲炉裏のようなスペースがあって、電気コンロが赤く光っている。
 いまにも雨が降りそうな曇天の中、奥飛騨温泉口行き203Dは発車した。
 すぐにトンネルに入る。猪谷駅周辺は富山県だが、このトンネルの中で岐阜県に入る。神岡鉄道の路線のほとんどは岐阜県内にある。
 線路は高原川が抉る非常に険しい谷の中を走る。終点に近い神岡市街は若干谷が開けているものの、そこにたどり着くまではトンネルまたトンネルの連続である。飛騨中山〜茂住間の第四中山トンネルは一九八○メートル、茂住〜漆山間の茂住トンネルは三三一○メートル、漆山〜神岡鉱山前間の割石トンネルは二六七七メートルと、長大トンネルが連続する。路線の六四%がトンネル・鉄橋区間というから、まるで地下鉄である。
 駅間は漆山〜神岡鉱山前が七・五キロと最も長く、ゆるやかにカーブしながら高原川を渡るコンクリート橋があったり、トンネルとトンネルの間のわずかな隙間で赤い鉄橋を渡ったりして、車窓から目が離せない。
 河原はやがて渓谷となり、川の水は青く光っている。山々は赤や橙に色づいて燃えるようである。空が明るくなってきた。薄日が差してちょっと眩しい。雲の切れ端が山裾の方まで降りてきて、紅葉の中にゆらゆらと浮かんでいる。
 いくつかトンネルを抜けるうちに、また雲行きが怪しくなってきた。そう思っていたら、雨が降ってきた。
 谷が開けて神岡鉱山前に停車。二○○四年までこの駅から猪谷まで硫酸輸送の貨物列車が走っていた。線路とは反対側の谷の斜面に鉱山か工場か無機的でゴツゴツした建物があって、もくもくと煙を吐いている。
 ここから先は神岡町(飛騨市)の市街に入り、駅間距離も短くなる。終点奥飛騨温泉口までのわずか3キロに飛騨神岡、神岡大橋の二つの駅があり、平均して1キロの間隔である。
 いままで気がつかなかったが、駅のホームには小さな七福神の祠みたいなものが立っている。駅の数は猪谷を除いて七つなので、それぞれの駅に一つの神様を割り当てて祀っているのだろう。
 そうこうしているうちにディーゼルカーは雨の奥飛騨温泉口に着いた。09時27分。わずか三一分の乗車であった。
 ドアが開いたが、出口が混雑しているので席に座ったまま空くのを待っていたら、作業員みたいな格好の車掌が私のところにやってきて、怒鳴りつける。
「折り返しに乗るのか!?」
 この列車はすぐに折り返しの神岡鉱山前行き列車になる。それに乗らないんだったらさっさと降りろと言わんばかりの勢いである。
 この車掌、猪谷を出て車内で切符を買うときも、私が渡した運賃をきちんと確かめもせずに「五○円足りない」と言ってきた。私は五八○円渡しているのであるが、五○円玉が五百円玉の陰に隠れていたのである。五○円玉が出てくると謝りもせずに向こうに立ち去っていった。
 鉄道路線に罪はない。しかし、鉄道会社の経営方針に間違いはなかっただろうか。乗客が少なく固定費を回収できないのが廃止の主な原因であろうが、こんな会社の方針とか態度にも一因はあったのではないかと思ってしまう。
 乗ってきたディーゼルカーは神岡鉱山前まで一往復してまた奥飛騨温泉口に戻ってくる。それまで一時間以上、猪谷行きはない。その間、建物は立派だけどなぜか便所臭い駅舎の待合室で時間を潰す。外を散歩しようにも雨が降っていて、傘を忘れた身には少々辛い。神岡鉄道の写真が展示してあったので、その写真を見たりする。
 クリーム色のちいさなディーゼルカーが橙色の山の中からやって来た。これが10時45分発、猪谷行き206Dになる。やや遅れての発車である。
 来るときは気がつかなかったが、メガネをかけたお姉さんがもくもくとディーゼルカーを運転している。神岡鉱山前でスタフ閉塞用のタブレットを交換し、紅葉の渓谷とトンネルをくぐり抜けて猪谷に着いた。
 そのまま高山本線に乗り換え、富山ライトレールに乗り、特急「はくたか」と上越新幹線を乗り継いでその日のうちに帰京した。



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