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走れ!バカップル列車
第18号 特急日光号



   四

 旅は何が起こるかわからない。バカップル列車初の乗り遅れ事件を起こして、私たちはしばし呆然とした。
 次の電車は09時56分発の区間快速浅草行きである。列車を乗り継いで行けば、喜多方には13時30分に着く。当初の予定より一時間以上も遅れてしまうが、昼時としては許容範囲なので、予定通り喜多方ラーメンへの旅を続けることにする。
 出発までは時間があるので、いったん改札を出た。駅前に出て、振り返ると大きな三角屋根の駅舎が見える。JR日光の洋風建築の駅舎に比べると飾り気はないが、かつての一人勝ち東武を彷彿とさせる堂々とした構えの駅である。
 またホームに入って09時56分発区間快速に乗り込む。四人がけのボックスシートが並んだ電車二両編成で、車内は空いている。
 間もなく出発して来た道を戻り、下今市に着いた。この駅では乗り換え時間が二分しかないので、急いで階段を昇り降りしなければならない。
 ところが鬼怒川温泉方面から来た電車との連結作業があるため、ホームの手前で一旦停まってはゆっくり走り、また停まり、を繰り返す。余計に焦る。
 ようやく連結が終わり、ドアが開いたらすぐ階段に向かって走った。こんどは向かいのホームから出る新藤原行きの快速電車である。みつこさんと声を掛け合って階段を登る。慌てて乗り換えたが、東武もこの電車への乗り換え客は想定済みのようで、私たちが乗るまで出発を待ってくれていた。
 電車は四両編成だが、けっこう混んでいた。さっきの電車と同じ四人がけのボックスシートが並んだ電車だが、どこも誰かが座っているので、おばちゃん二人が座っている席に混ぜてもらうことにした。
 列車は東武鬼怒川線を北に進む。下今市を出るとくるりと右にカーブして大谷川の鉄橋を渡る。
 この線路は、ローカル線の規格で建設された路線なので急カーブが多く、スピードもなかなか出せない。急にのんびりした雰囲気になる。
 鬼怒川の鉄橋を渡り、明日の目的地である新高徳を過ぎる。田植えが済んだばかりの水田が広がる。鬼怒川が作り出すゆるやかな谷の中を電車はのんびり進んでゆく。
 鬼怒川温泉駅で乗客がどっと降りた。同席のおばちゃん二人は降りないが、隣のボックスがまるまる空いたので、みつこさんと私はそちらに移動した。すると、私たちがさっきまで座っていた席に大きな白人夫婦が座り込んだ。おばちゃんたちは窮屈そうに座っている。なんだかちょっと気の毒である。
 廃墟になってしまったホテルがところどころ残る鬼怒川温泉郷を抜けて、次に鬼怒川公園という駅に停まった。新緑も瑞々しい公園が広がって思わず途中下車したくなるようなところである。隣の白人夫婦はここで降りたので、おばちゃんたちも楽になったようだ。
 電車はいよいよ深くなった鬼怒川の谷を進み、崖っぷちにへばりつくようにしてゆっくり走って新藤原に着いた。東武鉄道と野岩鉄道の接続駅で、この電車も新藤原止まりである。乗り換えが何度もあってたいへんだが、降りたホームの反対側に停車していたので助かる。乗り換え時間も七分あるので安心だ。
 二両編成と短いので混雑していたが、かろうじておばちゃん一人が座っている座席に混ぜてもらうことができた。
 野岩鉄道のこの電車はさっきまで乗っていた東武の電車をそのまま使っている。野岩鉄道の列車だが、この先につながる会津鉄道に乗り入れて会津田島まで走る。列車はさらに北に向かう。半分トンネルにある龍王峡に停車した。観光客がどっと降りて、車内はぐんと空いた。また丸ごと空いたボックス席に移動する。
 電車は鬼怒川の細い流れと広いダム湖に沿って山を登る。トンネルに入ったり、出たりして、川治温泉を過ぎたところで再び鬼怒川を渡る。深い緑の流れの中に小さなボートが浮かんでいた。
 湯西川温泉は平家の落人伝説があるところで、駅ホームの壁には平家の武士のイラストが描かれていた。発車すると長い鉄橋で五十里湖というダム湖を渡る。
 野岩鉄道は昭和六一(一九八六)年に開通した新しい路線なのでトンネルが多い。
 橋を渡り、トンネルを出たかと思うと森になる。さらにトンネルがあったかと思うと、農村が広がったり、渓谷が見えてきたりと風景の変化がめまぐるしい。
 線路に沿った流れはいつしか鬼怒川の支流になっている。渓谷はいよいよ細く、沢となり、山も森も深くなる。
 男鹿高原を発車すると長いトンネルである。全長三四四一メートルの山王トンネルで、ここで栃木県から福島県に入る。
 川がさっきと逆方向に北向きに流れている。会津高原尾瀬口に到着。野岩鉄道の線路はここまでで、ここから先は会津鉄道になるのだが、電化されている会津田島まで直通運転する。
 電車は谷間を阿賀川に沿って走る。山深いので桜が満開である。左右に時間の流れがゆったりとした田園風景が広がっている。中荒井で圧倒されそうなくらい長い桜並木を見て、そうして終点会津田島に着いた。
 また乗り換えである。踏切を渡って反対側のホームに行き、こんどは薄緑色の二両連結のディーゼルカーに乗る。車体に大きな文字がたくさん書かれている。野口英世のお母さんが野口に宛てた手紙を拡大してデザインしたものらしい。驚いたことに窓にも字が書いてある。
「楽しい電車だね」
 正確に言うと電車ではなくディーゼルカーなのだが、みつこさんにしてみれば鉄道車両はみんな「電車」である。
 車内に座ってみると、窓部分の手紙の文字は点々の集合体になっていて、窓からの眺めも支障ないような工夫がなされていた。
 彼方には雪の山。列車は農村を走ったかと思うとまた谷が深くなって渓谷が見えたりする。
 会津鉄道はもと国鉄会津線が第三セクター鉄道に転換された路線だ。古い駅も多く、湯野上温泉は茅葺き屋根の駅舎である。ホームに立つ桜の木から花吹雪が舞っている。
 深緑の水面がキラキラ光る名郷湖を見ながら、さらに北に進むと再び谷が広がり平地が増えて来る。
 門田あたりからはもう会津盆地である。遥か前方に雪を頂いた磐梯山が見えてきた。
 会津若松からJR磐越西線に乗り、喜多方に着いたのは13時30分であった。
 タクシーで乗りつけたラーメン店はすごい行列で、さらに一時間待って、ようやく喜多方ラーメンにありつけた。
「みちゃん、どう?」
「ふつう」
 まずくはない。いや、むしろオーソドックスな醤油味はおいしかった。
 しかし、日光から延々三時間半も列車を乗り継いでここまでやって来た苦労とのギャップを、頭の中でうまく整理するには少々時間が必要だった。



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